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即席の足跡《CURIO DAYS》

毎日の不思議に思ったことを感じるままに。キーワードは、知的?好奇心、生活者発想。観る将棋ファン。線路内人立ち入り研究。

風化させない決意

2011年06月16日 00時32分42秒 | 3.11
岩手日報社 特別報道写真集 平成の三陸大津波 東日本大震災 岩手の記録
クリエーター情報なし
メディア・パル


盛岡の友人が編集作業に携わった一冊。
岩手日報社という新聞社の各支局の記者たちが津波のその瞬間をとらえた写真集です。
写真が痛ましすぎて、編集作業が過酷だったとのこと。
センセーショナリズムで終わらせたくないという思いで作った克明な記録の写真集とのことです。

そして、かなり話題になったこのスピーチ。
村上春樹さん:カタルーニャ国際賞スピーチ原稿全文(上)
(下)

「安らかに眠ってください。過ちは繰り返しませんから。」
広島、長崎のことを風化させてしまってる現実を思い知らされます。

日本人は、猫も杓子もワーッとブームのようになって浮かれまくって、1年後にはもう誰も覚えてないくらいに過ぎ去ってしまう。

広島、長崎のことを、絶対に繰り返さないという強い決意とともに伝えていくことの大切さ。
日常に埋もれないで、しっかりと継続することがいかに重要かを痛感。

そして、今回のこと。
この力強いメッセージとともに伝わってくる未来を作る思いと迫力。

復興の狼煙ポスタープロジェクト

この3.11の出来事を絶対に風化させないと、決意を新たにしました。
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犬が好き

2011年05月26日 19時33分34秒 | 3.11
まず、何はともあれ、このブログ、ぜひ見てください。

守った犬

人間たちの知らないところで、こんなドラマがあったんですね。

あまりにも健気で、健気過ぎて、もう、泣けるなんてもんじゃないです。

こういう立派な犬に比べると、人間は、何やってんだろうと思ってしまう。

身勝手極まりない。

ちゃんと注入してましたよ、なんて今頃言ってる下請けに丸投げの会社、言った言わないとか、この期に及んで足の引っ張り合いを続けてる人たち。

この犬の爪の垢でもしょっちゅう飲んでる高いお酒に混ぜたらいいんじゃないでしょうか。

福島原発20キロ圏内 犬・猫救出プロジェクト

今回、犬や猫たちにとっても、この地震、津波、原発という大事件の中で、たくさんの悲劇が訪れているはず。

「狂って暴れる…ううっ」おばさま涙 人間の方が多い犬猫保護活動

無事に生き延びたものの、避難所には連れて行けなくて長年一緒だった飼い主とも別れなければならない犬や猫たちもたくさんいる。

そんな犬たちのことに思いを馳せると、数年前に亡くなった愛犬nanaのことを思い出してしまう。
nanaのこと・その2

そんなことでいつまでもグズグズ執着してるんですね。
次!には行けない。
写真も、ハンドルネームも、nanaを引きずってる。
未練がましい男の性(さが)。

nanaは気が弱くて上記のブログの犬みたいに勇敢なことはできるはずもなかったけど、犬の目線から見た今のこの時代、そして震災。

そんなことをつらつら考えていると、静かに酒でも飲みたくなってしまう今夜です。
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復興の狼煙ポスタープロジェクト

2011年05月22日 12時17分25秒 | 3.11
前にも取り上げましたが、風屋さんが関係している復興の狼煙ポスタープロジェクト

風屋さんの記事一覧。
決意
復興の狼煙ポスタープロジェクト
復興の狼煙ポスタープロジェクト・2
全国版の記事に

今、目の前にあります。



13枚それぞれに込められた強いメッセージ。

心に残る映像と一人一人の表情。

しっかりと前を見つめる視線。



このポスターを前にすると、圧倒されます。

自然、人間、暮らし。

覚悟、決意、明日。

ここに写っている人たちの存在感、今の時間の必死な過ごし方を思うと、
自分はなんて安穏な暮らしをしているのか、突きつけられます。

佐々木俊尚さんの言葉です。
++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
ACジャパンのテレビCMなどでさかんに「がんばろう」「力を合わせよう」といったスローガンが発信されています。しかしこのような中身のない、つまりどのようにがんばればいいのか道筋のはっきりしない空疎なスローガンを口にしても、希望は生まれてきません。しばらく前に読んだブログでも「がんばろうって言われても、すでに節電はしてるし被災地に義援金も送った。いったい何をがんばればいいのかだれも教えてくれない」といったことを書いてる人がいました。

 「がんばろう」とお題目のように言われても、希望の力は湧いてきません。「皆で一丸となってひとつの希望を」とお仕着せの希望は、僕たちに何ももたらしてくれません。
+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
ありきたりの力のないキャッチフレーズの嵐の中で、このメッセージの力の凄さ、迫力はズシンと響いてきます。

写真の人たちが実際に言った言葉なわけではないだろうけれど、彼らから、彼らの心の底から発せられたメッセージのように思えます。

5月14日の朝日新聞にも紹介されました。


復興の狼煙ポスタープロジェクトのサイトに綴られた文章です。
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『きっかけ』

