goo blog サービス終了のお知らせ 

手稲は最高!

手稲在住30年、手稲って本当にいいなって常々思っています。時に触れ、折に付け思いついた事を、取り留めなく書いてみます。

87年  猶壮健?

2016-11-23 18:43:36 | 随想
  年賀状を作る時が来た。20年近く年賀には漢詩一題を書いてきました。一応七言絶句のような形ではありますが、平仄は無視していますので定型の七言絶句とは言えないのです。

 詩の世界では、定型の時代がありますが、今はほとんど自由律に変わっています。定型の持つリズム感は心地良いものがありますが、しかし、厳しい人生の真実を=感動を表現するのには、現実としっかり対峙する表現が必要で定型の壁は破られる必然があったようです。漢詩の定型としての絶句、律詩には唐時代の漢語の平仄が必要でした。此の平仄はというのは当時の漢字のアクセントをもとにしていますから、字面で平仄を判別して書いても、日本人にはその平仄でのリズム感などは感じることができません。高等学校の漢文の授業でも、平仄という言葉の意味、それが定型の基本でもあることを教えて、それ以上深く触れなくてよいことになっている。

 日本の定型詩、短歌では自由律で口語文のものが多くなっている。でも、古文で標記することにこだわっている流派もある。俳句も無季題、無定形のものも珍しくなくなっている。散文詩では定型は早くからなくなっている。

 そんなことから言えることは、我々が漢詩をつくるときは、平仄にこだわらないで、七言・五言の音数律とできれば押韻くらいまでを工夫することでよいと思う。自由詩と考えればよいのです。

 私が作った漢詩は、全く平仄を無視しています。そうすることで幅の広い表現ができるのです。今年も一題作ろうかと思っています。しかし、正月を祝うような言葉も使いきったようで、ちょっと困っています。

 年賀状を出すことの意味は全くなくなった人もたくさんいます。87歳の新年を迎えたけれど、まだ元気だということをつたえる「87年猶壮健」という漢詩を作ってみようかと思っています。

老いることは、失うこと

2016-11-15 18:57:41 | 随想
 当たり前のことだけれど、今までに何と多くのことを失ってきたことか。

 いろいろなことを覚え、それを生かして自分の人生を作り上げていた。それがいつの間にか次々に失われ(できなく)ているのです。

 囲碁は免許は取らなかったが初段の力はあった。麻雀は恐れられるくらいだった。野球もやった。テニスもやった。卓球もやった。バスケットはクラブの顧問にもなった。スキーは一級の資格をもらっていた。そのすべてができなくなったりやる気も無くなっている。

 読書も今や疲れるので読まない。頭の中に蓄積されていたものも、なかなか思い出せなくなっている。友達もめっきり少なくなっている。

 わずかに残っているのが詩吟だけだ。でも詩吟のお弟子さんに恵まれ、教える喜びと、そこを通しての世間との付き合いがまだあって、今の体力では十分のものになっている。

 次々若い時に蓄えたものがそぎ落とされてゆく。頭の中のものが一番残るのでしょうが、それとて使わなければ失われてゆく。その先は・・・・。

 今の私は、詩吟を通して頭の回転も何とかしている。それも新しいものを求める度合いを強めたりすることがとても大切だと思っている。限定されるけれど詩吟につながる書物を読む努力はしている。今、十八史略を読みかけている。

 体力を維持するための柔軟体操のようなものも、暇を見て、少しづつやってみている。でも限界があります。抵抗しても仕方がないかもしれないけれど、それをしなければ先がない。仕方なしだけれど、自分なりの老いへの抵抗です。

「いかに長く生きたかではなく、どれだけ良く生きたかが問題だ」  先日のある方の投稿から

2016-10-11 20:03:16 | 随想
  先日フェースブックの色紙に見事な字で書かれていた言葉だ。

 素晴らしい言葉だ。「長生きしてよかったね」という言葉は良く聞く。私自身86歳平均年齢を超えている。長生きだけを基準にすれば素晴らしい人生となりそうだ。

 しかし、良く生きたか?と問われたら一寸困る。ただ良い生き方ってどんな生き方?と考えるときわめて相対的で、結果自分が自分を見直して自己評価するしかないように思う。言い方を変えれば悔いのない生き方をしたと納得できるかどうかということになる。

