シリコンバレーと本屋の売り場・その2・その3・その4・その5・その6・その7、と書いてきましたが、
「もう本屋の話はいい加減にしろよ」、「いつまでそんなことでごまかしてるんだ」、「ちゃんと読んだのなら本の内容のこと書かねーのか」、「もしかして読んでないんじゃないのか?」と評判悪かったので、やっとのことで遅ればせながら書きはじめることにします。
先日の八重洲ブックセンターでのサイン会で、梅田さんご本人からも、「書評楽しみにしてますよ。」なんて言われてしまった事もあり、かなりやばい緊張状態で、いつものようには筆が進みません。
(気が弱いのよ、ほんと。)
(ご本人にそんなこと言われちゃったら、誰だってそうか。)
(と、気を落ち着かせる。)
この本の書評に関しては、shogitygooさんの4回シリーズの大作をはじめとして、すでに多くの方がそれぞれの観点で書かれています。
では僕なりに感じた事、何回かに分けて書く事にします。
まずは、「指さない将棋ファン宣言」について。
この概念、こんなに明確に示してくれた事、その意味は大きいと思います。
将棋は指すだけではない、指さなくても、指せなくても、楽しく奥が深いもの。
僕ら将棋ファンに、そして、将棋をなんとなくだけど知ってるという人だちに対して、今まで確立できてなかった新たなる視点をわかりやすく明示してくれた。
『将棋が趣味。』と一言言った途端に、
『へー、すごいですねえ、将棋うまいんですか。
棋力はどれくらいですか?
道場とか行ってるんですか?
僕もちょっとやってるんで、一局行きますか?』
と、こうなってしまう。
『いや、そうじゃなくて、うまくないですよ。
全然指してないし。
観るだけなんですけど。』
『はっ、観るだけ?』
と不思議な顔をされてしまう。
変わり者みたいに思われてしまう。
そして、弱い、あまり指せない、とわかると、その途端に馬鹿にしたような雰囲気になる。
そんな弱いくせに、生意気なこというんじゃない。
あまり指せない奴とは仲良くなっても仕方ない。
そんな位置づけ。
そんな仕打ち。
弱いと、指せないと、何も発言することすら許されない雰囲気。
指さない人は将棋ファンにあらず、という世の中の原理、常識。
この頑なな風土。強固なしきたり。
将棋という文化の持つ、根の深い特殊な風土や文化に、入りにくかった人はかなり多いのだと思う。
今までスポットライトが当たることはなかった。
日陰の道を歩まざるを得なかった。
カミングアウトしずらかった。
それが、この本の出現によって、この本が話題になりどんどん売れる事によって、
「指さない将棋ファン」、「観る将棋ファン」というものに、
市民権を与えてくれた。
これはある意味、将棋ファンの内部の「革命」とすら言ってもいい。
長年僕らがずっと感じてきたもやもやを、それぞれが抱えていた淀んだ空気を一気に吹き飛ばしてくれた。
指さないけど、観る将棋ファンという人種は、実はかなり大勢いて、
そうだ、そうなんだ、と一気に立ち上がったのだ。
「我が意を得たり!」の一大ムーブメントが起こったのだ。
僕らに自信や勇気を持たせてくれた。
しっかりした指針を示してくれた。
進むべき道を照らしてくれた。
指さないこと、指せないことを後ろめたく思ってなくてもいいのか。
弱くても、棋力に関係なく、こんなに楽しめる世界があるのか。
まさにこれは、
「コペルニクス的転換」
である。
梅田さん以上に自分のことを「指せない将棋ファン」と自認する編集担当の岡田さんの記事、
「相変わらず指せませんが、将棋の本を作りました。」
----------------------------------------
たとえルールがわからなくても、「観る」面白さを知っている、すべての人に。
「私が本当に書きたかったのは、この本でした」
――梅田望夫
---------------------------------------------
梅田さんの本当の本音なんだと思います。
ずっと熟成されてきたこの思いが、どんどん強くなり、岡田さんからのオファーもあり、一気に醸成された。
「指さなくても、指せなくても、立派な将棋ファンじゃないか。」というメッセージを広く世間に提唱したこの本の持つ意味は本当に大きいと思うのです。
そして、あとがきに書いてあった事。
「将棋の面白さを知ったのはこの本を読んだのがきっかけだ。」
という人々が話し合う未来が見える。
この明確なビジョンの凄さ、強さ。
梅田さんを動かした、岡田さんの「素朴な発想」と、「狂気に満ちた情熱」、に心から敬意を表します。
そして、典型的な「指さない将棋ファン」、「観る将棋ファン」の一人として、あらためて感謝したいと思います。
(つづく)本当に続きます。多分。
第二章は、「観ることの楽しみについて(予定)」。
「もう本屋の話はいい加減にしろよ」、「いつまでそんなことでごまかしてるんだ」、「ちゃんと読んだのなら本の内容のこと書かねーのか」、「もしかして読んでないんじゃないのか?」と評判悪かったので、やっとのことで遅ればせながら書きはじめることにします。
先日の八重洲ブックセンターでのサイン会で、梅田さんご本人からも、「書評楽しみにしてますよ。」なんて言われてしまった事もあり、かなりやばい緊張状態で、いつものようには筆が進みません。
(気が弱いのよ、ほんと。)
(ご本人にそんなこと言われちゃったら、誰だってそうか。)
(と、気を落ち着かせる。)
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この本の書評に関しては、shogitygooさんの4回シリーズの大作をはじめとして、すでに多くの方がそれぞれの観点で書かれています。
では僕なりに感じた事、何回かに分けて書く事にします。
まずは、「指さない将棋ファン宣言」について。
この概念、こんなに明確に示してくれた事、その意味は大きいと思います。
将棋は指すだけではない、指さなくても、指せなくても、楽しく奥が深いもの。
僕ら将棋ファンに、そして、将棋をなんとなくだけど知ってるという人だちに対して、今まで確立できてなかった新たなる視点をわかりやすく明示してくれた。
『将棋が趣味。』と一言言った途端に、
『へー、すごいですねえ、将棋うまいんですか。
棋力はどれくらいですか?