「自分に何が出来るだろう?」

そんな自問が始まりだった。
すぐに答えが見つからない事なんて最初から分かっていた。

何も出来るわけが無い。
そう結論づけても、誰も自分を責めやしない。
それ程の事が起こったのだから。

でも、あきらめるのは悔しかった。
何か出来る事があるはずだ。
根拠の無い確信みたいなものがそこにあった。

盛岡から、被害の大きい沿岸部の人達にできること。
悩んでも悩んでも悩んでも、答えはみつからなかった。

携帯が鳴った。
友からだった。

悩んでいたのは自分だけじゃなかった。
急に勇気が湧いてきた。
そして、僕たちは動き出した。

気付いたら、一緒に動く仲間に囲まれていた。

当たり前の事を、当たり前に伝えていく。
これが正しいことなのか、いまだに分からない。
でも、伝えるべきことがそこにある。

そして、信じることはできる。
きっと同じ想いでいる仲間が大勢いるであろうことを。
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『ポスタープロジェクトについて』

様々な想いを胸に秘めながら、前を向いて歩み始めようとする釜石市民。
彼らから感じた「人間の強さ」、そのままを伝えたいと願った盛岡の広告人。
苦しみながら悩みながら「今」を撮ることで答えを見つけようとした東京のカメラマン。

このプロジェクトは、そんなそれぞれの「想い」が重なって生まれました。

岩手の、内陸の人たちに、このメッセージを届けなければ。
その一心で、僕たちはこれまで自主制作を続けてきました。

4月20日現在、「復興の狼煙」ポスターは盛岡市内各所、福島県に関連するイベント会場、東京のとある居酒屋、そして釜石市の災害対策本部と避難所に掲示させていただいております。

今後は更なる協力を募り、沿岸部も含めた岩手県内各地にこのメッセージを伝えていくつもりです。そして、岩手にあふれ始める活気と共に、このポスターも全国に向けて広がっていけばと思っています。

ウェブサイト公開以降、全国、そして世界中から、たくさんのメッセージをいただいております。皆様からいただいた心あふれる応援メッセージは、僕たちの手でしっかりと釜石の方々の元に届けていきます。

このポスターを見て何かを感じてくださった方々の想いが、
前を向き必死に生きようとする人々の明日への力となってくれること。

それがこのプロジェクトの唯一の目的であり、私たちからの切なる願いです。

このHPをご覧いただいた皆様に、心から感謝致します。

               「復興の狼煙」ポスタープロジェクト 制作者
---------------------------------------------------------------
サイトからも買えますのでぜひどうぞ。

B3サイズ(364mm×515mm)13枚(各写真違い1枚ずつ)セットで3,675円(税込・送料別)。
ポスターの収益は、撮影させていただいた自治体に寄付させていただくとのことです。
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原点怪奇

2011年05月17日 00時19分15秒 | 3.11
前にも取り上げましたが、毎日新聞にも連載されている立川志の輔さんのコラム、ピーピングしのすけのふしあなから世間
先週の記事、《そうだったのか日本》から引用させてもらいます。
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 「えっ、そんな簡単にそんな重要なこと言っていいの?」と驚くニュースが続きます。

 浜岡原発の停止を菅総理が中部竃力に要請した時点で、そんな簡単に決まるものなの、と驚き、要請された側も、国の支援を条件にいともあっさり停止を決定。「えっ、こんな短期間に決定かできたの!あんなに長い間、安全性を問われ続けて来たのに!」

 もちろん、この決定は福島原発の事故があったからこそなのですが、決定を聞いて逆に拍子抜けしたのも事実です。

 「だったら、他の原発もそうしようよ」と。もっと言えば「本当は厳密に考えれば、もともといらなかったんじゃないの?」と、思わざるを得ません。

 今さら言っても仕方がないことですが、地震の前に気がついてほしかった、と悔しいこと限りない。あまりにも重要なことを、さらっと言われると逆に悔しさが増したりするのです。

 <中略>

 食中毒の事件の解説にも驚きました。生肉は、実は法律的には流通していないことになっていただなんて。今までおいしく食べてたのは、たまたま安全第一の業者さんのトリミングのおかげで、無事だったけど、国としては認めてはいないので、もしなんかあったら、それは自已責任でお願いします、国は知ってるけど、知らなかったことになっていますので、そこのところよろしくお願いします、ってことだったということですか。すこいですね。こんな凄いことが、ワイドショーでいとも簡単に明かされていくのです。

 きっとこの他にもひょっとしたら数々の綱渡りのような状態をいっぱい抱えているんでしょうね、この日本という国は。ものすごい事実を知りながら、今日も自分にできること。わずかな節電と落語会の主催者やお客様とともにこしらえた義援金を、コツコツ送り続ける日々です。
**********************************************

重要なこと、根本的なことがいい加減なままで放置されているんですね。
偶然細い綱を渡っているからいいけど、何かが起こって、初めて認識するわけですね。

「えーっ、そうなのか。こうなってるの。。。知らなかった。」

要は我々がしっかり理解したり、意見を言ったりしないことが諸悪の根源。
人のせいにするのは簡単だけど、我々は、他人まかせにするだけで、何かをしてきたのか。思考停止状態のままのんべんだらりと過ごしてきただけじゃないのか。
政治家も官僚も東電も皆だめだけど、僕らだって同じだ。
原発も、ダムも、郵政民営化も、財政再建も、少子化対策も何もかも自分事として真剣に考えてこなかった。
もちろん飲みながらも含め、いろんな人とそういう話はしてきたけれど、さらに深く自分に突きつけてこなかった。それで済んでいた。
永田町の出来事、霞ヶ関の出来事として、いつも対岸の火事のようにしか思ってこなかった。

原発は本当に必要なのか。
yesとした際の、メリット、デメリット、リスクは?
noであれば、どうするのか?どういう暮らしを望むのか?