 まだ私の人生終わったわけでない。だから評価は早いのだけれど、これまでの自分を振り返って、人の手本になるような人生ではなかったと断言できる。半面人に迷惑をかけるようなことはあまりしていないように思う。

 硬軟入り混じって、結果、良い悪いではなく、楽しい人生になっていたと思う。これからの短い残年を今の状況を維持しつつすんなり枯れたいものだ。</font>

伝統芸能と北海道

2016-08-14 19:30:29 | 随想
  盆踊りの時期だけれど、どこからも盆太鼓の音が聞こえてこない。私はこの手稲に昭和52年から住まうことになった。その当時はまだ結構盆踊りはやられていて、見学に出かけたものでした。手稲本町では道路を歩行者天国にして、櫓を立てて大きな輪になって踊ったりもしていた。それがいつの間にか無くなった。又町内会の盆踊りもいつの間にかお盆から姿を消して、8月のどこかで一晩ささやかな子供盆踊りがやられるくらいになっている。

 本州方面では郡上踊りとか風の盆だとか昔に変わらずにぎやかにやられているところも多いみたい。その点、北海道は伝統芸能のすべてについて、伝統がないだけにすたれて行っている。

 今や謡だとか能はサークル活動もなくなっている。詩吟はそれでも生き続けているが、これとてこの後どれくらい続けられるのかもわからなくなっている。

  本州方面でも盛り上がっているとは言えないのでしょうが、地域に根差したりしてしっかり守られているようだ。

  カラオケが盛んで、手稲には昼のカラオケスナックがたくさんある。ここに集う人はほとんどが演歌族です。従って年寄りが多い。今の若い人たちはポップスとかロックが中心です。この人たちが中心になると昼のカラオケスナックもだめになるのでしょう。

 時代の移り変わりの激しさを感じて来ているだけに、昭和の時代が懐かしく思われる。

今日は「山」の日でした

2016-08-11 19:16:20 | 随想
  「山の日」、今年から始まった。「海の日」があるのだから「山の日」もあってよいという理屈てすね。
 
 私には全く関係がなかった。「山の日」だから、どこかの山に出かけようかという話も出ない。

 家内は9時から午前中「トレリハ」という施設に行くことになっているし、私は山登りでなくても歩くことは辛くて歩くことになるレジャーはお断りです。

「山」といえば山登り、登山ということになりそうだけれど、「山」の日という国民の祝日を設けて、家から出て健康増進のための楽しみをし下さいというのでしょう。

 テレビの報道を見ていたら、藻岩山は「山」のつく姓名を持っている人は、ゴンドラが無料になったみたい。又、西区の三角山にはたくさんの登山者が行ったようです。お盆の入りですからお墓参りに行った人も多かったのでしょう。

 登山の経験は、大雪山に二十歳前に何年か続けて登った経験と、沼田高校勤務のころ、通信制高校の協力校でその指導担当になていたとき、生徒たちと深川の音江山の縦走をしたことと、札幌西陵に勤務した時、生徒の宿泊研修で十勝岳に行き生徒と共に登ったことくらいしか思い出せない。

 これは山といえないのでしょうが、スキーをやっていたので道内のスキー場の有名なところはほとんど行っている。

 それぞれ、思い出は当然あるけれど、聞いてもらうほどのものは何もない。

 子供は女の子二人です。小学生のころハイキングに行こうといって、連れ出し近くの公園の本道を通らず、山登りみたいなことになるところを選んでいったリしたら、二年くらいはついてきたが三年目になったらあんなところ行きたくないとダメになったこともあった。ただ、車でキャンプに出かけるとなると喜んでついてきた。

