桂米朝さんが数日前にお亡くなりになりました。
上方落語の重鎮が亡くなられたわけです。
落語はあまり馴染みがないので、さほど重く受け止めていなく、正確な日も覚えていません。
申し訳ありません。
ですが、思い入れはあるのです。
ご本人とはまったく繋がりはないのですが・・・
30年ほど前、所属していた劇団の方々と、名古屋までお芝居を見に行きました。
私は20代半ばでした。
運転手は30代半ばで、お隣に40代半ばの方が座り、後座席に座った私の隣に50代半ばの方が座られました。
さて、お芝居を見に行く段取りをしてくださった50代半ばの方のお家に集まり、車に乗り込み出発したとたん、助手席に座った40代半ばの方が、「これから名古屋まで行くあいだに、皆さんに素晴らしいものをお聴かせします」、とおっしゃり、カセットテープを取り出しカーステレオに入れました。
クラッシックでも聴かされるのかなと思い、まあ眠られるから良いかと思った私ですが、流れてきたのが、米朝師匠の落語でした。
車で流すのなら音楽であるはずと思っていた私に、落語を聞きながらドライブするなど、まったく思いもよりませんでした。
名古屋までつく間3時間半、高速道路などありませんから長時間、落語を聞かされる羽目になりました。
確か、一話くらいは聴いたと思います。
面白かったと思います。
が、すぐに寝てしまったと思います。
話し方にも、無理がなかったものですから・・・
そして名古屋について、御園座で、『女の一生』を観劇しました。
杉村晴子さん、50代半ばの方が仰ったには、階段を上るのにも息を切らしているのに、舞台に上がったとたん少女にもなってしまう、演技をもう見られないかもしれないから、誘ったのだ、と。
確かに、相手役の北村さんとともに、作られているとはいえ少年少女を演じられるのを感心して見ていました。
穿った見方をすれば、そこしか覚えていないのですが・・・。
その舞台を堪能し、帰るために車に乗ったら、40台半ばの方が、「さあ、後半戦にいきますか」、と、米朝師匠のテープを入れたのです。
正直、もうええかげんいいやろう、とは思いましたが、結果、合計7時間、桂米朝さんの落語を聴くはめになったのです。
前述のよう大半は寝ていましたが、すごい方がいるものだと、感心し呆れつつ、落語を聴いたのです。
失礼とは思いますが、私がまともに聴いたのはそれだけです。
その重鎮が亡くなられました。
ご冥福をお祈りします。