道場とか行ってるんですか?
僕もちょっとやってるんで、一局行きますか?』
と、こうなってしまう。
『いや、そうじゃなくて、うまくないですよ。
全然指してないし。
観るだけなんですけど。』
『はっ、観るだけ?』
と不思議な顔をされてしまう。
変わり者みたいに思われてしまう。
そして、弱い、あまり指せない、とわかると、その途端に馬鹿にしたような雰囲気になる。
そんな弱いくせに、生意気なこというんじゃない。
あまり指せない奴とは仲良くなっても仕方ない。
そんな位置づけ。
そんな仕打ち。
弱いと、指せないと、何も発言することすら許されない雰囲気。
指さない人は将棋ファンにあらず、という世の中の原理、常識。
この頑なな風土。強固なしきたり。
将棋という文化の持つ、根の深い特殊な風土や文化に、入りにくかった人はかなり多いのだと思う。
今までスポットライトが当たることはなかった。
日陰の道を歩まざるを得なかった。
カミングアウトしずらかった。
それが、この本の出現によって、この本が話題になりどんどん売れる事によって、
「指さない将棋ファン」、「観る将棋ファン」というものに、
市民権を与えてくれた。
これはある意味、将棋ファンの内部の「革命」とすら言ってもいい。
長年僕らがずっと感じてきたもやもやを、それぞれが抱えていた淀んだ空気を一気に吹き飛ばしてくれた。
指さないけど、観る将棋ファンという人種は、実はかなり大勢いて、
そうだ、そうなんだ、と一気に立ち上がったのだ。
「我が意を得たり!」の一大ムーブメントが起こったのだ。
僕らに自信や勇気を持たせてくれた。
しっかりした指針を示してくれた。
進むべき道を照らしてくれた。
指さないこと、指せないことを後ろめたく思ってなくてもいいのか。
弱くても、棋力に関係なく、こんなに楽しめる世界があるのか。
まさにこれは、
「コペルニクス的転換」
である。
梅田さん以上に自分のことを「指せない将棋ファン」と自認する編集担当の岡田さんの記事、
「相変わらず指せませんが、将棋の本を作りました。」
----------------------------------------
たとえルールがわからなくても、「観る」面白さを知っている、すべての人に。
「私が本当に書きたかったのは、この本でした」
――梅田望夫
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梅田さんの本当の本音なんだと思います。
ずっと熟成されてきたこの思いが、どんどん強くなり、岡田さんからのオファーもあり、一気に醸成された。
「指さなくても、指せなくても、立派な将棋ファンじゃないか。」というメッセージを広く世間に提唱したこの本の持つ意味は本当に大きいと思うのです。
そして、あとがきに書いてあった事。
「将棋の面白さを知ったのはこの本を読んだのがきっかけだ。」
という人々が話し合う未来が見える。
この明確なビジョンの凄さ、強さ。
梅田さんを動かした、岡田さんの「素朴な発想」と、「狂気に満ちた情熱」、に心から敬意を表します。
そして、典型的な「指さない将棋ファン」、「観る将棋ファン」の一人として、あらためて感謝したいと思います。
(つづく)本当に続きます。多分。
第二章は、「観ることの楽しみについて(予定)」。
おおむねnanaponさんと同じ内容でした。
まあ、書いているのが若島京大教授、というよりも、詰キストの若島さんですから。
でも、コペルニクス的転回とまで大仰に言わなくとも。
テニスだって、ゴルフだって、野球だって、自分でする人と、プロのプレーを見ている人がいるのですから。
頭脳格闘技の将棋にだってそんなファンは昔からいたと思います。
でも、梅田さん、指さないファンと言いながら初段って、私より強いじゃないですか。
この本、私は今のところ、読む予定がありません。書名から受ける印象がとっつきにく過ぎて親しみが湧かないし、読んでみたいという気にならないのです。(かの本を手にとったこともないので、典型的な食わず嫌いですが)
でも、nanaponさんの書評はとっつきやすいです。書評シリーズ全部読んだら、私もこの本を読んでみる気になるかも知れない、という気がしてきました。
続きを期待しています。
>でも、コペルニクス的転回とまで大仰に言わなくとも。