生肉を食べたいのか?食べなくてもいいのか?
食べたいなら、リスクをどこまで覚悟するのか?
少しでもリスクがあるのなら食べなくてもいいのか悪いのか?

世の中のいろんな大事なことの原点、本質をしっかり見つめること。
いつもほったらかし、先送りにしてきたこと自分を反省。

誰も何も言わないから、
いつも無知なままで、
ただただお上の仕事だし、ちゃんとやってくれるもんだろうと高を括ってるから、

物事の原点はこんなに怪奇。

メルトダウンは3月11日…初動の遅れ裏付け(読売新聞) - goo ニュース
そして、このニュースもびっくりです。
3時間とか5時間以内になんとかしないとダメ、とわかっていたことだと思うけど、どうしてこうなっちゃったんでしょうね?

日経ビジネスオンラインの記事、見逃されている原発事故の本質
東電は「制御可能」と「制御不能」の違いをなぜ理解できなかったのか
にはこう書かれています。
++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
1号機の場合、「制御不能」の事態に陥って20時間後に海水注入は行なわれているから、東電の経営陣は20時間もの間、海水注入を拒んだということができる。すなわち東電の経営陣は、技術が「制御不能」になるとはどういうことなのかを、20時間かけてようやく理解したということだろう。

この原発事故の本質的原因は、「技術」にあるのではなく「技術経営」にある。よって、元来「制御可能」だった事故をみずからの判断ミスで「制御不能」にしてしまった東電の経営責任は、計り知れないほど大きいと言えるのではないだろうか。日本の独占企業が、「インテリジェンス」を持たない経営陣を選び取ってしまうこと。それは、もはや「日本の病」に通ずる。
+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
他人任せ。いつも何事も対岸の火事。
国家の一大事さえ、
「なんか結構大変だよなあ、なんとかしないといけないけど、これ、どうなってんの?」
ってことから始まったのだろうか?
「いろんな専門家呼んでさ、早急に現状把握して、どうしたらいいか検討して。
まとまったらすぐに報告するように。」
なんて当人は的確な指示を出したようなつもりになってることなんだろうか。

偉い人たちも我々一般人も、皆揃って臨場感なし。緊張感なし。
モノもいっぱい。電気もいっぱい。便利も快適もいっぱいすぎの世の中で、すっかりふやけきってしまってるようだ。

原発や生肉だけでなく、この国は「怪奇な原点」が多すぎるのではないのか。
「今頃気づいてこんなこと書いてるお前はほんと能天気だよ。」って?
はい。返す言葉がないです。

これを機に、原点回帰も含め、もっともっと自分事として考えて、自分から動いていかないといけないです。

ジョン・F・ケネディーの名言が改めて重いです。

Ask not what your country can do for you,
but what you can do for your country.
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地震について考える日々・その8・公平とは?

2011年05月14日 01時24分38秒 | 3.11
いまだに赤十字などの義捐金は、まだ被災者のもとには行ってないとのことですね。
その原因は、
「どうやったら公平に分けられるのか?公平、不公平とは何か?」
の議論を慎重に重ねているとのことです。

ほー。やるもんですねえ。
はい、とことん真剣にこれでもかってくらいに気の済むまで検討してくださいね。

以下、みやざき中央新聞のてんつくマンさんの記事です。
----------------------------------------
今回現場に行って、「平等」という言葉がどんだけ「クソ食らえ」か、痛感しました。
たとえば1300人の避難所に、おにぎりが1000個届いたら300個足りないからって配らないんです。毛布が1000枚届いても全員分の毛布がなかったら配らないんです。
「なんじゃ、この平等という言葉は?」って思いました。
やっぱり子どもやお年寄りから先に配って、「俺たちはちょっと我慢しようぜ」みたいな、それが日本の美徳だったじゃないですか。
この「平等」という言葉が本当に現地の人を苦しめていました。
ただ行政は行政で、不平等なことをしたら批判を受けるんですね。だから俺たちみたいなNPOは批判を受けてもいいから、とにかく弱者から配っています。
-----------------------------------------
おにぎりや毛布のことだけではないですね、今は。
家屋全壊とか、原発避難の保障問題もそうです。
「なんであいつはあれだけもらえるのに、俺はこんだけなの?」
と、いざ自分の損得“勘定”のことになると、“感情”的に平等不平等を振りかざして、モンスターになっちゃう人も多いのでしょう。

