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旅路(ON A JOURNEY)

風に吹かれて此処彼処。
好奇心の赴く儘、
気の向く儘。
男はやとよ、
何処へ行く。

道程

2006年02月03日 00時54分56秒 | Weblog
道程

僕の前に道はない
僕の後ろに道は出来る
ああ、自然よ
父よ
僕を一人立ちにさせた広大な父よ
僕から目を離さないで守る事をせよ
常に父の気魄を僕に充たせよ
この遠い道程のため
この遠い道程のため

高村光太郎

BLOWIN' IN THE WIND

2006年02月03日 00時27分43秒 | Weblog
How many roads must a man walk down
Before you call him a man?
Yes, 'n' how many seas must a white dove sail
Before she sleeps in the sand?
Yes, 'n' how many times must the cannon balls fly
Before they're forever banned?
The answer, my friend, is blowin' in the wind,
The answer is blowin' in the wind.

How many times must a man look up
Before he can see the sky?
Yes, 'n' how many ears must one man have
Before he can hear people cry?
Yes, 'n' how many deaths will it take till he knows
That too many people have died?
The answer, my friend, is blowin' in the wind,
The answer is blowin' in the wind.

How many years can a mountain exist
Before it's washed to the sea?
Yes, 'n' how many years can some people exist
Before they're allowed to be free?
Yes, 'n' how many times can a man turn his head,
Pretending he just doesn't see?
The answer, my friend, is blowin' in the wind,
The answer is blowin' in the wind.

Bob Dylan


最近、Bob Dylanをよく聴く。
かなりの詩人で、凄いミュージシャンだと思う。
若かりし頃は彼に少しかぶれた。
今回はかなり夢中になっている。
老いらくの恋は激しいという。
ちょいと気をつけなければならなくなってきたようだ。


民衆

2006年02月02日 21時34分45秒 | Weblog


農業とまではいきませんが土いじりが好きです。いい野菜を育てるには、経験の蓄積が必要です。想像ばかりで申し訳ないのですが、稲作の経験を蓄積できる農民が、ただひたすら農業にのみ専念したとは思えません。

例えば縄文の昔から、人間は現代人並みの知性を備えていたのではないのかと想像してしまいます。だって、統治する側とされる側の双方に合意がないと統治は成り立ちません。統治を受け入れた側にも統治を受け入れるだけの準備というものが必要なはずですから。牛やブタなら、強権というか暴力で手なずけることができるでしょうが、人間ともなるとそうはいかない。

統治とできるだけ関わらない生活というものもあるわけで、農民というのはその典型ではないかと・・・。そして、その生活の中でせっせと稼ぐ。夜這いをする。子作りに励む。子供を育てる。祭りで騒ぐ。身内が死ねば悲しむ。飢饉でもおこれば悲惨ですが、年貢を適当にちょろまかし、腹の中では侍たちを馬鹿にする。百姓というと貧乏な水呑百姓を想像しますが、「7人の侍」に登場する左ト全のような貧乏百姓はむしろ例外であったのではないかとすら思えます。土地に縛り付けられているにせよ住めば都で、今時の若者ですら田舎にUターンです。

先般お話をした、中国から出稼ぎに来たねえちゃんや、日本のばか者たちを見るにつけ、いつの世でも統治者が思うほど、統治される側は権力を評価していないということじゃないでしょうか。最近、わたしは江戸時代に行きたくて仕方がない。自然の香りが溢れる田んぼや畑の中で好きなように農作物を作れるって、健康にもいいのではないでしょうか?政治も安定しているし。

以上のような妄想は、史実に反して不謹慎でしょうか?民衆史といいますか、日本人の生活史といいますか、このあたりに関心が高いのです。民族資料館に足を運んで、陳列された農機具なんかを眺めながら当時の農作業や農民の生活ぶりを想像してみるのが好きでたまりません。歴史のアマチュアもここに極まれり・・・でしょうか?

頼山陽

2006年02月02日 00時31分11秒 | Weblog
確かに史実がどうであったのかということは、映画というフィクションの世界には殆ど関わりがありません。しかし、イーモウ監督が描いた始皇帝像は、多少知的な経営者やビジネスマンの心を揺さぶったことでしょう。始皇帝がああいう知的な人間であって欲しいという願望がありますから、「うーん、納得!」というわけです。昨日の「戦国自衛隊」というドラマの中で、徳川イエス?が同じ台詞を吐いていました。
昔の歴史家といえば殆どが御用学者、しかも、御用学者にしか資料が集まらない。歴史学には素人ですが、少なくとも日本でいうと江戸以前の歴史書は、かなり怪しいと見ています。会社の近くに「頼山陽」資料館があります。陳列された資料はまるで偉人伝さながらです。

儒学

2006年02月01日 19時31分02秒 | Weblog
                    林羅山

江戸幕藩体制のイデオロギーとしての朱子学については高校で学びました。ところが、社会人経験を30有余年経験した後そういう種類の権威について考えてみると、人間って、そういう矛盾だらけの世界観をすんなりと受け入れるほど単純な動物じゃないことが解ってきます。

