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敵を知らず、己も分からず、ただ敗北を知る。


著名人や有名人の言葉だったのかな?
「平和とは、戦争と戦争の間の準備期間である」と聞いたことがある。
歴史は、戦乱の記録と記憶から、無縁でいられないところもあるけど。
誰が言ったのだろうか?
Googleで調べてみたところ。
アンブローズ・ビアスの「悪魔の辞典」からの言葉らしい。
創作小説などに出てくる架空の人物の言葉とも思っていたので、
しばらく、何も思いつかないまま、PCの画面を見つめていた。
平和が、戦争の“おこぼれ”のようにも聞こえ、やはり好きになれない。
戦争について、強く意識させられる時期でもあり。
ちょっと思い出したことを記しておくことにした。



太平洋戦争の開戦前、旧日本軍(海軍)の兵器開発部において、
電波を用いて、物体を探知できる装置、レーダーが提案されたとき。
「闇夜に提灯を点けるようなものだ!」
(敵に居所を伝えるようなものだ!)」と、一蹴されてしまったと聞く。

ざっくりとした説明になるけど、
レーダーは、電波を照射(送信)して、
その電波の反射状況から、遠方の状態を探知する装置であり。
現在では、気象庁などでもレーダーが用いられ、
雨雲をモニターすることで、正確性のある天気予報を可能としている。
戦場でなら、夜間など視界のきかない状態においても、
敵の艦船や航空機を、遠方から発見できるものになる。
反面、相手側にもレーダーがあれば、
こちらの電波がモニターされることにもなり。
旧日本軍のエラい人たちの認識は、それほど間違ってなかったとも言えるが…。
“敵を探知する装置が、兵器になる”という発想に至らなかったのが、
本当のところだった。
一方、同じ頃の欧米諸国では、
レーダーに用いる指向性のあるアンテナの開発で、頭を悩ませており。
そんなとき、日本人の発明した「八木アンテナ」を知り。
それが用いられてしまったという話を聞いたことがある。
これらの話は、多少、誇張されているもの。
日本(母国)で評価されることもなかった技術を世界が認め、
それが(敵側に)多大な戦果を生み出したのだから、皮肉としか思えない。

当時の人たちは、戦争について、
それなりに真剣に考えていたのであろうとは思う。
ただ発想が脆弱だった。
戦争の主力兵器は、艦船から、航空戦力へと移行していたが、
それに、旧日本軍のエラい人たちは追いつけなかったのだとは、
よく言われている。
しかし、他にも、多くの問題があったのが感じられる話でもある。




補足:
テレビ用のアンテナなどでも用いられている「八木アンテナ」は、
細長い金属の棒を軸にして、垂直に、大小の金属棒が並んだものとなる。
電波の送受信において必要となるアンテナは、
周波数や出力などによって、形状や大きさも変わってくるけど。
テレビ番組の視聴を目的としたアンテナの場合、
形状や大きさも、ある程度、同じようなものとなる。
八木アンテナの形状は、どこか魚の骨を思わせることもあり。
子どもの頃、家屋や建物の屋上にあるテレビのアンテナを、
不思議な感覚で眺めていたように覚えています。



追記:
アニメ「機動戦士ガンダム」では、レーダーを阻害するミノフスキー粒子が、
発見されたという世界観から物語が構成されている。
宇宙空間でのロボット兵器による白兵戦など、
レーダーの発達した時代においては、あまり効果的な戦術でもなく。
どんなに強力な兵装を施された部隊であっても、
強力な火器やミサイルで迎撃できてしまう。
そこで、アニメの制作現場が、
ひねり出した設定がミノフスキー粒子だったとのこと。
太平洋戦争以降の日本は被爆国でもあり、
その後の世界的な核軍備強化ばかりに意識を奪われがちだけど。
レーダーの兵器転用は、戦争を、それまでのものから大きく変えている。
もちろんレーダーは、軍事以外においても重要なものであり。
航空機などが安全な離発着できるのも、レーダー技術の存在が大きい。
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