昭和ひとケタ樺太生まれ

70代の「じゃこしか(麝香鹿)爺さん」が日々の雑感や思い出話をマイペースで綴ります。

今年の十五夜さん

2008-09-20 17:45:16 | 日々の雑記
 
 子どもの頃、慣れ親しんで良く歌っていた十五夜さんの歌といえば、

     ※ うさぎうさぎなに見て跳ねる
        十五夜お月さま見て跳ねる

の歌だけかと思っていたら、他にも

     ※ 十五夜お月さんご機嫌さん
        婆やはお暇まとりました 

と云うのがあることを、この度初めて知りました。

 今年の十五夜さんは先日の14日でしたが、珍しく夕方早くから、真ん丸で見事なお月さんが見られました。

 さて十五夜飾りのお供え物は、孫たちがまだ小さかったころには晴とか曇りに関係なく、毎年のようにしたものですが、今はその孫たちも大きくなってあまり遊びに来なくなりました。
 爺と婆の二人では張り合いもなく、またつまらなくなって仕舞い、最近ではほとんどしておりません。
 かつて孫たちと過ごしたそれぞれの十五夜さんは楽しい想い出の一つですが、私の子どもころ(樺太時代)の十五夜さんにも忘れられない想い出があります。
 このことは3年前のブログにも多少書いてありますが、確かまだ小学校に上がる前のことでした。
 私たち子どもにとって十五夜は楽しい年中行事の一つですから、色々と用意する母に煩く付きまといながら、夜の来るのを楽しみ待っていたのです。
 夕方になって珍しく早帰りしてきた父の手には、帰りがけの途中で買ったと云う大きな西瓜がぶら下がっていました。
 その後母から聞いたことですが、一つちがいの弟と二人して部屋中を駆け回るほどの喜びようで、何度叱られてもはしゃぎ回っていたそうです。
 
 その頃の十五夜のお供えは、縁側などの戸などを開け放して置くのがごく普通でしたから、もちろん我が家も同じで、さっそく父が買ってきた大きな西瓜も他の果物などと一緒に供えられました。
 戸を開け放して縁側に置くのですから、盗もうとおもえば簡単です。しかし
当時の仕来りとして、十五夜のお供え物を盗んでも現場さえ押さえられなけば、ぜんぜん罪にならなかったそうです。
 盗むという行為は、むしろ功徳を受けることになる訳ですから、十五夜の供え物限り、盗ったとかあるいは盗られたとかの言葉は存在しなかったのです。
 ですから盗った方は、隙を見て黙って貰って来たになり、また盗られた側は、お裾分けしてやったと言うことになります。
 一寸油断したすきに盗られたとしても、そのまま諦めるより他に仕方が無かったのです。
 とうじ近所に評判の悪ガキたちがいましたから、晩飯中は心配で弟と交代して隣の部屋の縁側を覗いて注意いしていたのですが、その甲斐なく見事にやられ、無くなっていたのは、私たちが何よりも楽しみにしていた西瓜だけでした。
 キットあの悪ガキたち仲間のしたことだと、大体の見当は付いていたのですが・・・。

 当時の樺太では野菜類はともかくとして、果実類は内地からの物がほとんどで、特に大きな西瓜などは珍しかったので、その悔しさも半端でなくその後もしばらく諦められませんでした。
 そんな事からか今なお十五夜さんのたびに、想い出してしまうのです。

 さて今夜のお月さんは、老妻のチョッとした買い物でヨーカドーまで乗せていった時、駐車場から撮ったものです。
 駐車場が高かったお蔭で、家の近くではとうてい見られないような、まさにすてきな十五夜お月さんでした。

写真はヨーカドーの4階駐車場から撮ったもです。