ホリエモンもこう言ってます。
「僕だけ実刑は不公平」「こんなことして誰が得をするのか」
++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
その中で僕だけ実刑というのは、不公平。ただ、世の中の真理は不公平なので、それはそれでしようがないかなとも思います。世の中は不条理で満ちている。僕ができることは、不公平であることを世の中に問うていくことです。
++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
そして、BLOGOSの記事、不幸に強くて不公平に弱い日本人より。
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大震災での日本人の振る舞いは世界中で賞賛されている。
不幸を分かち合い助け合い、略奪は起こらず、規律正しく、毅然とした態度は、日本人として誇らしい。

さて、復興作業において、日本人らしい気配りだなぁと思った事件をふたつほど紹介する。

全部で5千万円以上?避難所で現金配る2人組

現金を避難所で配るというかなり大胆な善意の行為をした方がいたのだが、
『話を聞きつけたほかの被災者からは「不公平だ」と訴える電話が市に寄せられており、市は「志はありがたいが、被災者に公平に配れる義援金として送ってほしい」と呼びかけている。』

■アメリカの慈善団体の職員のボヤキ(アメリカ人の友人から聞いた話)

100人いる避難所に支援物資の食糧を配ったときのこと。たまたま手持ちに80個しかなかったら、係員から「全員に配れず不公平になるので、結構です」と断られた。アメリカ人の友人は「食べない人もいるだろうし、なぜ断られたのか理解できない」と言っていた。

これらの話を聞いた当初は、そもそもボランティアの支援に平等を求めてもしかたないじゃない、と思ったが、すぐさま、この係員たちの気配りが、現場での混乱とストレスを最小限に抑えているのも事実だろうと思い直した。

苦難を分かち合い、等しく我慢することに日本人はとても強い。
自粛や節約が得意な国民性も「分かち合い等しく我慢する」特性から来ているように思われる。

しかしながら、特性というのは、表裏があり、強みになったり弱みになったりする。
つまり、日本人は不公平になった際に感じるストレスがとても大きいのかもしれない。

公平は難しい。
復興において優先順位をつけることは、公平性(正確には平等と言うべきであろうが)の観点からは外れることもあるだろう。平等でないストレスを抱えながらも、復興政策はメリハリをつけて、これから社会を担う世代が輝くインフラを作ってほしいし、その応援をしたいと思う。
--------------------------------------
完璧に、公平とか平等は難しい。
厳密に言えば、そんなの無理。
できるだけ少なくなるような努力は必要ではあるけれど、最後は仕方ない。
どこかで線を引いてあきらめないと。
そこで、どんなレベルであっても文句言う人はいるはず。
それも仕方ない。ホリエモンの言う不条理。
限られた時間の中という制約もあるので、どこかは捨てて進むしかない。
ストレスも抱え込んだままで、100点満点の回答ではないことを踏まえつつ、ベストソリューションを目指して切り拓いていくしかない。

どこからどのように復興に手をつけるのか。
どこからどのように節電対策をしていくのか。
どこからどのように財源を確保するのか。
どこからどのように原発を修正していくのか。

公平、平等、といういつまで議論し尽くしても結論は出ない、この難問に向き合い、
“完全”はないけれど、“敢然”と立ち向かっていくしかないのでしょうね。
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僕らはどう受け止められるのか

2011年05月05日 10時48分54秒 | 3.11
無事を祈る無事確認と、書きましたが、大船渡の友人O君のことです。

ずいぶん前にやっと無事が確認でき、電話で長いこと話しました。

そして、その後どうしてるのかなあ、また電話でもしてみようかなあ、と思っていた矢先、5月2日。
夜の八時過ぎ、突然彼から電話がありました。
『今、船橋にいるんですけど、会えませんか?』だって。
なんだよ、急に。

彼は大船渡がベースだけど、昨年末までいた千葉にもまだ仕事が残っているので、行ったり来たりの生活。

会いたかったし、聞きたい話は山ほどあるし、あまりにも急だけど、
『じゃ、家の近くまで来て。』と言って、会うことにしました。

もう何年も会ってなかったのだけど、見た目は変わらない。
笑顔で握手の再会。

ということで飲みながら話そうということに。

以下、すんでのところで逃げ延びて助かり、家族も皆無事だったO君の言葉を元に。
---------------------------------------
僕は今回のことを、どこに行っても熱く語る。
でも、皆、わかってくれないんだ。
それは仕方ないのもわかるんだけど、わかってもらえないのがもどかしい、口惜しい。

テレビの画面だけでは絶対にわからない、あの瓦礫の山の状況、独特の臭い、そこから感じるもの。
現場に立つことの重み。

大きな貯木場があって何メーターもある大きな材木が、波と一緒に暴れまくった。
火を噴きながら波の上を転げ回るガスタンク。
すべてが重くのしかかっている。

いくら話しても、ただニコニコして、「大変だったよねえ、無事でよかったね。」というくらいのリアクションしかない。
平穏な日常の中にいる人はそんなもんだ。

自分だって、大船渡にいる時とこうやって何も不自由なく過ごしている千葉での時間はまるで違う。
二重生活をしてると本当に不思議だ。
千葉にいると、あのおぞましい光景は他人事のようにも思えてしまう。
人間って、弱いよ、本当に。
だから人のことも責められないのだけど、少なくてもわかってくれようとしてほしいんだ。

皆、以前よりも優しくなって、千葉の仕事の仲間なんかいっぱい集まってくれて激励会を開いてくれたりもした。
でも、なかなか気持ちは伝わらない。
それが口惜しくて仕方ない。
わかってほしいんだよ。

