(前回の続き⇒)
三谷幸喜の監督、脚本となる映画「記憶にございません!」は、
内閣総理大臣が記憶を失ったことによるコメディではあったけど。
昭和の時代にも、政治家のセンセイが、自らの不祥事での答弁に行き詰まり、
「記憶にございません」と、苦し紛れの言葉を発したことがあり。
この映画は、タイトルからも、それらを皮肉ったものとなる。
政治家が、この言葉を用いるのは、“今更ながらのもの”でしかなく。
2016年にネパールで開かれた(統一教会の)関連団体の、
イベントに参加し、スピーチまで行なったとされる、
山際大志郎経済再生担当大臣が、バカの一つ覚えのごとく。
毎日、こんな“使い古された言葉”を使い回していると知れば、
笑えないどころか、背筋が寒くなってくる。
それに、日本には、憲法20条「政教分離」があり。
「いかなる宗教団体も、国から特権を受けてはならない」
「国及びその機関は、いかなる宗教的活動もしてはならない」
大臣が祝電やスピーチ、ビデオメッセージを送ることは、
これに抵触している。
たかが、祝電やスピーチの1つや2つとも思いがちにもなるけど、
政府の関係者という社会的にも重要な要職にある人物であれば、
大変な影響力となる。

宗教とカルトは、似て非なるもの。
今、カルト団体(宗教カルト)と、一般的な宗教団体とが、
同一視されていることは面白くもないと、
他の宗教団体が感じているような言葉が、ある討論番組においてあった。
政権と結びついた宗教団体(宗教カルト)に問題性があれば、
宗教だけの問題では済まされないものがあり。
それは、歴史上、何度もあったこと。
ここからは想像となってしまうけど…。
もともと、反日のカルト団体でもある朝鮮半島の統一教会にとって、
日本での活動に問題があれば、
最後の手段とばかりに、誰彼構わず、スキャンダルを暴露することで、
道連れにしていくという、下策中の下策、にでることも考えられる。
だから…。
問題のあるカルト団体と、自身も所属する政党との関りが、
世間に周知されたような人たちは、立場も微妙なものとなる。
これまで世話になった相手を見限れば、
仲間うちから、“裏切り者”として扱われ、どのような反撃があるかも知れない。
なんとか時間稼ぎをしながら、
“落としどころ”を模索したいのが、本音かも知れない。
この状況が望ましくもなければ、
統一教会(世界平和統一家庭連合)と、その関連団体の話題など、
人々から、遠ざけていくことで、
風化させたいと願う人たちも出てくることにもなる。

もしかしたら、自由民主党(自民党)は、
誕生以来、最大の危機に陥っているのかも知れない。
有権者(国民)としても見過ごせない事案であり、
もし、政権与党として、長年、君臨してきた政党が消えれば、
社会は動揺することにもなり、かなり困った状況になる。
せめて、もうちょっと野党勢力が頼りになれば良かったのだけど、
・・・とも、思ってしまう。
追記:
「俗性の汚(けが)れを捨て、無心となって
この壺(ツボ)を得るのです(買うのです)」
そして…。
「教祖様(まことの、お父さま)に、
すべてを捧げるのです(献金しなさい)」
…とでも言われたら、たぶらかされもするのだろうか?
正直、理解できないし、理解する気にもなれない。
ここ2~3カ月ほど…、
統一教会(世界平和統一家庭連合)に関連した記事をアップしてきたもの。
ほとんどテレビ番組などからの受け売りでしかない。
何故、これまで関心もなかったことを、
自身のブログ上へと、アップしていくのか?
自分でも不思議に思っていたけど、
アップしていくことで、自分の気持ちにも気付いてきた。
その団体と関わってしまえば…、
過度な献金や霊感商法などによって、
家庭や生活が崩壊するまでに至り。
大学などの教育機関が、学生たちへと、
勧誘手法への注意喚起を必要とする団体など、
脅威と恐怖しか感じられない存在でしかなく。
根絶すべき、社会の病巣としか思えない。
(続く⇒)
三谷幸喜の監督、脚本となる映画「記憶にございません!」は、
内閣総理大臣が記憶を失ったことによるコメディではあったけど。
昭和の時代にも、政治家のセンセイが、自らの不祥事での答弁に行き詰まり、
「記憶にございません」と、苦し紛れの言葉を発したことがあり。
この映画は、タイトルからも、それらを皮肉ったものとなる。
政治家が、この言葉を用いるのは、“今更ながらのもの”でしかなく。
2016年にネパールで開かれた(統一教会の)関連団体の、
イベントに参加し、スピーチまで行なったとされる、
山際大志郎経済再生担当大臣が、バカの一つ覚えのごとく。
毎日、こんな“使い古された言葉”を使い回していると知れば、
笑えないどころか、背筋が寒くなってくる。
それに、日本には、憲法20条「政教分離」があり。
「いかなる宗教団体も、国から特権を受けてはならない」
「国及びその機関は、いかなる宗教的活動もしてはならない」
大臣が祝電やスピーチ、ビデオメッセージを送ることは、
これに抵触している。
たかが、祝電やスピーチの1つや2つとも思いがちにもなるけど、
政府の関係者という社会的にも重要な要職にある人物であれば、
大変な影響力となる。