はは、まあそうなんですけど、よく考えたらすごいことかなあと。
>テニスだって、ゴルフだって、野球だって、自分でする人と、プロのプレーを見ている人がいるのですから。
いやあ、将棋の持つ特殊性ってのが、あるような気が。
>でも、梅田さん、指さないファンと言いながら初段って、私より強いじゃないですか。
そのうち、やりますか。
指さないファンの将棋大会。
勝つと白い目で見られるよ。
☆けいすけさん、こんばんは。
>nanaponさんの書評が、これまで読んだなかでいちばん分かりやすいです。
いやあ、うれしいです。ありがとうございます。そう言われると、自信持ってどんどん書いちゃいますよ。
>読んでみたいという気にならないのです。
そうなんですか。考えすぎだと思うけど。
>でも、nanaponさんの書評はとっつきやすいです。書評シリーズ全部読んだら、私もこの本を読んでみる気になるかも知れない、という気がしてきました。
あっ、またもや次のプレッシャーだよ。
はい、鋭意執筆中です。
>指さない将棋ファン
せっかく新しく提示された概念ですから、大事に育ててほしいですね。
古くからのファンからすれば、昨日、今日やって来たような輩が知った口を利くのは、面白くないことなのかもしれませんが、とりあえずは新規参入者への“間口”だけは広げておいてほしい、と切に願います。
少しはこれからの将棋や普及のことを考えている人ならば、今は 「梅田望夫」 に気持ちよく喋らせておくのが 最善手 だという理屈くらい、誰にでもわかりますしネ(失礼な表現ですみません 笑)。
>コペルニクス的転換
私も、このくらい気持ちよく言い切っていただいた方が、市民権を得た気になるので心強いです。
“コペルニクス的転換”はちょっと照れるにしても、指さないファンであることを告白できないジレンマなどが、“コロンブスの卵”的指摘であったことは確かなはずです。
梅田さんが野球との比較で語っていたけど、将棋は野球以上に時間があるから、そこに将棋を語る“豊穣な言葉”が加われば、指さないファンもどっぷりと“テイクイン”して、より深い感動を味わうことができる.....はずだと。
なるほどネェ。
でもココだけの話、ホントはそれでも将棋の解説って、難しいですよね(泣)
ただ、結局将棋はわからなくても「わかった気になって必死に観とかないと、わかった気にすらなれない」のも確かなようです(笑)
とは言うものの、矢倉24手組がいまだに覚えられないこんな私でも、棋譜に記せば、単なる「18手目 △5三銀右」のことを、
「羽生はこの局面で先手をもって、8戦8勝。渡辺もそれを知らずに採用したわけではないだろう。秘策を用意している可能性が高そうだ。」(第21期竜王戦 第六局 中継コメントより)
と書かれたからにゃあ、もう興奮せざるを得ない。
こんなん ものスゴイ “煽り”、 他のエンターテイメントでも、そうそうあるもんじゃナイ!
“絶体絶命の渡辺竜王が仕掛けてきたんだ!”
“今から、とんでもないことが始まろうとしてるんだ!”
と否応なく想像力をかきたてられる。
(しかし、よくもまぁリアルタイムであんなコメントつけられたものです。ネット中継史に残る 名文句 だと思いますが…)
しかもその△5三銀右は、羽生の未刊の名著「変わりゆく現代将棋」に対するアンチテーゼだったことが、今回『シリコンバレーから将棋を観る』の上梓により我々に知らされ、更には、棋聖戦第一局で“観戦記者”梅田望夫の目前で、羽生棋聖が木村挑戦者(矢倉講座連載中)相手に、先後所を替えて同一局面を再現させるという、このサイドストーリーの重層構造。
羽生棋聖はその時、恍惚の笑みを浮かべていた、という描写までネット中継により再び提供されてしまう…。
「番勝負で“実験”をする」ことがある羽生さんの中継の時は特に、立会人や戦形などの盤外の情報もインプットしておくと、より観戦が面白くなるし、既にそういう楽しみ方をしている人たちがネット上に数多く存在している、そういう今後の将棋観戦の可能性を、さりげなく“指さない将棋ファン”に教えてくれている梅田さんの気遣いが嬉しいです。
長々とスミマセンでした。とりあえず1回目の書評分の感想です。
他のも含めて、長文のしっかりしたコメントいただいたので、簡単にはレスできません。
本当にありがとうございました。
あらためてちゃんとしますので、しばしご容赦のほど。