秋空にくっきりと映える赤い実といえば、やはりナナカマドの実では無いでしょうか。ナナカマドの木は、街路樹などして一般的で広く用いられていますが、夏の間はあまり目立たないようです。
ところが野山の花が少なくなる頃になると、その紅玉のような彩りを見せ初めて、道行く人々の眼を惹き初めます。
中には、葉をすっかり落としてからもなおしばらくは、実だけをたわわに残してくれて、見る者の眼を楽しませてくれます。
子どもの頃、{カラスの実}と云ってあまり近付くことはしないで、ただ遠くから眺めていただけでしたが、本当にカラスが食べるのかどうかは、今まで見たことはありません。
ただ何時もかまびすく鳴き、また威嚇するかのような頭上を飛び回るカラスが、子供心に怖かったので、そんなことを云っていたのかも知れません。
またナナカマドの木についての言い伝えなのですが、いまだに忘れずに覚えていることがあります。
それは、ナナカマドにとってはあまり芳しいことでは無いないのですが、ナナカマドの木を庭木とするのは不吉だと云うことです。
それは多分に木の名前のナナカマドからのようで、その名前のナナカマドは{七度も竈をひっくり返す}のことからだそうです。
死後に近い言葉として{竈を返す}がありますが、それには家計の破局とか破産とかの意味があります。それがこの埒も無い言い伝えの由来かとも思われます。
昔からの単なる迷信なのでしょうが、いまだかってナナカマドの木を庭木として植えているのを見たことの無いのも、また確かなことです。
これは私の狭い生活範囲からのことで、あまり当てにはなりません。またナナカマドには、もう一つの言い伝えがあり、それは7度竃にくべても燃え尽きないから、燃え難い木である。
そんなことはともかくとして、今の柳町公園、河畔公園、自転車道路などにあまり花は見当たりません。
ですから今ブログのネタとして探し求めるのは、ナナカマドとかエゾノコリンゴとかの木の実しかありません。
それらの木の実が一日も速く赤く色づくのが待ち遠しくて、あちこちを何度もブラ付いているのが、近ごろの私の日課なのです。
日に日にルビーのように色づいて秋空に映えるナナカマドの赤い実
同上
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ところが野山の花が少なくなる頃になると、その紅玉のような彩りを見せ初めて、道行く人々の眼を惹き初めます。
中には、葉をすっかり落としてからもなおしばらくは、実だけをたわわに残してくれて、見る者の眼を楽しませてくれます。
子どもの頃、{カラスの実}と云ってあまり近付くことはしないで、ただ遠くから眺めていただけでしたが、本当にカラスが食べるのかどうかは、今まで見たことはありません。
ただ何時もかまびすく鳴き、また威嚇するかのような頭上を飛び回るカラスが、子供心に怖かったので、そんなことを云っていたのかも知れません。
またナナカマドの木についての言い伝えなのですが、いまだに忘れずに覚えていることがあります。
それは、ナナカマドにとってはあまり芳しいことでは無いないのですが、ナナカマドの木を庭木とするのは不吉だと云うことです。
それは多分に木の名前のナナカマドからのようで、その名前のナナカマドは{七度も竈をひっくり返す}のことからだそうです。
死後に近い言葉として{竈を返す}がありますが、それには家計の破局とか破産とかの意味があります。それがこの埒も無い言い伝えの由来かとも思われます。
昔からの単なる迷信なのでしょうが、いまだかってナナカマドの木を庭木として植えているのを見たことの無いのも、また確かなことです。
これは私の狭い生活範囲からのことで、あまり当てにはなりません。またナナカマドには、もう一つの言い伝えがあり、それは7度竃にくべても燃え尽きないから、燃え難い木である。
そんなことはともかくとして、今の柳町公園、河畔公園、自転車道路などにあまり花は見当たりません。
ですから今ブログのネタとして探し求めるのは、ナナカマドとかエゾノコリンゴとかの木の実しかありません。
それらの木の実が一日も速く赤く色づくのが待ち遠しくて、あちこちを何度もブラ付いているのが、近ごろの私の日課なのです。
日に日にルビーのように色づいて秋空に映えるナナカマドの赤い実
同上
同上
同上