人間てつくづく学習しないもんだ、とわかった。
大船渡の合同庁舎の壁には50年前のチリ地震のことが書かれていた。

“黒い波”

そんなチリ地震や他の津波の教訓がまるで生かされていない。
先人たちの苦痛や努力の歴史。
後世の人たちへの安全や平穏を希求する熱いメッセージもあまりにも無力だ。

そういう意味でも、これは、誰が悪いとかではないけど、あきらかに人災だ。
日常という魔物にかかっては、どんな強烈なメッセージや思いもひとたまりもない。

“忘却とは忘れ去ることなり。
 忘れ得ずして忘却を誓う心の悲しさよ。”

僕がどんなに語り続けても、結局は受け止めてもらえない。
海の藻屑と消えていく。

あの日。
仕事で顧問先にいた。
地震が起こり、これはただごとではないと感じた。
車の渋滞が起きる前に、PCのデータだけ持って、逃げた。

ほんと、気が弱いんだ、俺。

その時まで話をしていたおじさんだって、強引に一緒に逃げようと言えば、助かっていたはず。
俺だけ助かって、皆、死んでいった。
マイクで叫んでいて、水門を閉めようとして、家族や老人を助けようとして、そんなちゃんとした人たちが皆死んでいった。
自分はどんどん逃げた。

自分は「死に損ない」だ。

誰も助けてあげられなかったこんなひどい奴だけが生き残ってる。
自分のことしか考えられなかった奴に生きてる価値があるのか。
気が弱い。怖い。カラダが震える。
人を助けなきゃ、と思う余裕すらなかった。
これでいいんだろうか。

偶然にもらった命。
生かされた人生。
もうどうでもいい。
本音で開き直ってやるしかない。
今まではまわりに遠慮したりしてたけど、もうどんどん弾けてやりたいようにやっちゃうんだ。
やるからねいろいろ。
これから復興に向かう大船渡で皆の役に立つような新しい仕事、やろうと思って考えてるんだ。
やっちゃうよ、俺。
やっちゃうけど、いいよね?いいんだよね?
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時として、大声で興奮して、
時として、涙でいっぱいになりながら、
しみじみ、むなしく、重く、辛く、
明るく、前を見て、希望に満ちて。

とっても不思議で強烈な彼との時間でした。

僕の中でも、どう整理しようか、まだしばらく時間がかかりそうです。

そんなことのあった今年のGW。
忘れられない連休になりました。
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地震について考える日々・その7・「デフォルトを変える」

2011年04月28日 15時51分51秒 | 3.11
「60年以上も全く戦争がないなんて、過去にはまったくなかったことだし、前代未聞だ。」
「普通ではありえない平和の中で暮らしているのだから、もっともっと感謝しないと。」

と、言われていた矢先の311。

戦争ではないけど、それくらいの大事件、大激震。

それに伴う我々の意識、価値観の大変換。

小田嶋隆さんは、「ア・ピース・オブ・警句」の中でこう言っている。
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「パラダイムシフト」という言葉を使うのは、大げさかもしれない。でも、震災の前までは他愛なく笑って受け止めていられた様々なものが、受容できなくなっている。ということは、やはりこれは、気分の変動というよりは、人生観の変容に近い何かが起こっているということなのだ。
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311以前と以後。
まだまだ続く復興や原発や節電などの動きの中で、明らかに大きく何かが違っている。

戦前、戦後と同じように、震前、震後。

after311。

from311。

since311。

価値観がガラっと違う。

今までは、何かがおかしいとある程度は感じていたにも関わらず、ほったらかしにしてきた。
先送りにしてきた。
思考停止状態のままで時間がすぎてきてしまった。

最初はよかったけど、どんどん調子に乗って、何でも少しtoo muchになってないのか。

そのことの反省。自戒。

何が「普通」で何が「当たり前」なのか。

電気の明るさは?
都会のネオンは?
冷暖房は?
車の使い方は?
エスカレーターは?
深夜営業は?

便利さの基準は?

そこまで便利に、楽に、する必要があったのか?
誰が求めたのか?

東京への一極集中は?
近代化は?
経済成長は?

幸せってなに?

もう一度全部見直した上で、「当たり前」の基準値を変えないと。

デフォルトを変えること。
震災後標準。

経済発展ありきではなく、30年前、40年前の当たり前からイメージを再出発させよう。
今までの当たり前を疑ってみて、
「無くては生きられないもの」と、「無くてもいいもの」を識別していく。

そして、自らの意志で選択した新たな暮らしを作っていこう。

節約する。我慢する。
大変なことだけど、昔はそれが当たり前だった。

太陽と仲良く、自然をもっと感じて。
暮らし方も、その価値観も、懐かしいものが復活する。

ここで、リセット、再起動する。

原点回帰をする。
ものごとの本質を立ち止まって考えてみる。

しかし、単純に何もかも昔に戻すわけではない。
技術も経験もすべてうまく生かした上で、のように、螺旋的発展を遂げていく(田坂さんの弁証法の話)ように自分たちの暮らしをデザインする。

