波風立男氏の生活と意見

老人暮らしのトキドキ絵日記

「文春 11月号」を読む

2015年10月26日 | 読書

 「大特集 日本再興の鍵は教育にあり」(池上彰・佐藤優)に目がいった。対談部分も義務教育関連も少なく、新味無くつまらない。ただ、『教育』は今売れるんだと思った。「特集 世界の光景が変わった 安倍外交が対峙する『日本の敵』」もつまらない。VW問題載せてTPP問題、沖縄基地問題無いのは不思議だが、米国は外国と違う、米国と外交問題は無いと言うなら、これはこれで覚悟ある姿勢だと思っていたら、あったよ。「大放言トランプに熱狂するアメリカ」。こ、これを挙げるの?                                             
                              
 良かったのは「百歳を越えた先には何がある」。96歳俳人の金子兜太氏の話はいつも面白い。「長寿の母うんこのようにわれを産みぬ」、なんだか凄い。対談者の医師が百寿者に共通な性格として「誠実性」(意志が強く几帳面、頑固)、「外向性」(社交的で派手好き)、「開放性」(創造的で好奇心やチャレンジ精神が旺盛)をあげている。加えて、女性は一家を取り仕切るゴッドマザーのタイプ、男性は新しもの好きで飄々としているタイプ、両者とも人生を肯定的にとらえ、健康に気をつけている方とか。
                 
 あの武藤議員、山口組、「SEALDs」、五郎丸、川島なみ美…と興味ある話並べるが週刊誌広告(読む前に内容の予想がつき、その予想はほぼ当たってる)に毛が生えたぐらいで、この種の雑誌の部数減もわかる気がする。立男みたいに物好きに読みブツブツ文句言うオジサンぐらいしか手にしないな。立男はそれでも総合誌を毎月数種類開く。週刊誌は恥ずかしく、ネットは無責任。雑誌では価値ある情報は難しい。長寿者とはこんなことブツブツ言わない方々なんだろうな、きっと。


 これも著者と題名で。「魔が差す年頃」(嵐山光三郎著:新講社」。実につまらなく、魔が差した選書。「75歳まで働いたらその後は好きなことする」と書く70歳の著者。50歳の時の名著「不良定年」の作者とは思えない。「両親が亡くなるといつ死んでもいいと思うようになる」でだけ立ち止まった。    ※ブログ内の関連記事→不良定年の原則50 是非ご参照ください。

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第77号/100日

2015年10月25日 | 【保管】腹ペコ日記

 100日

 腹ペコ家一同、まんまるなお顔になりつつある。腹ペコは寝不足と授乳による異常な空腹感から、ぱくぱくむしゃむしゃと食い散らかしている。相方さんも寝不足のため、ダイエットはしばらくお休みだ。ちょっとびっくりするくらい食べているにも関わらず、コンビの体重の増加がこの程度で済んでいることから、それだけエネルギーが必要なのだと思う。一方のまめたも、腹ペコ家の一員という自覚があるのか、コンビの食欲に負けずゴクゴク飲んでおり、発達曲線の一番上をきれいになぞる成長っぷりを見せてくれている。

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 そうして3人でプクプク成長しながら、先日無事100日を迎えることができた。思っていた以上に大変で、思っていた以上に笑顔の絶えない100日間だったような気がする。ここからまた新たな大変さも出てくるのだろうが、コンビで互いのファインプレーを誉め合いつつ、まめたの成長を喜びつつ、これからもドタバタと暮らしていきたいと思う。

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新聞週間に寄せて

2015年10月19日 | 新聞掲載

 2週間ぶりにPCでブログ書く。この原稿、とても慌ただしい中で書いたので内容をあまり覚えてなかった。留守中に取り置きしておいてもらったのが今日配達されて読んだ。同日の社説(10月15日 北海道新聞「新聞週間 世界と地域 つなげたい」)が立男の書いたことと重なる内容だったので興味深かった。

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【その234】 友人巡りの旅

2015年10月19日 | 【保管】一寸凡師コラム
 奈良の友人から贈られてきた「奈良グッズ」。せんとくんのマスコットがついたペンを見て荒馬さんと『せんとくんって、意外にカワイイね』。パンフレットの写真を見ても『やっぱり、雰囲気があるねぇ』。今年の年末も、帰省がてら「友人巡り」の旅を企画中。今年は奈良まで足を伸ばしたい。

 同じく長野の友人から届いたハガキと木札。彼は書家であり、天才木札職人! 凡師もこのような筆文字を書いてみたい。来年は「友人巡りの旅」に長野も。
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第76号/制度の思惑

2015年10月17日 | 【保管】腹ペコ日記

話題の本、『保育園義務教育化』。この本で大事だと思ったのは、冒頭の問題意識だ。母親になった途端、それまで権利とも思わずに当たり前にしていたことができなくなる、という部分に深く共感した。同時に気づかされたのは、専業主婦にも休む権利はあるということ。確かに、なぜ働いていないと子どもを預けられないのだろう。
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現状の保育園の制度は、女性を労働者と専業主婦に二分して捉えている。その中間の生き方だってあるはずなのに、制度が母親像を二分して考えていることが両者の争いを促してしまっているように思う。働くお母さんのほうがすごいわけでも、育児家事に専念するお母さんのほうがえらいわけでもないはずだ。どちらもすごくてえらいのだ。なのに新聞のコラム等を見ると、この両者が、あるいはこの両者の代弁者が言い争っているようにみえる。
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そして感じるのは、言い争いになってしまうほど「お母さん」たちは一生懸命で余裕がないのだということ。両者の悩みの根源は、同じところにたどり着くんじゃないかと、まめたを抱きながら思った。

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