 いよいよお盆休みで19日まで詩吟も休みです。昔は夏も終わっているのですが、最近は今頃から真夏になる。将に残暑厳しい時期となります。オリンピックが続いているので、午前中はほとんどクーラーの効いた居間でテレビを見ている。例年は12日か13日に旭川へのお墓詣りとなるのですが、今年は17日に出かけることになった。天気予報はあまり良くない。でも大雨になりそうでないから何とかなるでしょう。

中学校の部活動がピンチになっているという

2016-07-28 19:40:23 | 随想
  テレビで中学校の部活動が難しくなっているとの報道があった。すべての学校というわけではないが、生徒はいても顧問になる先生がいないという。

 昔と今では先生の仕事の量が変わってきているのでしょうか。学問として専門の分野の指導で忙しいということはあまりないと思う。しかし、今の担任業務はかなり手の込んだものになっているのかもしれない。又、公務分掌もかなり手の込んだものになりつつあるのかも知れない。これも報道にあったことだけれど、副校長制度ができ副校長希望者が居なくなってきているという。副校長は今までの教頭と同じだと思うけれど、或る副校長の仕事ぶりも報道されていたけれど、教頭としての仕事はもちろん、公務補さんが昔はやっていたような事までやっている。

 そんなことから想定してみると、教科指導もより質の高い教授法を考えての教材づくり、さらに個別指導、家庭との連携、それらは手を抜くことはできないわけで、特別やらなくてもよいクラブ活動の顧問などは希望しないということになっているのかもしれない。

 また今の子供たちは少子化の影響で教えることのむつかしいところもあったりして、素人の顧問では指導しきれない向もあるかもしれない。学校によっては、父母とか卒業生が教えに来てくれてクラブ活動かなり立っているところもあるという。

 学校教育の中でクラブ活動はとても大きな意味を持っている。生徒数の減少でクラブを作ることのできない学校もあり、ほかの学校のクラブに出かけて稽古をしているところもあるという。高校野球でも何校かの混成チームが出場したりしている。これもいいことだ。

 私も現役時代いくつかの顧問をやってきたけれど、自分がその道の選手でもなかったから、名前だけの顧問で終わったけれど、今は良い思い出になっている。

 高等学校の場合などは、専門のコーチを委嘱できる体制ができるといいのにと思ったりする。

ソ連のあのシベリヤへの日本人強制連行がなぜ問題にならないの

2016-04-22 19:09:20 | 随想
 勝てば官軍負ければ賊軍、あの理不尽な日本への開戦と、捕虜としてシベリヤへ連行し、強制労働をさせ多くの命を奪ったソ連の行為は賊軍だから仕方がないで済まされるようなことでないように思う。 日本軍が戦争の中で犯したいわば戦争犯罪は東京裁判で決着したのだ。そしてあの戦争について世界に頭を下げたのだ。それにもかかわらず中国や韓国が今だに責め立てている。なぜソ連のあの行為が責められないのだろう。そればかりではない、日本固有の領土(北方四島)の返還さへしないようだ。

 日本が戦争を放棄している現状を知っているのに首相が靖国神社参拝したら猛攻撃をしてくる。昔の日本に今すぐにでも戻るようなかみつき方だ。

 日本が再び軍国主義国家になったり、侵略国家になったりしないことは判り切っていることなのだ。日本攻撃を世界に発信して、何も知らない世界中の人に日本をひどい国のように思わせようとしているのでしょう。日本はあのソ連のやったことを非難することはできないのか。北方四島を返還しないことを暴挙として世界に発信することはできないのか。

 中国も韓国も戦後の復興に日本の支援を受けているのだ。平和条約を締結して法的賠償を終えた後も、経済協力を随分しているのだ。その恩義のようなものは知らぬふり。

 沖縄で辺野古移転問題などでごたごたして、反米的な運動になっているのを多分うれしく思ってみているのだと思う。日米安保が無くなれば、尖閣は忽ち中国に乗っ取られるだろう。それだけでなく反米、反政府の沖縄に手を貸して、沖縄も中国領だといってくるかもしれない。

 平和ボケみたいになっているのじゃないだろうか。日本人の誇りはどうなっているのだろう。この小さな国が一枚板になれていない。日本人の良さ、国民性、貫く思想を改めて確認して堂々と世界に発信してほいものだ。憲法9条をもつ日本ができるだけの自衛権を強めて、日米安保より重要視していくことが必要なのだ。そんな世界情勢がある。

 

日本人であることの誇り?