我慢、節約、不便、寂しい、辛い、という方向ではなく、

元気に、明るく、楽しく、作って行けるように、皆の知恵を総動員して、我々が納得できるような誇るべき新たな時代を築いていければ。

GWを迎えるにあたり、気持ちのいい日差しの中で、まだまだもやもやしつつ考えていきたいと思っています。
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地震について考える日々・その6

2011年04月22日 17時56分24秒 | 3.11
まだまだ仕事も自身の生活も地震の影響が大きいです。
3月にできなかったこと、延期になっていたことも含め、一気に襲ってきていて、名人戦第二局(あー、なんと、羽生名人2連敗か。しかもかなり早い時間の終局。)もじっくり味わうこともできず(録画も見てない・なんでBSの聞き手は女流でなく男性アナウンサーになっちゃったの?今回だけ?)、誰かさんのようにブログをなかなか更新できない日々が続いてます。

さて、話は変わって、こういう時期でも、不謹慎と言われようとも、笑いを忘れたらだめだと言うことで、デーブ・スペクターさんはtwitterで毎日何度も(くだらないのも含めて)しっかりと笑いを振りまいています。

早くお休みしてゼロになってほしい→シーベルトの子守唄

候補者が失言を競う→トチリ選挙

どうしても英訳出来ない日本だけの英文法→現在官僚形

水戸で放送されている人気深夜ラジオ番組→オール納豆ニッポン

菅総理「煽動」はダメですが「先導」はして下さい。

そういえば菅総理になって内閣メールマガジンがなくなりました。いま思えばその時から「メル友ダウン」してたのかも。

似たような芸風でつぶやいていたのが、棋界のデーブ・スペクターと異名を取る(?)米長会長。(最近どうも芸風が変わったようですね。)
これは昨年のtweetですが。

「おい、一杯やろうよ」「俺、飲まねえ」「どうして?」「ノーマネー」

羽生善治は強すぎる。日本外交は弱すぎる。その違いはなんだろう?羽生は正座。もう一方は土下座。

「昇進試験で、また後輩に抜かれた。フゥーッ」「あなたは初めから小心者なのよ」

サッカー開催地はカタール。FIFAの理事は金が動くって噂だけど?「語るに落ちる」。

「県庁の人はきちんとやってくれたかい?」「全然だめ。ケンもホロロでした」

日本国債格下げ。「そういうことに疎いので。酷妻の評価の方が氣になります」

そんな方々に影響を受けて(いや、もともとの性格だという噂もあるけど)、できるだけ笑いやユーモアを取り戻すように心がけています。

昨夜も千葉では震度4の地震(余震)がありました。
結構揺れたけど、もうカラダがかなり慣れてきましたね。

でも直下型とか、倒壊、じゃない、東海とか、またでっかいのが来るという説もあり、我が家ではまだ玄関に厳寒でも耐えられるような装備一式の入った夜逃げ用リュックが置いてあります。

ああ、こんなに長く続くとしんどくてたまらないですね。

いつでも揺れてるシンドロームにかかってるようです。

余震はもうよし(ん)にしてよ。

よう辛抱できへん。

よしんば軽い揺れでも気持ちが落ち込んでしまって。

しんさい(繊細)な性格だから、自信がなくなる。

日々、ニュースやネットを見つつ、被災地や被災者のこと、そして応援消費のこと、自分のできること、今までの価値観を見直すことなど、いろいろ考えてしまっています。

昨日、福島の避難所を訪れてとおりいっぺんな言葉をかけただけで帰ろうとした菅さんに、
「なに?もう帰るのか?」と食ってかかったおじさんがいた

もし僕が菅さんの立場だったら、どうするのか。
もし僕が避難所のおじさんの立場だったら、どう食ってかかるのか、かからないのか。

どのように復興すればいいのか、再生するべきなのかも含め、会う人たちとも地震関連のことをいろいろ話したりしつつ、さらに自分の中で整理整頓しつつ、ブログにもまともな記事を書きたいなと思っているのだけど、いろんな情報や話を聞く度に気持ちが揺れている今日この頃です。
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地震について考える日々・その5

2011年04月18日 23時58分26秒 | 3.11
先週、二年ぶりに人間ドックに行ってきました。
胸腹部CTスキャンをやったけど、10~20ミリシーベルトの被曝量とか言われています。
1分でそれくらいという説もあるので、10分以上やってたので、そうなると人体に影響があると言われる100ミリシーベルトに達してしまいます。
汚染ホウレンソウなど全然目じゃないです。
もう、何でも来い、というくらいの被曝をしてしまったかもしれません。
外部被曝、内部被曝とかもあり、まだまだこの辺のことよくわからないです。

なんてことで、相変わらず地震や原発でいっぱいいっぱいの日々。
いろいろ考える上で、刺激を受けたサイト、共感した言葉などをいくつかご紹介します。

『森は海の恋人』の畠山重篤さん。
その運動がふたたび不死鳥のように蘇りますように。
またあの美味しい牡蠣が食べられるように。
ぜひ、ご支援のほど。

一色伸幸さんのtweet。
ほんと、いろいろなこと、たくさんほったらかしてきたよ。
だめだよなあ、オレ、とつくづく。

"開戦を祝って提灯行列をし、反戦記事を載せる新聞の不買運動をしたのは庶民。敗戦になると責任を軍部に押しつけて被害者面。原発が危険なことは誰でも知っていた。詳細を学ぼうとしなかった僕たちの怠惰。「♪みんなウソだったんだぜ〜」よりは、「♪ ずっと無知だったんだぜ〜」と自分を嗤いたい。"

