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疲れる街の疲れるとき


仕事終わりの帰り道。
とくに欲しいものがあった訳でもないのに、¥100shopの店内を歩いていたら、
4才未満と思われる子供と目があった。
何故か?
子供は、目を見開いて、動けないような状態になってから、泣き出していた。
子供の母親と思われる若い女性が”まあ、すみません!”と謝ってきたが、
なにかされた訳でもない。
むしろ、こちらが疲れていたこともあって、
不機嫌な顔(ツラ)をしていたせいかも知れなかった。

それから、数週間後。
駅のホームを、仕事帰りに歩いていたら、
ちょっと困ったような表情を浮かべたオジさんと目があった。
「あのぉ。霞ヶ関には、どう行ったらいいんでしょうか?」
…と、何故か、尋ねられていた。
オジさんは駅の路線図を見ても、あまり、よく分からないようだった。
この後、ホームから出る電車では、新宿行きになってしまう。
その次の急行に乗ったほうが分かりやすいだろう。
「この電車でなく、次の”急行”に乗ってください。霞ヶ関に停車するハズです」
オジさんは、”ありがとう”とは言ったが、ちょっと反応があやしかった。
ちょっと見ていたが疲れていたもことあって、反対のホームに足を向けていた。
オジさんが”霞ヶ関”に着けたのかは、分からない…というところ。







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笑えないとき


頭痛でツブれた休日を、忙しさで埋めるようなときもあある。
いつもと違う”こと”が訪れるときは、こんなものだろうか?
もっとも・・・。
これで、”いつもの日常が変わっていく”などと、期待を抱けるほど、
単純でもないのが悲しいところ。
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