昭和ひとケタ樺太生まれ

70代の「じゃこしか(麝香鹿)爺さん」が日々の雑感や思い出話をマイペースで綴ります。

癌に侵されて

2009-06-21 16:01:51 | 日々の雑記
 このたび皆様には不肖じゃこしかのためにたくさんのご心配を戴いておりますことは、身に余る光栄と心から感謝を申し上げるしだいです。
 下記は、安静がたがたこれまでの経過を少しずつ書き溜めたものです。
              
 初めは、単なる検査入院だからせいぜい一週間か長くても10日もあれば家に帰れると思っていたのですが、内視鏡検査の結果で分かったことは初期ながら大腸がんであることを知らされました。
 年毎の検便では異常が無く、排便もまた必ず日に1度寝る前に順調だったから、よもや自分が大腸がんなどとはまったく思いもよりませんでした。 
 
 たまたま生じた腹痛と嘔吐で急遽駆けつけたで夜間急病センターでの検査の結果、今度は腸閉塞の疑いありと即労災病院に回されたのですが、その日の夜遅くには腹痛も嘔吐感などは嘘のように無くなりまったく正常に戻り無事に家に戻ることが出来ました。 
 後日労災の先生の勧めで受けた大腸内視鏡検査の結果、大腸がんステージⅡと診断され、即手術の運びになったのです。ところが手術前の各種の検査で、心臓に若干異常が診られるということで、市立病院の心臓血管内科へ回されることになったのです。
 そこでのカテーテル検査の結果、労作性狭心症と診断されました。なんでも心臓を取り巻く動脈が細くなり、また詰まった箇所もあって生きているのが不思議なほどだとも云われ、さらに今の状態では全身麻酔の手術は無理で、命の保証は出来ないとのことでした。
 そんな訳で、カテーテルによるステント挿入治療を行うことになったのですが、このステントを挿入したした場合は一ヶ月以上経たないと次の大きな手術は出来ないとのことで、それまで自宅待機となったしだいです。

 今になって思うと今回の腹痛は、考えようにはとても幸運だったと云えるもので、若しこれが無ければ心臓の悪化などには少しも気付かず、きっと近い将来突然死に至ったことでしょう。
また単なる腹痛と簡単に思いがちな素人の私に内視鏡検査を進め、さらにその後の手術前の各種検査を慎重に進めて呉れた労災の先生と、欠陥の詰まりを発見していち早くステント治療を施して呉れた市立の先生は、まさに私の命の大恩人にほかなりません。ただただ頭が下がるのみです。              
 
 労災病院の窓から
(1)柳町公園


病室から見た夕日 
 市立病院から春採湖


千代の浦漁港


 

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7 コメント

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良かった! (yuuha)
2009-06-24 17:42:35
又、ブログを書けるようになったことが只々、喜ばしい限りです。じゃこしかさんの文章に接することが出来まして嬉しく思います。
それにしても、入院中もしっかり撮影されているのには脱帽の限りです。まさしくプロ根性ですね。
そしてまた、今回の一件をそのように前向きに受け止めていらっしゃることに感心し学ばせて頂きたいと思うものです。さすがーと思っています。
これからも、無理をしない程度に折々の所見などを書いて下さることを願っています。
どうぞお大事に次ぎへの手術に備え心身の涵養をなさって下さいね。
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じゃこしかさん、こんばんは (polo181)
2009-06-24 21:51:06
ブログへの復帰が遅れていたので心配しておりました。でも、原因が分かり治療法も確立している病ですから、心配ではありましょうが、乗り切れます。いまの医療技術は驚くほど進んでおります。この際、すっかり医師にまかせて、まな板の鯉となりましょう。

入院中も写真を撮っておられたのですね。「病室からの夕日」を見て、胸が痛くなる思いでした。お互い一日一日を大切に生きるとしましょう!
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写真、懐かしいなー。 (yuuha)
2009-06-25 09:08:31
市立病院は移転したのですね。
千代の浦の浜は幼い頃によく通り眺めたり遊んだりしたところなので懐かしいです。
釧路は上町、下町と幾つもの坂で別れていて、幣舞橋を渡り支庁坂を上る界隈に公共施設として、公民館、図書館、市立病院などがあったと記憶していますが、それも随分と古いことなんだーと改めて思ったのでした。
故郷を遠く離れて住む身には、自分が昔に住んでいた頃のままでの映像が残っているのを自覚したしだいです。
春採湖も、釧路の絶景の一つ夕焼けも、暫し幼き時代へと運んでくれ郷愁を誘って甘いほんわかした気分でした。
病身でも、こうして誰かに働きかけ何らかの役割をしているということでしょうかね。
人は、そのように関連しあい生きるが故に味わいのある人生に出来るのでしょうかね。
私も、じゃこしかさんの体験を通して何らかの感慨をものにしている感です。
お大事にして下さいね。
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yuuhaさま今晩は (じゃこしか)
2009-08-18 18:13:22
 Yuuhaさまコメントを頂きながら長いことお返事も致さず失礼いたしました。
 この度ガン摘出の手術を無事に済ませて退院いたしました。ブログは焦らず書き続けたいと思いますので宜しくお願いいたします。

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poloさん今晩は (じゃこしか)
2009-08-18 18:15:35
 せっかくコメントを頂きながら、長いこと放ったらかしにして申し訳ありませんでした。手術を終えて自宅で体力挽回の日々です。
 ボチボチ書いて行きますので、今まで同様宜しくお願いいたします。
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Unknown (かまって王子)
2009-08-28 02:12:49
 どうも初めまして。
 私は北海道帯広市に住む31歳の男です。
 私の母方の爺ちゃん婆ちゃんが樺太の恵須取町に住んでいて、樺太鉄道に勤めていたという話を昨日婆ちゃんから聞きまして、インターネットで色々と調べていたところです。
 調べると恵須取には線路が来てませんので、その辺りのことは明日また聞こうと考えているのですが。
 爺ちゃんは1917年生まれで既に他界しましたが、婆ちゃんは1921年生まれで現在88歳です。
 
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かまって王子さん今晩は (じゃこしか)
2009-08-29 18:10:46
 かまって王子さん初めまして。
 お祖母さまは私より大分先輩ですね。
 樺太の鉄道は東海岸の中ほど泊居町までで、ずうっと北の恵須取町までは延びていませんでした。その鉄道は太平炭鉱の石炭輸送専用鉄道の筈で、私も恵須取町へ出る時は塔路町から山越えして太平まで行きその鉄道を利用したことがあります。
 樺太は私には最高の故郷ですから、一度は帰ってみたいと願って降りましたが、叶わぬ夢でした。
 もういい歳の老人ですが、今後とも宜しくお願いいたします。
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