昭和ひとケタ樺太生まれ

70代の「じゃこしか(麝香鹿)爺さん」が日々の雑感や思い出話をマイペースで綴ります。

夕焼けに惹かれて

2005-09-26 22:01:55 | 日々の雑記
 先日のことです。それは北日本を襲ったかなり大きな低気圧が去った翌日だったと記憶しています。
急な用事が出来て、日課の午睡を取り止めて、急遽隣村に出かけた日の帰りのことでした。
 余り時間を掛けずに、済ますことが出来るだろうと、軽く考えて出かけたのですが、予想に反してその用事が長引き、帰途に着いたのは6時に近かった。

 日中には車の数が少なくて、とても走り良い支線道路なのですが、近くに市や町が隣接している所為で、夕方ともなれば其処を往き来する車の数が、急に増えて来るのが常でした。早くも幹線支線の交差点の手前辺りでは、混雑が始まり若干の渋滞さえ見られました。

 私は暗くなる前に家に着きたいと、何時もはよく利用する街道を避けて、住宅街を抜ける道路を選んで走っていた。やがて住宅街に入って間も無く、老妻の「まぁ綺麗な夕焼けだこと・・・」の声で、速度をやや落としてバックミラーを覗き込んだ。
 そこにはまだ青さの残る片空が、見事な夕焼けに赤く染めあげられていました。私はどうやら先を急ぐあまりに、前方だけに気を取られ、刻一刻と移り変わって行く周りには、まるで気付かなかったのです。

 夕焼けは俳句の季語では一応夏のものとなって居るのですが、春・夏・秋・冬に関係なく夫々の夕焼けには、夫々の情趣があってとても好きです。それは子どもの頃からで、よく晴れた日の夕暮れには、ご飯時を忘れて外に出ていて、良く母に叱られたものでした。

 このように夕焼けに惹かれるのは、私だけの事なのか叉は他の多くの人たちも、私と同じなのかは良くは分かりませんが、夕焼けを見ていると何故か、言い知れぬ郷愁を感じるのです。そして訳も無いままに、真っ直ぐに続く片田舎の道を、母の手に引かれて夕焼けに向かって歩く、己の姿が脳裡に浮かんでくるのです。実際には母とそうしたことの記憶は一切ありません。物心がついてからはずうっと街中で暮らしていたからです。それに母は若くして病に侵されて、半身が不自由に成っていました。
或いは、かってアフリカを起源とする現人類が、より良い安住の地を求めて、地球上を隈なく渡り歩いた際、親子がアフリカの広野で経験した事が、私の遺伝子の中に残されているからなのであろうか。それは余りにも飛躍し過ぎた単なるこじ付けに過ぎないのか・・・。

 そんなことで今日も、母の手に引かれて行く、私の姿を脳裡に浮かべて、暫し郷愁に浸っていた次第です。
                  或る日の夕焼け

 



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4 コメント

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じゃこしかさん、こんにちは (polo181)
2005-09-27 15:23:12
写真は言うまでもなく、文章が素晴らしい。一つの完結した作品になっています。正直半端じゃないですね。夕焼けを見て、母に手を引かれて歩く我が身を想うとは実に説得力があります。これは万人に通じる表現ですね。奥様の一言が素晴らしい作品になったわけですね。
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poloさん今晩は (じゃこしか)
2005-09-27 18:59:18
 コメント有り難うございます。

夕焼けは春夏秋冬の区別無く、それぞれそれなりの風情があって魅了されます。



 文章の終わりの所は、無理なこじ付けとなり飛躍が過ぎました。
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そうなんですよね (ジュンク堂-ジュンコ)
2005-09-27 21:44:04
じゃこしかさん、文章も上手いんですよね。

とても美しい文章。



護国神社で慰霊碑の文章を読んだことがあるんですが、これもとても美しい文章でした。

年配の方の文章の美しさは、若いものには到底真似できないものがあって、

ため息ものです。

「文章」というものに対する姿勢が全く違うんでしょうね。



この写真も素晴しいです。

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光栄です (じゃこしか)
2005-09-27 23:27:27
 ジュンク堂ージュンコさま、いつもコメント有り難うございます。

 学のある若い方から、大そうなお褒め言葉を戴き、身にあまることと光栄に思います。

 田舎の老人が書く文章ですから、文法も弁えずに、ただ書き綴っているだけです。但し美辞麗句を用いず、平易な美しい日本語をと、心掛けているだけです。



 時おりジュンク堂さまの処へ、お邪魔致しておりますが、拝見する度に、気後ればかりが先立ち、コメントを差上げる事も出来ずにおりました。田舎爺に免じてご容赦下さい。

 これからもどうぞ宜しくお願い致します。
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