波風立男氏の生活と意見

老人暮らしのトキドキ絵日記

【その103】 また逢う日まで 逢えるときまで

2013年03月23日 | 【保管】一寸凡師コラム
 

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 職場の送別会。司会の大役を任された。12月104_2
の忘年会はオール「凡師プロデュース」だったが、今回は司会のみ。凡師の暴走を恐れた親睦会の賢明な判断。とはいえ、送別される方々に対する感謝の気持ちを伝え、新天地でのご活躍を凡師流に祈りたい・・・、そんな思いで送別会前日の22時、「マイク」ではなく「筆」を握った凡師。

 まず作ったのは横一文字。「送別会」の文字だけでは凡師流ではない。頭に浮かんだのはあの名曲「また逢う日まで」。横一文字にはでっかく「また逢う日まで 逢えるときまで」の文字を。次に考えたのは、送別会をやる部屋の入り口に貼る「お店の看板」。本格的な物は作れないので模造紙で作成。店名はもちろん架空。今まで共に歩んできた職場の仲間に凡師流のメッセージを込め、店名は「ファミリー居酒屋 サバイバル」に決定。看板を作ったところで、今度は会場の入り口に暖簾が欲しくなった。布で作っている時間はない。思いついたのは、新聞や段ボールなどを結ぶ時に使う「ビニールひも」。これを30センチぐらいに数十本切り、ガムテープで棒に固定。あとはキリを使ってビニールひもに切れ目を無数に入れていく。これで「腰みの」のような暖簾が完成、準備は完了。

 昨日送別会本番。さみしい気持ちを吹き飛ばし、みんなで明るく元気に送別したいとの思いから、転出者が入場する時の曲は「猪木ボンバイエ」。この時期、日本中で送別会は行われているが、アントニオ猪木のテーマ曲で入場する送別者はいないだろう。思いやりの心とはナンバーワンではなくオンリーワンなのだ。

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「加賀乙彦 自伝」(加賀乙彦著:集英社)

2013年03月22日 | 読書

Photo  立男は、自分の寿命が72才ぐらいだと踏んでいる。29歳と58歳で2回入院したが、それは父親の亡くなった年齢の倍数。偶然だが因縁みたいなのも感じる。最初の入院でこの数字浮かび以後消えたことが無い。だから、2回目の入院も最初は驚いたが、「仕方が無いなあ」という気持ちもあった。3倍が87だがそこまでの自信はない。72歳はその真ん中あたりの数字だ。
 そう考えると、残された時間は次の辰年までぐらいだから多くない。退職の次の日から再就職し、「俺は本当は、何をやりたいんだ?」を考える余裕も無かった1年が終わる。

 「加賀乙彦自伝」はそんなことを思いながら読んだ。300頁のハードカバーだが、春休みの昼間、一気に。医師で小説家の自伝だから、文学と医学の専門的な話題も多いのだが、阪神大震災が題材の「夕映えの人」読んだ時の感慨に似て、香るような簡潔な文体と誠実な生き方で苦にさせない。深いことをわかるように書いてくれる。84歳の作者の生きた時代が、立男の母のことを考えさせられた。そして、母のことをあまりに知らなかったことも。

 
読書感想は公式裏サイト「波風食堂、準備中です」で記録。強い刺激をうけた一冊は本ブログにも 昨日、春直前で冬が自己主張する道内猛吹雪ニュース。おだやかな最北の地、このまま静かに4月を迎えますように。