2016-01-28 20:15:31 | 随想
 特別研究したわけでないし、ただ感じるままに書くから何言っているのと笑われるかもしれない。

 今でも国旗に誇りを持たず、国歌さえも歌わない方がたくさんいる。日本人で日本人であることに誇りを持てない人がたくさんいる。こんな批判をすると右翼といわれそうだ。これだけ豊かな国で、国民がこんな有様というのもおかしな話だと思う。

 中国や韓国からの半日反動に、もっと毅然として日本人だと胸を張ることができないのだろうか。

 明治維新で一気に世界の列強の仲間入りしたみたいだけれど、とても理解のできないところがある。

 此のちっぽけな日本が大国ロシヤと戦った日露戦争。ロシヤの極東進出を食い止めなければ、日本も危なくなる。そんな中でロシヤの侵攻を食い止めるために起こした戦争だと思うが、その戦費は多分英米から出されていたのだと思う。いわば、英米の代理戦争をしたのだと思う。しかし、勝利したことが日本を思い上がらせていた。そして、列強並みに侵略を始めた。

 これを快く思わない列強の圧力がかかり始めた。日本の侵略をやめさせなければならない、その包囲作戦が始まった。そんな中で、はじけたのが太平洋戦争だったようにおもう。これは、日露戦争が全面戦争になる前にロシヤが降伏して終わったように、アメリカの太平洋艦隊を一気につぶせば、アメリカも手を上げるだろうなどと考えていたのかもしれない。普通に考えたら勝てる戦争でない。しかし、戦争に入った。入らざるを得ない状況に追い込まれていたといえる。

 結果として負けるべくして負けて、新しい民主国家になることができた。これは喜ばしいことだ。維新以来の軍国主義国家から脱却てきたのだ。そして、瞬く間に経済大国へと進化を遂げた。此の、敗戦から今日の日本への転換は世界に誇ってもよい。生まれ変わった日本に誇りを持って良いはずだ。しかし、私自身もやっていないけれど、国旗を掲揚しない。持っていないのだ。

 なぜなのだろう。あの戦争の象徴だから・・・あの戦争は負けた。しかし、生まれ変わった日本の国が日本の国旗として認めたもので、世界も認めている国旗なのだ。

 国民が国旗を尊重しないということは、自分が国民であることを恥じているようなものだ。日本が果たしてきた後進国援助などはものすごいものになる。そんな日本になっているのだ。世界の鑑のようなことをしている。

 ただ、国内政治は国力に見合った豊かさに欠ける。どこか私たちの見えないところで、大きなひずみがあるのだと思う。そのことと国を愛することは別問題でだと思う。むしろ、国旗に誇りを持ち、日本人であることを誇る姿勢が、困難を克服する道になると思うのだが・・・。

"無能無才にして此の一筋につながる"  芭蕉の言葉を思い返しながら

2015-12-14 19:01:06 | 随想
  幻住庵の記の此の芭蕉の言葉の重みは、私に理解できるわけは無いけれどとても心に響いてくる。私自身の反省を含めてちょっと書いてみます。

 人間生まれて此の世に生き、いろいろな勉強をし、いろいろなことに挑戦し、いろいろな欲望に駆られたりしながら、自分を膨らませてくる。私は高校の教員として現役生活を送り、現役時代に始めた詩吟が役に立ち、退職後詩吟の先生として今までとても楽しく生活させてもらっている。

