波風立男氏の生活と意見

老人暮らしのトキドキ絵日記

凜とした名古屋の校長

2018年03月18日 | 新聞感想

題になっている前文科省次官の学校講演に対する調査圧力。記事にある調査目的に笑う。要するに、言うこと聞かず凹まない前川氏へのいらだち、不当な学校教育への脅しと介入。官僚による政権政党への忖度も浮かぶ。森友の次は加計だからなあ。それにしても、辞職した元上司に対して「道徳教育が行われる学校の場に、どのような判断で依頼されたのか」と執拗に現場校長に聞く元部下がどこにいる!教育行政トップが反道徳的な仕事して恥じない酷さ。

該校長が立派。自分が良いと思った話しを子どもたちに聞かせたい、という教育観。同時に、「文科省が内容を確認したい気持ちは分からなくは無い」という絶妙な配慮。加えて、録音提供に対し「前川氏の了解が得られていない」と拒み、「調査の意図はきちんと聞いておかなければならない」と言う市教委の対応。現場と地方教育行政の適切かつ道徳的な大人の仕事ぶり。こういう教育関係者の努力が、年々子ども不在がつのり、上に対し「忖度」せざるを得ない学校教育で、ギリギリのところで子どもたちを守っている。


「波風食堂ごっこの計画」の続きはいつでも書けるので次の機会に 🍙近日中に中身忘れるだろう、「むすびや」(穂高明著:双葉文庫)読む。おむすび屋の跡継ぎと取り巻く人たちのドラマ一切無い軽い物語。「食堂」あしらった表紙が良かった。昨年刊で110円の古本 3月は例年うつうつとして弾まない。忙しさに紛れて過ごしてきたが無職の今年は‥‥。雪が早く融けないかなあ。

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波風食堂ごっこの計画

2018年03月16日 | 日記・エッセイ・コラム
調理と食事と読書が出来る。音楽も聴けるし珈琲も飲める。木工作業もできるし小さな絵も飾れる。ロフトがあるので寝ることもできる。便所は無いが13歩先の本宅のを使う。風呂も無いがそもそも嫌いだから入らないことにする(笑)。暖かくなったら、三日三晩寝泊まりしてみよう。何だかワクワクする。だいぶ「変なおじさん」に進化してきた。この感じ、この感じ(笑)
                                               
の改装作業一旦休み中、「波風食堂」(以下「食堂」)の使い方を思案する。住処の本宅中心主義から、食堂中心の暮らしを妄想する。そろそろ、開店日やメニューなんかも入った『波風食堂ごっこ運営計画』を作らなければ。家に来る人、家に来る人、「まだあ?」なんて聞く。「まだだったけど、そろそろだよ」と答えるこの頃。メインメニューの『うどん』も手作りし「まあ食べられるなあ」ほどになり、建物の方も「まあ座ってられる」ぐらいになり、ごっこ遊びの道具は揃ってきた。(次回に続く)


画像は雪に埋もれている食堂入り口付近。レトロな電灯の上に軒つける予定冬道の神経戦」で裏ブログ更新  ブログ更新は風呂に入ったよう。「やるべきことをやった」晴れ晴れとした義務達成感。「だったら毎日(お風呂へ)入れば」とママヨさん。そういかないのが人生なんだよ。

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『最後をどう迎えるか』を考える。

2018年03月13日 | 読書

間死者数130万人(2016年度)は、20年前の1.5倍の「多死社会」の表れで、ピーク時には推定168万人(2040年度)になるという。本書冒頭「最近、周りや身内の不幸が増えてきたな……。」から一気に、『ルポ 最後をどう迎えるか』(共同通信生活報道部:岩波書店)を読んだ。昨年の賀状欠礼の連絡約40通、香典10件は、「自分の年齢が上がったから」と思っていたが、それだけではなかった。この大きな流れの真ん中近くに、波風立男氏もママヨさんもいる。

し前なら「まだまだ」と思っていた、在宅医療、延命治療、認知症、孤独死、看取り、、葬儀やお墓、「ピンコロリン」なんていう言葉が、スイスイ頭に入る。3年前に逝った母とのことが大きい。元気な頃、一緒に家の片付けをしながら「最後をどう迎えたいのか」を聞いた。その時に生き方に見あったしめくくり方だと納得。人は身近な人のしめくくりに接して我が身の準備を始める。それは、「死」を避けず正対する心構えから始まる。そうでなくては、来たるべき時に不安や悲しみで一歩も動けない。人は必ず死ぬ。これが真実だ。一旦休止のエンディングノートを再開しなくては。

