手稲は最高!

手稲在住30年、手稲って本当にいいなって常々思っています。時に触れ、折に付け思いついた事を、取り留めなく書いてみます。

九月十日(重陽後一日)

2009-09-07 16:23:35 | 随想


菅原道真の詩、「去年の今夜清涼に侍す/愁思の詩篇独り断腸/恩賜の御衣今此処に在り/捧持して余香を拝す」は、知っている人も多い。

 この詩の「愁思の詩篇独り断腸」という部分の解釈で、かなり権威のある解説書で「愁思の勅題で私の作った詩は、外の方の作った詩よりも断腸の悲しみに満ちていた」となっている。確かに「愁思」は悲しみを表現する題だから、言葉どおり私の作った詩が断腸の思いに満ちていたと解釈するのが当然とは思う。でも、一寸納得できないのが、自分の作った詩をこのようにひけらかすものだろうかという思いだ。むしろ、私の作った愁思の詩が天皇の心にかない天皇の衣まで頂いた。あの時の喜びに比較して、大宰府に配流の身で居る現在の心境は断腸の思いだ。というような、一族の皆が追放と為り、自分はこんな境遇になったこのことに対する思いが断腸なのではないかと思う。そうすると、天皇のこの処遇に対する不満と取れなくも無い。そうすると後の「捧持して余香を拝す」と矛盾することになる。そんな異論が出そうだ。しかし、身の不幸を嘆く言葉ととって、それが天皇に対する不満と考えなくてもいいはずだ。大宰府について間もなくの詩に「家を離れて三四月/涙を落とす百千行/」というのがある。是も断腸の思いだ。此処には不平や怨嗟の念は無い。

 「愁思の詩篇」も読んでみたが、確かに悲しみが表現されているが、断腸という言葉が当てはまるようにも思えない。ただ、このような境遇に為りかねない予感のようなものがあったとすれば、その点を追憶し断腸の思いになるということは出来るかもしれない。

 結論として、字句通りに解釈すれば、「私の作った詩は、断腸の趣があった」となるけれど、それは余り直接過ぎる解釈だと思う。
コメント
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