昭和ひとケタ樺太生まれ

70代の「じゃこしか(麝香鹿)爺さん」が日々の雑感や思い出話をマイペースで綴ります。

亡妻の札幌での想い出

2012-01-25 16:52:54 | じゃこしか爺さんの想い出話
        ※ 吹き降りの 激しき夜の 札幌で
            妻と歩きし 街が懐かし 



 先日本州に住んで居る亡妻の兄弟と電話で話し合った時、札幌で会ったことが話題になりました。
 その時から私の胸の内に、生前の妻と過ごした札幌の街のそれぞれが、懐かしくまた切なく想い出されて来たのです。

 私たち家族が釧路市に引っ越して来たのは、約50年も昔のことですが、それまでは札幌市に近い空知管内の美唄の炭砿街に住んで居りましたから、いわば生活範囲の一部でもあったのです。
 例えば、学生時代のことですが、参考書を探しに富貴堂などの本屋さんには良く行ったものです。
 ですから結婚してからも、日曜には二人して良く出掛けたもので、街中で過ごした後、帰りの汽車時間まで、札幌駅前の五番館その後の西部デパートで過ごした。
今こそ札幌は遠い存在となりましたが、10年ほど前には孫たちを連れて、円山動物園や新札幌のサンピアザ水族館にも行きました。
その後は妻の足も衰え、また私も病いがちとなり、札幌は遠い遠い想い出の街、そして今はただただ辛い想い出の街となってしまったのです。


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2 コメント

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おひさしぶりです (kuzaka)
2012-06-12 10:58:39
ごぶさたしました。

樺太から美唄の炭鉱に来ていたのですね。

私達一家も、三菱美唄に落ち着き、高校卒業まで暮らしました。

塔路は外国に、炭鉱は閉山廃坑に小中学校も廃校、高校も統合されます。
第二の故郷も幻となりつつあり、淋しい思いがします。
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kuzakaさん今晩は (じゃこしか)
2012-06-12 22:19:14
 コメント感謝いたします。

 樺太からは、昭和22年7月に引き上げて来ました。そしてシベリヤから復員した長兄が、美唄炭砿に就職しておりましたので、そこに落ち着いたのです。

 美唄は、就職・夜間高校・結婚と想い出多い土地ですが、それにもまして塔路は、想い出すと切なくなるほど忘れられない処です。

 kuzakaさんとは、出来ればゆっくりと話し合いたいと、思います。
 コメント本当に有難うございます。
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