前にも取り上げましたが、毎日新聞にも連載されている立川志の輔さんのコラム、
ピーピングしのすけのふしあなから世間。
先週の記事、
《そうだったのか日本》から引用させてもらいます。
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「えっ、そんな簡単にそんな重要なこと言っていいの?」と驚くニュースが続きます。
浜岡原発の停止を菅総理が中部竃力に要請した時点で、そんな簡単に決まるものなの、と驚き、要請された側も、国の支援を条件にいともあっさり停止を決定。「えっ、こんな短期間に決定かできたの!あんなに長い間、安全性を問われ続けて来たのに!」
もちろん、この決定は福島原発の事故があったからこそなのですが、決定を聞いて逆に拍子抜けしたのも事実です。
「だったら、他の原発もそうしようよ」と。もっと言えば「本当は厳密に考えれば、もともといらなかったんじゃないの?」と、思わざるを得ません。
今さら言っても仕方がないことですが、地震の前に気がついてほしかった、と悔しいこと限りない。あまりにも重要なことを、さらっと言われると逆に悔しさが増したりするのです。
<中略>
食中毒の事件の解説にも驚きました。生肉は、実は法律的には流通していないことになっていただなんて。今までおいしく食べてたのは、たまたま安全第一の業者さんのトリミングのおかげで、無事だったけど、国としては認めてはいないので、もしなんかあったら、それは自已責任でお願いします、国は知ってるけど、知らなかったことになっていますので、そこのところよろしくお願いします、ってことだったということですか。すこいですね。こんな凄いことが、ワイドショーでいとも簡単に明かされていくのです。
きっとこの他にもひょっとしたら数々の綱渡りのような状態をいっぱい抱えているんでしょうね、この日本という国は。ものすごい事実を知りながら、今日も自分にできること。わずかな節電と落語会の主催者やお客様とともにこしらえた義援金を、コツコツ送り続ける日々です。
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重要なこと、根本的なことがいい加減なままで放置されているんですね。
偶然細い綱を渡っているからいいけど、何かが起こって、初めて認識するわけですね。
「えーっ、そうなのか。こうなってるの。。。知らなかった。」
要は我々がしっかり理解したり、意見を言ったりしないことが諸悪の根源。
人のせいにするのは簡単だけど、我々は、他人まかせにするだけで、何かをしてきたのか。思考停止状態のままのんべんだらりと過ごしてきただけじゃないのか。
政治家も官僚も東電も皆だめだけど、僕らだって同じだ。
原発も、ダムも、郵政民営化も、財政再建も、少子化対策も何もかも自分事として真剣に考えてこなかった。
もちろん飲みながらも含め、いろんな人とそういう話はしてきたけれど、さらに深く自分に突きつけてこなかった。それで済んでいた。
永田町の出来事、霞ヶ関の出来事として、いつも対岸の火事のようにしか思ってこなかった。
原発は本当に必要なのか。
yesとした際の、メリット、デメリット、リスクは?
noであれば、どうするのか?どういう暮らしを望むのか?
生肉を食べたいのか?食べなくてもいいのか?
食べたいなら、リスクをどこまで覚悟するのか?
少しでもリスクがあるのなら食べなくてもいいのか悪いのか?
世の中のいろんな大事なことの原点、本質をしっかり見つめること。
いつもほったらかし、先送りにしてきたこと自分を反省。
誰も何も言わないから、
いつも無知なままで、
ただただお上の仕事だし、ちゃんとやってくれるもんだろうと高を括ってるから、
物事の原点はこんなに怪奇。
メルトダウンは3月11日…初動の遅れ裏付け(読売新聞) - goo ニュース
そして、このニュースもびっくりです。
3時間とか5時間以内になんとかしないとダメ、とわかっていたことだと思うけど、どうしてこうなっちゃったんでしょうね?
日経ビジネスオンラインの記事、
見逃されている原発事故の本質
東電は「制御可能」と「制御不能」の違いをなぜ理解できなかったのかにはこう書かれています。
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1号機の場合、「制御不能」の事態に陥って20時間後に海水注入は行なわれているから、東電の経営陣は20時間もの間、海水注入を拒んだということができる。すなわち東電の経営陣は、技術が「制御不能」になるとはどういうことなのかを、20時間かけてようやく理解したということだろう。
この原発事故の本質的原因は、「技術」にあるのではなく「技術経営」にある。よって、元来「制御可能」だった事故をみずからの判断ミスで「制御不能」にしてしまった東電の経営責任は、計り知れないほど大きいと言えるのではないだろうか。日本の独占企業が、「インテリジェンス」を持たない経営陣を選び取ってしまうこと。それは、もはや「日本の病」に通ずる。
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他人任せ。いつも何事も対岸の火事。
国家の一大事さえ、
「なんか結構大変だよなあ、なんとかしないといけないけど、これ、どうなってんの?」
ってことから始まったのだろうか?
「いろんな専門家呼んでさ、早急に現状把握して、どうしたらいいか検討して。
まとまったらすぐに報告するように。」
なんて当人は的確な指示を出したようなつもりになってることなんだろうか。
偉い人たちも我々一般人も、皆揃って臨場感なし。緊張感なし。
モノもいっぱい。電気もいっぱい。便利も快適もいっぱいすぎの世の中で、すっかりふやけきってしまってるようだ。
原発や生肉だけでなく、この国は「怪奇な原点」が多すぎるのではないのか。
「今頃気づいてこんなこと書いてるお前はほんと能天気だよ。」って?
はい。返す言葉がないです。
これを機に、原点回帰も含め、もっともっと自分事として考えて、自分から動いていかないといけないです。
ジョン・F・ケネディーの名言が改めて重いです。
Ask not what your country can do for you,
but what you can do for your country.