し変わるが、今日の朝日は満を持して「財務省の公文書改ざん」一挙特集。新聞が暴かなければ騙され続けられるところだった。それにしても、アベ氏とアソウ氏の言い訳はどうかと思う。結局、政治家としての矜持もなければ、ものごとの「最後をどう迎えるか」の覚悟もない方々なんだろう。洒落たつもりの帽子が何とも空々しい。「最後をどう迎えるか」は生死に限ったことでも責任の大きさでも無く、ものごと一つ一つの何度も迫られるしめくくりとして意識したい。その果てに、最後の迎えかたがあるわようだ。

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書き言葉のお礼

2018年03月09日 | 日記・エッセイ・コラム

をいただいた時、ハガキでお礼をする。10年ぐらいになる。電話でそうしていた時は、かける前も、かけている最中も、とても落ち着かなかった。こちら側の都合で、親切にしていただいた方を、相手の都合を無視して電話口にわざわざ来て貰う失礼を感じていたからだ。このことは前にもブログに書いたことがある。

ういう人なんだ、とわかってもらうのに10年ぐらいかかった。年賀状もそうで、必ず一言を書き続けていたら、印刷だけの方々の大半から一言書いたのが届くようになった。そうして欲しいと願ったわけではないのに、気づくとそうなっていた。電話やPC印刷機は何かと便利だけど何かを落としてしまう不安がある。人間関係は、便利なほど浅く、不便なほど深く通い合うのかもしれない。

側の一句は、「野生と知性の人」から昨日届いた葉書から。朝5時25分ごろの歩道で、とあった。雪の中の微かな紅色が、人生の色香に及ぶ鮮やかさ。般若心境の写経などをいただきそのお礼をハガキで送ったら、こういう贅沢なお返し。左画像はお礼の一筆を収める封筒(裏側)。苺いただき、伝えたいこともあり便箋使った。白い封筒では物足りない気がして、赤いのを並べてみた。


公式裏ブログを「私、パチンコの味方です」で本日更新済み昨日、3度目になるうどん作り。水と塩と饂飩粉の加減がうまくき作業がスムーズ。出来上がりも今までで一番。掻き揚げで夕食。残りをニラと卵であんかけにしてみるかな 働き方改革と森友疑惑の実にいいかげんな関係資料。ここにきて、立法と行政の根本問題噴出。

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老人生活のロゴ

2018年03月05日 | 日記・エッセイ・コラム

字仮名交じり文で書くと『ぱなし憎』(「ぱなしにっく」と読む)。意味は、家事全般をやりたがるが、やりっ「ぱなし」が多くまあ憎たらしい。料理はやりたがるが洗い物や後始末はしない、ホコリなどは小型掃除機でこちょこちょと吸い取っているが拭いたり掃いたりの本格掃除の時は見てみない振りをする、ゴミは捨てに行くがゴミ袋に入れてもらわないと働かない、なんてことだらけなのだ。パナシニック命名者はママヨさんで、言われてるのはもちろん立男氏。退職老人の家事協力(こう書くところが既に大間違い、家事共同者でしょう!と言われる)の出発点では誰しもこんなところのはず。最初から上手くなんかいかないし、言われてすぐに「そうですね」と態度をコロっと変えるのは気持ちが悪いよ。ねえ、ご同輩。

像の「パナシニック」は、某巨大家電メーカーの有名ロゴのパクリ。この書体を使った他のロゴを目にする度に、この家電メーカーをイメージさせるというデザイン戦略というから凄い。グローバルなのだ。画像のロゴは、本家のロゴデザインをPCで加工した遊びだが注意しないと本家と間違うだろう。既に、私たちは術中に填まっているのだ。ナショナルでは全体主義の悪いイメージが、松下では世界に通用しない、ということで元々は音響製品のブランド名、パナ(世界に向けた)+ソニック(音)を会社ブランドに昇格させたらしい。波風家にこの企業製品は少ないが、競争相手の弱電メーカーは次々に何かしでかし凋落。だから、このフォントと青色が、安心確実なイメージをじわじわ際立たせている。


ご招待、掻き揚げうどんランチ」で裏ブログ更新しました 「手塚治虫の仕事 生誕90周年記念」(雑誌「PEN」3/1号)、波風書庫の永久保存用図書として購入。漫画の凄さを知ったのはやっぱり『新撰組』だったと再確認。「性と生」の凄まじい追求を再確認杏仁豆腐に潜り込ませる果実は、モモより蜜柑が良いようだ。

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