先日、赤瀬川原平さんの路上観察学会に関する記事を書きました。
「1986年、赤瀬川さん、藤森照信さん、南伸坊さん、林丈二さんらにより「路上観察学会」が結成されました。
トマソン、古い洋館、ハリガミ、マンホールなど、それぞれの得意分野の観察で路上を流れていた方々が合流。さらにパワーアップされた視点で、日常からずれているモノたちを採集し始めました。」
それぞれが、勝手に街を歩き、個々の基準で面白いと思ったものを写真に撮り、その晩旅館とかに集まって、皆で飲みながら品評会をする。
この時の話です。
最初にあっ、これ、ってひらめいた時に撮った写真。
どうやっても、これにかなうものはない、という話。
被写体そのものは、何か変わってしまうわけではない。
後でまた行っても、同じようにそこにある。
それをその後で、いろんな構図で、いろいろ考えて、いろんな撮り方したところで、最初のものにかなわない。
こんな面白いものがあったよ、と誰かが他の人に教えて、
その場所に他の人が行って、いいカメラで何十枚も撮ったとしても、
やはり、最初のものがいい。
全体の中から、あるひとつの部分を取り出す、切り取る。
要素の抜き出し方。
最初に撮ったのが、一番安い低機能のカメラだとしても、やはり、それが一番。
光線の具合かと思って、同じ時間に行ったとしても、最初のような写真は撮れない。
つまり、第一感。
将棋に通じるもの、ありますよね。
将棋だけでなく、何かのアイディアを考える時も。
自分と、最初にひらめくものとの、出会い。
そこに感じる、必然の運命。
次に浮かぶものよりも、自分との強い結びつきを感じてしまう。
それと、やはり、自然な状態、肩の力が抜けてるってことが違うのでしょう。
子供の絵なんか、ほんと、直感でさっさっと書くから面白い。
ユニークな個性が出る。
力を抜けること。
ゆるゆる?
老人力にもつながることでしょうか。
スポーツでもなんでも、リキむといいことないわけで。
第一感、直感のすごさ。
パッとひらめいて、さっとやることのパワー。
赤瀬川さんの話から、いろいろ発展して考えてしまいました。
路上観察学入門 (ちくま文庫) | |
クリエーター情報なし | |
筑摩書房 |
「1986年、赤瀬川さん、藤森照信さん、南伸坊さん、林丈二さんらにより「路上観察学会」が結成されました。
トマソン、古い洋館、ハリガミ、マンホールなど、それぞれの得意分野の観察で路上を流れていた方々が合流。さらにパワーアップされた視点で、日常からずれているモノたちを採集し始めました。」
それぞれが、勝手に街を歩き、個々の基準で面白いと思ったものを写真に撮り、その晩旅館とかに集まって、皆で飲みながら品評会をする。
この時の話です。
最初にあっ、これ、ってひらめいた時に撮った写真。
どうやっても、これにかなうものはない、という話。
被写体そのものは、何か変わってしまうわけではない。
後でまた行っても、同じようにそこにある。
それをその後で、いろんな構図で、いろいろ考えて、いろんな撮り方したところで、最初のものにかなわない。
こんな面白いものがあったよ、と誰かが他の人に教えて、
その場所に他の人が行って、いいカメラで何十枚も撮ったとしても、
やはり、最初のものがいい。
全体の中から、あるひとつの部分を取り出す、切り取る。
要素の抜き出し方。
最初に撮ったのが、一番安い低機能のカメラだとしても、やはり、それが一番。
光線の具合かと思って、同じ時間に行ったとしても、最初のような写真は撮れない。
つまり、第一感。
将棋に通じるもの、ありますよね。
将棋だけでなく、何かのアイディアを考える時も。
自分と、最初にひらめくものとの、出会い。
そこに感じる、必然の運命。
次に浮かぶものよりも、自分との強い結びつきを感じてしまう。
それと、やはり、自然な状態、肩の力が抜けてるってことが違うのでしょう。
子供の絵なんか、ほんと、直感でさっさっと書くから面白い。
ユニークな個性が出る。
力を抜けること。
ゆるゆる?
老人力にもつながることでしょうか。
スポーツでもなんでも、リキむといいことないわけで。
第一感、直感のすごさ。
パッとひらめいて、さっとやることのパワー。
赤瀬川さんの話から、いろいろ発展して考えてしまいました。
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