題名を考えていて、なぜに『戦争責任』にしたのだろう、と反省しつつ、続きを書きたいので、『戦争責任2』、にしてしまったのですが・・・
責任ということなら、役者の責任について書いておこうと。
どうしても、歴史物を映画にする場合、演じる役者は誰なのか、と大変気になるところです。
この映画では、東条英機を、火野正平が演じていました。
太平洋戦争を描く場合、誰が東条英機を演じるかは、とても興味が沸くところです。
もっとも、いまの若い人にはぴんと来ない話題だとも思いますが・・・
我々が受けてきた教育では、太平洋戦争の一番の責任者は、東条英機だとなっています。
昔の映画でも、軍国主義の象徴的存在として描かれてきた面もあります。
いま考えてみますと、それではあまりに酷であろうと、思えるところもありますが・・・。
それはそれとして、最近は、自転車に乗った紀行ものシリーズが好評の、火野さんが演じる東条は、座ったままセリフなしのほんの5分ほどの登場でしたが、見た感じ優先の、ワルクナイ、評価でした、私的には。
お次の、近衛文麿閣下、戦前の日本の政治をリードしてきた重鎮ですから、これも興味深いところですが、なんと、中村雅俊が演じました。
映画の冒頭で、近衛文麿の写真が黒板に貼られた場面があるのですが、写真を見たとき、中村雅俊じゃん、と思ってしまいました。
少しがっかり、ということですけれど・・・
なんのなんの、なかなかいい感じでして、なかでも、しっかりと日本の立場を主張をしてくれたことがとても嬉しかったのです。
「なぜに日本だけが責められるのだと。他の列強も同じことをしたのに。我々はあなたがたを見習っただけだ」
そんなことを近衛文麿が主張したとは思いませんが、少なくとも、アメリカ映画の中で主張できたことに感心するのです。
そして、西田敏行、鹿島大将だということですが、作品の核になることをしっかりと述べていました。
「日本には本音と建前がある。我々は天皇制の信奉者なのだ」
文明開化をアジア初に成し遂げたのに、その根本は2千年前から変わっていない、という分かりにくく矛盾した特質がある、という分かりにくい主張を、その存在感で納得させていました。
さすがというしかありません。
それから、関屋貞三郎、夏八木勲さんです。
ここまでくると、生半可な方では演じられますまい。
佇まい、からしてさすがの域です。
特に感心したのは、短歌(?)のよみ。
ご本人さまですか、頭を垂れて拝聴いたしました。
私の勝手な思いですが、役者の格が段々上がってきたような気がするのです。
言葉が悪ければ、キャリアが積まれてきている、ということですが。
そして、一番のキーになる人物、木戸孝一。
・・・伊武雅刀でした。
最初映ったとき、ガクッときてしまいました。
私の偏見です、火野正平から始まって、中村雅俊、西田敏行、夏八木勲、と続いて、サアお次は・・・
で、伊武雅刀かよ、ってな感じです。
あくまでも私の偏見です。
ですが、さすがに語りは素晴らしかったです。
とくに、ポツダム宣言受託の放送を流すまでの切迫感は半端ではありません。
いいでしょう。
そしていよいよ、昭和天皇陛下の登場です。
片岡孝太郎でした。
もう、なにも申すまい。
立ち居振る舞い、こういうのは、単に才能だけで、もしくは努力して身につくものでしょうか。
もちろん、”努力は君を裏切らない” わけですが、さすがに天皇陛下を演じるとなると、相当な覚悟がいるのでは、などと考えてしまいます。
世には、根拠のない自信に溢れた役者もいますから、大手を振って演じる者もいるでしょうが、スクリーンにはなんでも映ってしまいますから。
観る側のこちら側も緊張してしまうような、そのように作られていますが、昭和天皇陛下の登場では、周りを圧倒する存在感がありました。
もっとも、昭和を生きてきた日本人だから感じることなのかもしれませんが・・・。
さて、ここまで書いて再び作品について思ったのは・・・
クライマックスまでの、何を描いているのだろうと、ある意味、焦点の定まらない語り口は、ただ会見の一点に絞るための業だったのではないか、という演出法を好意的に評価してしまうところも出てきました。
日本人の特質は、西洋的な理屈で理解しようとしても無理なのだと。
いまを生きる日本人にしても、よく理解していない、その特質は・・・
どこまでもグレーであると。
がゆえに、天皇制という柱を必要としてきたのだと、わけのわかったようなわからないようなことを、考えてしまいました。