旅路(ON A JOURNEY)

風に吹かれて此処彼処。
好奇心の赴く儘、
気の向く儘。
男はやとよ、
何処へ行く。

陽明

2010年05月17日 21時35分06秒 | Weblog
人類の知的遺産「王陽明」を読んでいる。朱子の「性即理」と陽明の「心即理」については既に語り尽くされているので多くを語らないとことわったうえで、心即理の思想を解り易く解説している。

読んでいるうちに、徒然草の「仁和寺にある法師」を思い出した。お寺の見物であれ、ある思想家を研究するにせよ、要は良い案内人が必要なのだ。独断や独学の弊に陥ってはならない。

徒然草 第53段『仁和(にんわ)寺に、ある法師(ほふし)、年寄るまで、石清水を拝(をが)まざりければ、心うく覚えて、ある時思ひ立ちて、ただひとり、徒歩(かち)よりまうでけり。極楽寺・高良(かうら)などを拝みて、かばかりと心得て帰りにけり。

 さて、かたへの人にあひて、「年ごろ思ひつること、果し侍りぬ。聞きしにも過ぎて、尊くこそおはしけれ。そも、参りたる人ごとに山へ登りしは、何事かありけん、ゆかしかりしかど、神へ参るこそ本意(ほい)なれと思ひて、山までは見ず」とぞ言ひける。

 すこしのことにも、先達(せんだち)はあらまほしき事なり。』


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