昭和ひとケタ樺太生まれ

70代の「じゃこしか(麝香鹿)爺さん」が日々の雑感や思い出話をマイペースで綴ります。

一人で迎えた結婚記念日

2012-05-18 17:33:31 | 日々の雑記
      ※ 花束と ケーキを供えて 遠き日の
          亡妻を偲ぶる 結婚記念日


 このたび妻亡き後での初めての結婚記念日を迎えました。
想えば私たちが結ばれたのは、昭和三十年五月十八日でしたから、もうかれこれ57年前の昔のことで、二人は共に二十二歳の時でした。
 金婚式を無事に済ませ、亡妻は3年後のダイヤモンド婚式を楽しみにしていたのでした。
 
当時私たちは、美唄市の三菱砿業所の同じ職場に勤めており、私たちはそこで結ばれました。言うなれば二人は職場結婚だったのです。
そこ頃の私は、樺太からの引揚者家族で、早くに両親を失っておりましたから、きょうだい達と共に兄家族の居候暮らしをしておりました。
一方亡妻も又、父親を炭砿事故で失ってから、家族と離れて姉夫婦と同居しながら、母親たち家族への仕送りを続けておりました。
そんな訳で私たち夫婦は、居候同士の因縁で結ばれたのでした。
私たちは、その頃の炭砿町では珍しい共稼ぎで、新生活を始めたのですが、苑3年後に長女が出来た折に亡妻は退職しました。
亡妻と一緒になってからの57年間は、本当に色々なことがありました。その間亡妻に支えられたことが何と多かったことか。
まさに私の人生は亡妻が居てこそのものだったと、今日しみじみと知らされました。
炭砿閉山による離職、そして再就職と再度の離職を経て釧路市に移住して、伯母の家に住み込みで働いた後、また二度三度と職を替えました。
そして職の最後には小規模企業ながらトップの座に就くことが出来ましたので、亡妻を楽にさせることが少し出来ました。
しかし私の引退後間もなく心臓と大腸の発病で再び看病などで、亡妻には本当に苦労を掛けてしまいました。今はただただ後悔するのみです。
 
 そして今日妻亡き後での初めての結婚記念日を、あたり前のことながら、たった独りで迎えたのです。
亡妻がとても花好きで、痛む膝などをいといながら毎春のように草花を植えておりました。そしてそれは今年も入院する間際まで続けられたのです。

 私は今日あらためて亡妻との57年間の在りし日を偲び、切ないながらも何かほのぼのとした亡妻の温かさを感じて過ごしました。



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4 コメント

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みの様今晩は (じゃこしか)
2012-05-19 17:22:57
 みの様何時もいつも温かいコメント有難うございます。
何もかも亡妻任せでしたから、余計に想いが残るのかも知れません。
でも、外出の折など道端の花などに惹かれるようになりましたので、
また以前のようなブログが始められそうです。
宜しくお願いいたします。
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poloさん今晩は (じゃこしか)
2012-05-19 17:11:12
 Poloさんいつもコメント有難うございます。
 私の方が病気持ちでしたから、私も妻がこんなにも早く逝くとは思いませんでした。それだけに未練が残るのでしょう、本当に意気地ないことです。
 でもporoさん方に励まされて、日々の過ごし方にも少し力が湧いて来ましたので、花撮り歩きが始められそうです。
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お辛いですね。 (みの)
2012-05-19 16:51:31
亡き奥様を慕い思われるじゃこしかさんの心中をお察しします。
お二人で歩まれてきた道の尊さは如何ばかりだったのか、じゃこしかさんならではの感慨ひとしおなのでしょうね。
人と人の出会いでそれだけの中身のある関係は価値あるもですね。
充分に幸せを頂いたのですね。
改めてご冥福をお祈り申し上げます。
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じゃこしかさん、こんばんは (polo181)
2012-05-18 20:16:16
辛い日々を送って居られるのですね。結婚57周年を迎えてもなお妻への感謝や愛の気持ちを持ち続け
ることは、そうざらにあることではありません。
よほど愛らしい奥様だったのでしょう。とても惜し
いことをしましたね。あと5年、いや3年でも良い、一緒に暮らしたかったでしょう。
心が締め付けられる話でした。
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