ピーピングしのすけのふしあなから世間 - 毎日jp(毎日新聞)から。
避難所のおじさんがみんなに聞こえるように大きな声で言う。
「なあ、みんな。俺たちは大丈夫だよな。食べるものも少ししかないし、酒もたばこもなくて早寝早起き。こんな毎日が続くと健康になっちまうな、ははははは」

津波でなんと自分の家のテレビの横に、半ばひからびてしまった大きなエイがいた。抱えて運ぶおじいさんは言う。
「お前も災難だったな」

少々なまりのあるしゃべり方でなんとか笑顔をつくろうと絞りだすように言う被災地の店主。
「これからは前向きにいきたいと思ってるんだけど、どっちが前だかわからねえよ」

東日本大震災:「放射能怖い」福島からの避難児童に偏見 - 毎日jp(毎日新聞)
南相馬市の小学生の兄弟のあまりにもひどいケース。
子供の頃のおぞましい言葉、「えんがちょ!」を思い出してしまった。
寂しい限り。

「兄弟は小5と小1で、両親と祖父母の6人で震災直後船橋市内の親類宅に身を寄せ、4月に市内の小学校に転校、入学する予定だった。
 兄弟は3月中旬、市内の公園で遊んでいると、方言を耳にした地元の子供たちから「どこから来たの?」と聞かれた。兄弟が「福島から」と答えると、みな「放射線がうつる」「わー」と叫び、逃げていった。兄弟は泣きながら親類宅に戻り、両親らは相談。「嫌がる子供を我慢させてまで千葉にいる必要はない」と考え、福島市へ再び避難した。」

なんかいろいろおかしいなーと思った話 - G.A.W.
『あの大量のがんばれ日本とか強いぞ日本とか団結は日本の力って、いったいなんなんだろう。ふつうの人たちのがんばりの許容量を超えたがんばれメッセージだけが大量に出回ってる。善意搾り出さなきゃいけないってことか。そうやって搾り出された善意どこ行くん。千羽鶴作ればいいん?
 今回、ネットあたりではよく「不謹慎」って言葉を見かけたけど、実はこの「不謹慎」って、人が本来「自然に」持ちうる「対岸の火事」に対する善意の量を超えるものを求められた結果、善意が暴走したものなんじゃないかと思ってる。やれることあんまりないのにやらなくちゃ!みたいな気分が空回りしてるような状態。』

境さんのブログから新しい政治の季節がはじまろうとしているという記事。

この地震で目覚めた感がした矢先の都知事選の結果。
日本新党と細川政権の話。
理屈っぽくて小うるさい団塊世代のおっさんの話。
キャンパスの立て看の話。
そして、安田講堂や連合赤軍の話。
それにしても、先週の日曜に高円寺で反原発デモが行われて1万5千人も集まったっていう事実はすごい。
新しい政治の季節が確実に訪れているということなのか。

岩手発の「復興の狼煙」ポスタープロジェクト
どのポスターもメッセージ力の強さが素晴らしい。
コピーもビジュアルも極めてシンプルなのに訴求力抜群。
クリエイティブの力を見直してしまうプロジェクトですね。

川島さんのご紹介のプロジェクト。
原発事故の影響による風評被害を防ごう!
おっちゃん、おばちゃんが食べたるで!


つべこべ言わずに何でも食べまっせ。
つい最近人間ドックでCTスキャンやってかなりの被曝したばかりだし、怖いものなし。
だって僕らの若い頃なんか、今みたいにしっかりした基準とかないから、よく洗ってないものとか、カラダにはよくない着色料だの調味料だの、平気で食べてたもんね。
ワタナベのジュースの素とか。(笑)
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地震について考える日々・その4・田坂さんの講演会

2011年04月13日 11時13分00秒 | 3.11
「無意識の怖さ」をはじめとして、過去何度も取り上げている田坂広志さんの話。

地震の後、ほとんどのイベントが中止、延期されている中、今やることに意味があるとのことで実施された3月23日の社会企業大学の講演。
首都圏といえどもまだまだ不安でいっぱいの時、凡人さんと一緒に行ってきました。

枝野さんが会見で言っていたようですけど、原子力の専門家でもある田坂さんは、先日、総理から福島原発事故対策のため政府に助言をする役割の内閣官房参与に要請を受け、就任されたとのことです。

