旅路(ON A JOURNEY)

風に吹かれて此処彼処。
好奇心の赴く儘、
気の向く儘。
男はやとよ、
何処へ行く。

メルロ・ポンティ

2009年12月09日 21時26分02秒 | Weblog




モーリス・メルロー=ポンティ(Maurice Merleau-Ponty, 1908年3月14日 - 1961年5月4日)は、フランスの哲学者。現象学を学び、その発展に尽くした。パリの自宅で執筆中、心臓麻痺のため死去。

思想 [編集]
彼の哲学は「両義性(Ambiguïté[1])の哲学」「身体性の哲学」「知覚の優位性の哲学」と呼ばれ、従来対立するものと看做されてきた概念の<自己の概念>と<対象の概念>を、知覚における認識の生成にまで掘り下げた指摘をしている。

例えば、「枯れ木」について、最初に見た時は、「枯れ木」という存在を眼で見ることで名前のない「現象」としては知ることができるが、「枯れ木」という言葉(記号)を知って初めて、恒常的に認識出来るようになる。これは、それまで現象として見てきた「枯れ木」というものが、言葉(記号)を知ることで同一言語下では共通した認識を得られるということである。

また、精神と身体というデカルト以来の対立も、知覚の次元に掘り下げて指摘し、私の身体が<対象になるか><自己自身になるか>は、「どちらかであるとはいえない。つまり、両義的である。」とした。一つの対象認識に<精神の中のものであるか><対象の中のものであるか>という二極対立を超え、私の身体のリアリティは<どちらともいえない>。しかし、それは無自覚な<曖昧性>のうちにあるのではなく、明確に表現された時に<両義性>を持つとした。そして、その状態が<私という世界認識><根源的な世界認識>であるとした。

そこには、既に言葉と対象を一致させた次元から始めるのではなく、そもそもの言葉の生成からの考察がある。

それは、論理実証主義哲学、分析哲学、プラグマティズムなどの<言語が知られている次元>からの哲学に厳しい指摘をしたといえる。そこには多くの哲学の垣根を越える試みが見られ、また、異文化理解や芸術、看護学などに大きな影響を与えた。

また、そういう知覚の優位性からの、新しい存在論の試みが『見えるもの見えないもの』で見られる。しかし、彼の絶筆が『見えるもの見えないもの』であるので、志途中での彼の死は惜しまれるものである。しかしながら、後世の哲学者による彼の思考の継承は、誤謬(ごびゅう)の修正から真理の起源まで幅広く影響を与えるものである。

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