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欠片と断片


数週間前、1~2か月ほど前にアップした記事へのコメントがあり。
正直、煩わしさを感じていたもの、返信コメントを送っていた。
しばらく、ボケっとしていた。
自分の正当性を、主張したいのでもなければ、その逆でもなかった。
それらのコメントに刺激されて、あることに気が付いたからだった。
もう12年以上前、このブログ「はんぐおーば」を開設したとき。
ある類の“こと”は、記事としてアップしないようにしてきた。
それを、今は、平気でやっている。




数年前、職場の同僚の起こした不始末から、
職場にいられなくなった経験がある。
(関連する過去の記事⇒)
当時、直属の上司だった男が言うには…。
多くの人は、何かがオカしい?
間違っているのでは?と思っていても黙っていることは、
難しいことではないらしく。
それが、彼のいう“常識”らしい。
だから、「お前はオカしい」とのことだった。
そう、何故、黙っていられなかったのだろうか?
おそらく、自分はバカなのだろう。
バカだから、理不尽な状況に対して、
正しい行動や判断も出来ず、声を上げることしかできない。
もしかしたら、自分が伝えたいことすら、
言葉として伝えられていないのかも知れない。

こんな言葉では、“なにか”が足りない!!
こんなことで伝えられているのか?
そう感じながら、何も思い浮かばない。
己の未熟さにイラ立ってしまう。

蛇足:

この記事の内容は誤解される可能性もあり得るだけに、
間違った印象を与えないことを考え、何度か書き直しています。
その影響でしょうか?
どうにも落ち着きのないものになってしまいました。
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ココ、最近(細菌)の事情と、街景色:秋葉原電気街2022年


この街は、子供時代の記憶とも重ねるものがあり、
そして、痛ましい記憶が、イヤでもよみがえる場所。
そんな街にも、新しい高層ビルが立ち並ぶようになった。
それは、開発業者などが…、
街がもつイメージを、不動産ブランドとして、
奪い取っているようにも感じるときがある。
そんな状況は、繁栄している…と言えるのだろうか?

このように感じてしまう根底には、なにがあるのかも分からない。
頭の中にある“もの”が、単純(シンプル)なものだからこそ、、
言葉にすれば、抽象的になってしまうものは少なくない。
それとも、自分の表現力が足りないだけなのだろうか?



ここ最近、コロナショックでのダメージから、
少しずつ回復しつつある、世間の空気もあってなのか?
どこか人々の気配も、慌ただしく。
何かと忙しくなり、落ち着かない日々を過ごしている。
こんな意識をふりはらうようにして挑まないといかないのも、
いつもの生活というところかな?

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もう一品、それと家にないもの:イモとケチャップ


一般的にも見慣れたものであり。
賞味期限も、(未開封であれば、1年近くと)あり。
一人暮らしの生活を始めた頃には、
スーパーマーケットなどで買ったものを、冷蔵庫に入れていたけど。
一人暮らしも長くなると、外食も増え、
賞味期限のうちに使い切れないことも増え、
今では買うこともなくなっている。
自分の食生活とは、無縁なものは消えていくことになるけど。
ケチャップの味というのは、そんなもの。
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平凡人生、どん底気分、だからこそ!?:2022年6月


このgooブログでは、
1年前に投稿した記事を投稿者へとメールで伝えてくれるサービスがあり。
(もちろん、この機能は設定によって変更できる。)

その1年前の記事を見直しているうちに、
イヤなことを考えさせられてしまうことになった。
関連する過去の記事⇒「非能社会:1年前と1年分」



今も、世界的な規模で蔓延した疫病(新型コロナウイルス)によって、
多くの国々の人たちが、
(精神的にも、生活的にも)大きな負担を感じており。
それに加えて、(プーチン政権下の)ロシアによる、
ウクライナ侵攻が起き、世界大戦にもなりかねない世界情勢となり。
その危機感まで加わるようになった。
一年前、こんな状況は、予想できただろうか?

ここ数ヶ月、プロパガンダという言葉を、耳にする。
社会や歴史の授業で習ったような気もするけど、
こんな言葉は、悪質なコメディ番組か、
古臭い映画でのことと思っていた。
これは、もちろん(プーチン政権下の)ロシアが、
ウクライナへと侵略行為をしたからであり。
現在でも、軍事独裁国家や紛争国家が存在するのも知ってはいたけど。
それを、あまり深く考えることもなかった気がする。
正直、学校の教科書レベルの知識でさえ、
「ロシアやソヴィエト連邦のことを知らなかった」と気付かされており。

かなり勉強させられることにもなった。
これは、あまり“ありがたくもない話”。
権力者や実力者、社会的な権威者が、
善良で道義的な人物であって欲しい…という期待や願いは、
それなりにある。
しかし、それが事実であるかは、別のこと。
自分の中で、他人への期待と事実を混同していたことを、
今は、少し恥じている。



今、テレビのニュース番組は、ウクライナ情勢かコロナ過のことばかり。
どちらも、いつ終わるのか分からないものであり。

しかも、戦争や暴力は…。
「お前は、無力で無知な存在でしかない」と、
突きつけながら、正解を教えてくれるでもなく。
どうしようもない気分にさせられる。
「こんなニュースばかりで、イヤになる!!」と言う声も、
あちこちで聞く。

それでも…。
この戦争が拡大するようなことがあれば、
世界大戦となりかねない状況は、誰にとっても他人事でもなく。
自分の国が、戦場と化してしまった方たちに対し、
”知らない”では済まされない。

面白くもないことばかりが続いているけど、
ここで、知らんぷりするのも、ちょっと非現実的。
まだまだ、踏ん張っていくだけのこと。
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