宗教とカルトは、似て非なるもの。
今、カルト団体(宗教カルト)と、一般的な宗教団体とが、
同一視されていることは面白くもないと、
他の宗教団体が感じているような言葉が、ある討論番組においてあった。
政権と結びついた宗教団体(宗教カルト)に問題性があれば、
宗教だけの問題では済まされないものがあり。
それは、歴史上、何度もあったこと。
ここからは想像となってしまうけど…。
もともと、反日のカルト団体でもある朝鮮半島の統一教会にとって、
日本での活動に問題があれば、
最後の手段とばかりに、誰彼構わず、スキャンダルを暴露することで、
道連れにしていくという、下策中の下策、にでることも考えられる。
だから…。
問題のあるカルト団体と、自身も所属する政党との関りが、
世間に周知されたような人たちは、立場も微妙なものとなる。
これまで世話になった相手を見限れば、
仲間うちから、“裏切り者”として扱われ、どのような反撃があるかも知れない。
なんとか時間稼ぎをしながら、
“落としどころ”を模索したいのが、本音かも知れない。
この状況が望ましくもなければ、
統一教会(世界平和統一家庭連合)と、その関連団体の話題など、
人々から、遠ざけていくことで、
風化させたいと願う人たちも出てくることにもなる。

もしかしたら、自由民主党(自民党)は、
誕生以来、最大の危機に陥っているのかも知れない。
有権者(国民)としても見過ごせない事案であり、
もし、政権与党として、長年、君臨してきた政党が消えれば、
社会は動揺することにもなり、かなり困った状況になる。
せめて、もうちょっと野党勢力が頼りになれば良かったのだけど、
・・・とも、思ってしまう。
追記:
「俗性の汚(けが)れを捨て、無心となって
この壺(ツボ)を得るのです(買うのです)」
そして…。
「教祖様(まことの、お父さま)に、
すべてを捧げるのです(献金しなさい)」
…とでも言われたら、たぶらかされもするのだろうか?
正直、理解できないし、理解する気にもなれない。
ここ2~3カ月ほど…、
統一教会(世界平和統一家庭連合)に関連した記事をアップしてきたもの。
ほとんどテレビ番組などからの受け売りでしかない。
何故、これまで関心もなかったことを、
自身のブログ上へと、アップしていくのか?
自分でも不思議に思っていたけど、
アップしていくことで、自分の気持ちにも気付いてきた。
その団体と関わってしまえば…、
過度な献金や霊感商法などによって、
家庭や生活が崩壊するまでに至り。
大学などの教育機関が、学生たちへと、
勧誘手法への注意喚起を必要とする団体など、
脅威と恐怖しか感じられない存在でしかなく。
根絶すべき、社会の病巣としか思えない。
(続く⇒)