この講演会の様子がユーチューブで見られますので、お時間のある方もない方も、田坂さんをご存知の方もそうでない方も、ぜひご覧ください。

田坂広志 「東日本大震災 いま、あなたに何ができるのか」

以下、田坂さんのメッセージです。
-------------------------------
 いま、我々は
 東日本大震災の惨禍と混乱の中にあります。

 この惨禍と混乱の中にあって
 いま、我々は、何を考えるべきでしょうか。

 この東日本大震災。

 二万人を超える方々が命を失った
 この大震災と大津波。

 それは、なぜ、起こったのか。

 いま、我々は、そのことを考えるべきでしょう。

 ただし、その意味は、決して、
 日本は地震国であったから
 日本は島国であったから
 そういう意味ではない。

 そうした「科学的説明」よりも
 大切なものがあります。

 「意味」を感じる力。

 それが、いま
 深く問われています。

 そして、我々の心の奥深くには
 いま、共通の感覚が、ある。

 この大震災は
 起こるべくして起こった。

 その感覚が、あります。

 それは目の前にある、現実。

 混迷する政治
 低迷する経済
 共感を失った社会
 倫理を忘れた経営
 働き甲斐の無い労働
 浮薄な文化
 弛緩した精神

 実は、我々の誰もが、そのことを感じていた。

 そして、我々の誰もが、心の中で感じていた。

 いつか、この国は、経済の破綻に直面する。
 そのとき、我々日本人は、
 大切なことに、気がつくのだろう。

 誰もが、そのことを、心の中で感じていた。

 この、我々の中に、共通にあった感覚。

 しかし、実は、この感覚の中に
 すでに、甘い認識が潜んでいた。

 2011年3月11日。

 何が起こったか。

 政治、経済、社会、文化の
 すべての破綻を遥かに超え
 史上空前の危機がやってきた。

 一瞬にして失われた、二万人を超える
 尊い命。

 いま、誰もが、この事実の前に、
 言葉を失い、茫然と立ち尽くしている。

 しかし、この最も痛苦な時期だからこそ
 我々が、自らの心に、深く問わなければならない
 大切な問いが、ある。

 この方々の尊い命は、なぜ、失われたのか。

 その問いを、問わなければならない。

 そして、その問いを通じて
 我々が、気がつくべきことが、ある。

 この方々が、その尊い命を賭して
 我々に、教えてくれようとしたものが、ある。

 そのことに、気がつくべきでしょう。

 では、それは、何か。

 この講演では、そのことを語りました。
----------------------------------------------------

東日本大震災はなぜ起こったか?

田坂さんは、「この大震災は起こるべくして起こった。」と言っています。

このことは、我欲で天罰だ、と言われた方の発言とも共通する部分もあるのかと思います。

我々が、大事なことをほったらかしにしてきたこと。
もっと便利に、もっと快適に、もっと楽をして、もっと優雅に、もっと、もっと、と調子に乗り続けてきてしまった。
なんとなくはわかっていたのだけど、反省も自戒も次回繰越にしてきてしまった。

このブログがしっかり言い当てています。

日本人の価値観にまで踏み込んで原発問題を考えるべき時が来たのだと思う
+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
日本人が大切にして来た価値観の喪失がある。

誰もが「大学を出て、都会の会社に勤めるのが一番の幸せ」という、たった一つの作られた価値観に縛られて、多くの人たちが首都圏に移動してサラリーマンになろうとした結果が、「遊ぶ時間もなく塾に通う子供たち」であり、「地方の過疎化」であり、「跡継ぎのいない自営業」であり、「一度大学に入ったら勉強もせずに3年生で内定をもらう大学生」であり、「結婚しない若者たち」であり、「コンビニで買った弁当を子供に毎日食べさせる親」であり、「地方に押し付けられた原発」なのである。

そういう価値観の部分にまで一歩も二歩も踏み込んだ上で、「これからの日本はどうあるべきか」を考えない限り、原発問題は解決しないと思う。
+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

我々の中にあった共通の感覚。
田坂さんの話はずっしりと重く響いて来ました。


 「今まで、自分以外の誰かがこの国を変えてくれるだろうと漠然と思っていた。
 この日本という国は生まれ変わらなければならない。
 この国が長く続いた混迷の時代を越え、素晴らしい国へと生まれ変わらねばならない。


 「そのために今我々がすべきことは何か?
 立ち止まって見つめるべきこと。
 この思いを風化させずに心に刻むこと。
 瞼に焼き付けよう。胸に刻もう。」


 「大地震と大津波。
 人間に対して分け隔てない出来事。
 年齢、性別、地位など関係なく襲いかかる災難。
 ほんのわずかな人生の偶然の違いで自分もまた被災者になったのではないか。
 あの方々の姿は実は自分の姿ではないのか。
 その共感を胸に抱き、今我々が為すべきことは何か。

 為すべきことはただひとつ。

 それは“目の前の仕事”。



 「仕事のかなたに何を見据えているのか。
 日々の仕事を通じて素晴らしい日本を作るという気持ち。
 使命感。志。思いが籠もっているか。

 “人生を賭して信じていることがあるのか?”
 それが問われている。」


 「人生において起こる出来事には必ず深い意味がある。」


 「人生において起こることはすべて良きこと。」


 「辛い現実を前に、この意味を深く見つめ、いつの日か必ずこう語れるように歩みたい。
 “あの方々のお陰で素晴らしい国ができた。”と。」



 「3.11に起こったこと。
  日本人全員の原体験として心に刻むべき時。
  いつの日か必ず語ろう。
 “あの時、この日本の再生が始まった。”と。」

まだまだ原発、余震で落ち着かない日々。
被災地の方々の痛みをできるだけ自分のものとして感じつつ、日々の仕事や生活をしっかりやっていかねばと痛感する今日この頃です。
コメント (1)
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