 大学に入ったころ将来政治家になろうかと考えたこともあったけれど、高校の教員になってしまい、教員生活で終わることになった。途中管理職試験なども受けさせられたが力がなくて合格できなかった。これはあまり望んでいることでなかったから特別卑下する出来事とも思わないできた。定年退職は人生の大きな一区切りです。

 自分の人生を清算したようなものです。いわば生きている意味が問われることになる。良い先生でありたいと思ったけれど、生徒に慕われるような先生になれなかった。ダメ先生で終わったのです。ここまで生きてくる中でいろいろなことをやってきました。麻雀、囲碁はもちろん、将棋、花札もやりましたし、短歌会に入ったり、ダンスにも挑戦しました。スキー、野球も趣味の中、パークゴルフは退職後のいい楽しみとなっていました。人並みに酒を飲みはしゃぐこともしました。釣りは渓流釣りでヤマメ釣りの名人といわれることもありました。


 歳をとることはやせることなのですね。いろいろ身に付けたものが次第に出来なくなって行く。将棋、花札は野球は早くに終わりました。麻雀、囲碁、スキー藻退職後にやめました。短歌会に入りましたが5年ほどで才能がないことにが付きやめました。ダンスも体力かつつかなくなりやめました。釣りも体力が無くなり、車で遠くまで行くのが億劫になりやめました。退職後の運動にハークゴルフを始め、かなりのめりこんでいたのですが、今年は数回出かけただけで、来年は続けられないのでしょう。

 ただ現役時代に始めた詩吟、退職前から教室を立ち上げていて、次第にお弟子さんも多くなり、現在週五日詩吟を教えて充実した日々となっている。退職後25年、85歳になりました。いろいろなものが私の身から離れて行きました。やせ細った中に詩吟だけが残っています。

 お酒での楽しみも、もう捨てようと思っています。ただ、カラオケだけは詩吟のない日に楽しむことにしています。

 政治家になるなんて夢のまた夢、歌人の才もなく、いろいろな趣味も今は昔の話になっている。やせ細って残っているのが詩吟だけど、詩吟で多くのお弟子さんたちとつながり、とても充実した日を送っている。最後この一筋につながれたのは、思いもよらなかったことだけれど、私の人生は詩吟だったといえそうです。

たかが帽子されど帽子・・・

2015-08-01 18:47:44 | 随想
 私は日常的には無帽でいます。パークゴルフに出かける時は、野球帽のようなものを着用します。

 帽子も結構多彩です。時々人の帽子を見ながら自分が被ったらどうなるだろうと考える。過去に野球帽以外で被ったことのあるのはハンチングです。多分30台くらいのころだと思います。 今は私にはとても似合わないと決めています。今は種類も多い。とても似合う人もいます。

 身に着けるものは何であれ、その人を引き立てるものがある反面とてもダサイと感じるものもある。着用するものの値段の問題でない。

 中には人がどう見るかは二の次で、自分の好みを押し通しているような方も見かける。タレントが奇抜なものを着用しても、タレントだということで別の見方をする。ひどい!!とおもってもむタレントだものと見過ごせる。しかし私たちは普通の人の中で生活していて、さりげなく多くの人に評価されているのだと思います。

 派手派手な格好で人の目を引しても、逆にダサイという評価になることが多い。逆に時代遅れのようなものが、なんとなくその人に似あっていることもある。また全く人の見る目を考えずにダサイ格好を平然としている人も多い。

 出て行く場所にもよる訳だけど、私には帽子は野球帽以外は似合わないと思う。今のはやりの高級感のある帽子などを着用するとニヤケッぽくなるだろうし。逆に麦わら帽子のおおきいのを被ればダサクなる。当たり前のことだけれど、派手でなく、ダサクもなく、人の中にすんなり入れる、さりげないおしゃれの象徴が野球帽なのです。それも高級なブランドものは着用しません。

 頭のハゲ隠しにこの頃着用して出かけることも多くなっています。