<少年期より・バラいちご>
私が少年期を過ごした樺太塔路町の炭砿時代の住宅は、もとより八軒からなる炭砿長屋で、山の麓から中腹の辺りまでを整地して建てられていました。そんな炭砿長屋の集まりの中でも、私の家は一番上にあったので、目の前には色々な灌木などが生茂る薮原が広がっていたのです。
一見寂しそうな処ですが、初夏になるとこの山は「バラ苺=藪苺」の宝庫となるのです。この木の実付いては最近「Google検索」で分かったのですが、「ラズベリー」と呼ばれている種類のようです。確かに似ているようですが、今一つはっきりせず、似て非なるものあるのかも・・・本当のことは分かりません。
当時はこの木の名前は知りませんでしたので、ただバラのように木や枝には硬くて鋭いトゲが一面に生えていたことから、子供同士で勝手に「バラ苺」と呼び合っていました。
そして実が熟する頃合を見計らって、時には枝葉が一杯に生茂って昼日中でも寂しく成るような薮原の中へ、単独で入り込み「苺探し」に夢中になるのです。熟した実が一杯に成る木は、毎年決まっているようなので、そうした木の存在だけは、仲間の誰にも教えず自分だけの秘密にして置きます。
それは大人たちが「キノコ類の在り処」を内緒にして、その場へ毎年のように出掛けて独り占めすることと全く同じです。
まるで毛糸で編み上げた帽子そっくりの丸い形でふっくらした真っ赤な実は、とにかくとろけるように甘さが一杯で、菓子類などの甘い物が滅多に口に出来ない時代でしたから、子どもたちはすっかり魅了されてその虜になっていたのです。
偶々運悪く山の中で仲間と一緒になった時などには、その鋭いトゲの怖さを物ともせずに奪い合うようにして食べていたのです。しかし大抵は一人の事が多く、たわわに実ったバラ苺を独り占めすることが出来て、先ず腹一杯に詰め込んだ後、予め用意していた空の弁当箱などに詰めて、弟妹たちのために恰も戦利品として、意気ようようと持ち帰ることもありました。
現在では殆ど季節に関係なく、甘味・酸味の味覚様々なハウスや路地物が、好みに合わせて好きなだけ手に入れる事が出来ます。こんな便利な世の中とはまさに隔世の感のある時代を生き長らえて来たことにも、それなりに意義が在ったのだとしみじみと感慨を抱くこの頃です。
子どものお八つは、その折々の季節の木の実などが多かったです。
山スキーなどで、干乾びた山葡萄やコクワの実を食べたこともありました。
あのバラ苺が北海道にもあったのですか、出来れば一度見たいものです。柔らかな手触りと、ほのかな甘味がとても懐かしいです。
ラズベリーの仲間は、「キイチゴ」と呼ばれ、日本には70種類が分布しているとの事です。
じゃこしか様が子供の頃、「バライチゴ」と呼んでおられたのも、これらの内の一つだったに違いありません。
それにしても、毛糸の帽子とは、本当に良い例えですね!本当に、ラズベリーの実は、小さな赤い帽子の様に見えます。