あれほど高度な知的能力を要する儒学を、本当に理解できるのはごく一部の支配層に限られていた。しかも、教条的で閉鎖的な儒学を学ぶ作業は現代の受験勉強に等しく無味乾燥。手っ取り早くテキストを暗記しておれば、ある意味、儒学を理解したことになる。お経の暗誦に近い理解です。そして封建的な、絶対不可侵の教義として民衆の間に敷衍されてゆく。その結果、儒学固有の事大主義といいますか、儒学教育は権威追従型の人間を量産していった。文明開化後もキャッチフレーズが和魂洋才ですから、後も推して知るべし。検閲までして、この事大主義を破壊しつくしたのが、アメリカの民主化政策であった。そして戦後60年、善悪に関わらず、わが国にもようやく、自分の頭でものごとを考え、自分の言葉で自分の考え方を主張できる人間が登場し始めている。

最近中国からの留学生(スナックのねえちゃんでもあります。)と食事をしました。イデオロギーでいうと、中国は明らかに社会主義の国なのですが、このねえちゃんをはじめとした庶民たちは、その絶対不可侵のイデオロギーをその思考の埒外においてせっせと金儲けに走っている。どうでもいいのですね。マルクスの上部構造ではないのですが、世の移ろいに追いていけないイデオロギーは、個人の側から見捨てられてしまう。主導的なイデオロギーに市民の側が無関心であるというのが、昨今の経済的先進国の風潮ではないのでしょうか

農工商

2006年02月01日 19時27分26秒 | Weblog
二宮尊徳や安藤昌益、石田心学から三浦梅岩らの出目は生粋の武士階級ではなかったように記憶しています。また、幕末の敵塾では武士階級以外の農工商階級にも高度な教育がなされる機会があったことを物語っているものと解釈していました。最近手にした池波正太郎の「人斬り半兵衛」では、腕っぷしの強さだけが自慢の無学な郷士が、西郷に教化され桐野利秋へと成長してゆく姿が描かれています。(昨日は、温泉行きをやめて本の整理をしました。「日本の名著」がうずたかく積まれた本の下敷きになっているのが残念です。検証できません。)
寺子屋教育と藩校の教育には、おのずと教育の内容に差があったであろうことは承知ですが、しかし、大塩平八郎の乱に見受けられるように、朱子学に抗する陽明学でもって士農工商階級階級を教化しようとする下級武士もいたように、うまく言えませんが「真実を知る者は、教化しする。」これは時代に関係なく、本物の学問をした人間に固有の性向ではないでしょうか?
江戸時代、わたしが生まれた船越町は1500人ばかりの人口であったと記憶しています。なんと、この集落には漢方医がふたりもいました。漢方といえば陰陽が基本で、儒教にも影響を与えています。また、僧職にある者もふたりいたことが藩誌の記録にあります。 漢文のお経が読める、漢文の調剤本が読める当時のインテリ層である坊さん(寺子屋の経営者でもあります。)や漢方医が、知的素養のある教え子、顧客に対して教条的な説法、テキストどおりの投薬のみで農民たちと接していたとは思えないのです。

戦艦大和

2006年02月01日 18時48分09秒 | Weblog
NHK「戦場から届いた遺書」は見ました。若干の脚色があるとはいわれている「きけ わだつみの声」ですが、わたしにしては珍しく、これも時間をかけてじっくりと読みました。「男たちの大和」は戦争を美化するというよりも、少年兵たちの死は犬死として描かれており、わたしへのメッセージはあくまで反戦でした。死に様がむごく描かれている分、美化云々とは考えにくいように思います。是非ごらんになってみてください。脚本、従って大和の中で繰り広げられるストーリーは多分、フィクションなのでしょう。それでも、個人の死の重さについて十分に考えさせられます。「男たちの大和」は、いきなり、ABCDラインによる石油の禁輸が太平洋戦争の発端になったという解説から始まります。「経済封鎖をやられたら、戦争しかない。」のであれば、かの国に対する経済制裁はまずいのじゃないのかなと考えさせるのは、スペクタクルならでは、つい、素人はこのように考えさせられてしまうのです。

HERO

2006年02月01日 18時46分25秒 | Weblog
「HERO 英雄」という、チャン・イーモウ監督の映画があります。あくまで映画の中ですから話は誇張され、でてくるのは絵に描いたような知的かつ美形の俳優ばかりでした。

「無名」という名の刺客が、秦王(後のの始皇帝)に謁見を許されます。無名は、家族を始皇帝配下に殺害された恨みを晴らすために謁見までようやくこぎつけることができたのです。 ところが、3000人余りの衛兵を剣でなぎ倒して(白髪三千丈の世界です。)秦王に迫り、殺害しようとすればできたにもかかわらず、剣を収めた書道の達人でもある刺客がいました。 この達人はかって無名を諌めました。秦王が天下を統一できなければ戦乱が続く。個人的な怨念を捨てて秦王を生かして天下を取らせ戦乱のない世の中を築かせよというわけです。 この話を聞いた秦王は、自分の心中を真に理解してくれる者について知ったから、もうこの世に未練はないと言い放ち、無名に背を向け死ぬ覚悟を示します。(完璧に自らを美化します。)無名は、秦王を殺害できることを証明してみせてから、その前から静かに去り衛兵たちが放つ矢で殺害されます。秦王は無名を厚く葬ります。

学者が解明する始皇帝と映画に描かれた始皇帝像はまったくといってよいほど異なることでしょう。三国志と三国志演義の差異以上の差異が認められることでしょう。市民たちが、過去の戦争をどのように評価してゆくのか・・・、ますます歴史というものに興味がわいてきます。