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この頃のこと

2013年03月18日 | 日記・エッセイ・コラム

2幸さんのピアノと高校の先生のクラリネットの小さなコンサート。海のそばのレストラン。曲目にママヨさんの大好きな「展覧会の絵」、30分間のピアノを短く感じた。小幸さんの、激しい肉体労働的演奏にひらひらした菜の花みたいな黄色いドレスの取り合わせが印象的な春の夜。終わってから、トマトとクリームソースのパスタいただく土曜の休日。
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学の卒業式は日曜朝。四半世紀前、中学校担任の時の教え子2人、働きながら夜に大学通学して卒業迎えた。立派な卒業研究もやり遂げて。嬉しい。教職免許取得の4年生もスーツ姿で。教壇に立ってからが本当の勉強。パイプオルガンの荘厳な音色流れる講堂。
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理…一昨日はチャーシュー麺。(チラシ寿司で使った南蛮海老の頭をすり潰した濃厚出汁)+(「八方美人」の和風出汁)+(煮豚の煮汁を濾過した中華出汁)のスープで。煮卵ともやし添えて。昨日は、アボカドとマグロ(づけ)と長芋の山海丼。TV【ためしてガッテン】で知った「50度の湯で10分」のバナナ入浴やってみる…なるほど確かに旨くなる。一昨日仕込んだ「牛肉の味噌づけ」は本日の夕食用。特売の食材で、15分以内の一手間かけて、なるべく旨いものを…そうでなければ続かない。

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【その102】 ホワイトデー

2013年03月16日 | 【保管】一寸凡師コラム

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   昨日ホワイトデー。ホワイトデーにお返しをするという風習は、世界的に見ると少ないようで、Photo
「商い」の臭いがプンプンするが、凡師も荒馬さんにお返しを用意。息子は、学校で先生から頂いたホワイトデーのお菓子を食べずに帰宅。そのお菓子を荒馬さんに「バレンタインデーのお返しだよ」と言って渡したそうな。 やるなぁ、息子。しかも渡したお菓子は結局息子の腹の中という、まさに凡師家のリベロ(サッカーのポジション名。自由に守ってチャンスがあれば攻め る。)っぷりをいかんなく発揮。(ちなみに凡師家は全員リベロ。常にポジションが被る。) 


    凡師が用意したプレゼントは、週末に届く予定。荒馬さんはもちろん家族全員で楽しめるもの。 脳トレのつもりで、家族みんなで取り組みたい。

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公式裏ブログ「波風食堂、準備中です」、さきほど更新しました。右袖 からどうぞ。

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あれから2年

2013年03月11日 | 日記・エッセイ・コラム

 東日本大震災から2年。天災と違う、人災の福島では「原発避難、Photo
5.4万人(今後4年帰還できない避難対象8万4千人中)」、64㌫が復興進まず、戻るつもり無い人のうち78㌫が放射能で戻られないとするアンケート結果も今朝の朝日に。
 今更ながら、超高額な原発「電気」料に驚嘆。家も仕事も失い、住めない家のローンまで払い続けても元の生活に戻れない金額、そんな電気製造器の世話になっていたのだ。電気のお代に命まで差し出す気は毛頭無い。原発のお世話になるには覚悟が必要だ。誰だ?原発が一番安いと言った奴は…。

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 原発は人間が使いこなせる代物でない。作り、動かせられたにしても、おいそれ片付けられない欠陥機械。大丈夫、大丈夫と言っていた安全神話学の専門家たちは今どうなされているのか。あの時、原発事故の専門家でもなんでもない消防や自衛隊の方々が上からの命令で、必死の作業をされた。使命感ある立派な方々だ。だがそれは、この国には原発事故の対応策も体制も無いことの証明でもある。何とまあ恐ろしいことだ。未だ事故の責任も原因もわからず、後片付けの方法も不明なのに原発再開を口にされる偉い人もいる。エライことだ。
 昨日のTV(NHKスペシャル「メルトダウン」)、新聞(3/4朝日「撤退という選択肢-意識しないまま準戦時体制」)…立男は、この人災で詳しいことを知らないから断定はできない…だが、今何が問題なのかの話がやっと始まるかもしれないと思いたい。原発再開はそれからの話、ということだけは即断できる。

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画像は「わたくしたちの成就」(詩:茨木のり子、童話社刊)。詩人、2006年ご逝去。表題は、詩「急がなくては」から。生前未発表の、亡き夫を恋い慕う愛の詩集。この詩人の別の面を見るような。無意識に「3.11」と重ねて読む鎮魂の今朝 東日本大震災、全体の死者1万5882人、関連死認定者2303人、行方不明者2668人、避難者31万5196人【復興庁まとめ-3/12朝日新聞より】

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