この度週末を利用して兄弟の旅行会を行った。道内に住むきょうだい四人と、男兄弟の夫々の連合いを合わせて六人である。
これまでにも両親や兄たちの回忌法要の都度、きょうだいで近場の温泉地へ出掛けていたが、今回のように「兄弟会」と正式に名付けて、集まったのは今回が初めてのことである。
共に七十歳を過ぎた現在、元気な内に年に一度は、夫々の地で会うことにしようとの話がもとで、とんとんと話が煮詰まり今回の運びとなった。そして初回のきょうだい会は、札幌の弟が幹事で羊蹄山の麓に在る「名水亭」で二泊することになった。
先ず札幌駅に集まり、ホテルの専用バスで出掛けた。せっかくの初会のきょうだい会だったが、天候が悪く途中はずうっと雨で、展望を期待していた中山峠は霧に閉ざされ、更に所々の日陰には未だに雪が残っていた。
札幌から近いうえにホテルのバスが利用できる温泉だけに、とかく混雑が心配されたが、折からの「よさこいソウラン祭り」が幸いして空いていた。食事も入浴ものんびりと楽しむ事が出来た。
評判の「三大蟹の食べ放題」を連夜堪能し、更に近くに建つ別館巡りと岩盤風呂を初 体験して来た。
久々のきょうだいが集まり、食事にカラオケにと心ゆくまで楽しみ、誠に有意義であった。なお来年は私が幹事役となり釧路で行うことに決った。
中山峠の展望も生憎の霧で覆われていた。
もう既に6月も半ばと言うのに雪があちこちに残っていた。
鄙びて趣きのある別館(ほろほろ山荘)
山荘には自慢の岩盤風呂も在るが、これもその一つの岩風呂
第二別館の敷地ある建つ教会
折り良く一組の結婚式があって、清楚な花嫁さんが見られた。
これまでにも両親や兄たちの回忌法要の都度、きょうだいで近場の温泉地へ出掛けていたが、今回のように「兄弟会」と正式に名付けて、集まったのは今回が初めてのことである。
共に七十歳を過ぎた現在、元気な内に年に一度は、夫々の地で会うことにしようとの話がもとで、とんとんと話が煮詰まり今回の運びとなった。そして初回のきょうだい会は、札幌の弟が幹事で羊蹄山の麓に在る「名水亭」で二泊することになった。
先ず札幌駅に集まり、ホテルの専用バスで出掛けた。せっかくの初会のきょうだい会だったが、天候が悪く途中はずうっと雨で、展望を期待していた中山峠は霧に閉ざされ、更に所々の日陰には未だに雪が残っていた。
札幌から近いうえにホテルのバスが利用できる温泉だけに、とかく混雑が心配されたが、折からの「よさこいソウラン祭り」が幸いして空いていた。食事も入浴ものんびりと楽しむ事が出来た。
評判の「三大蟹の食べ放題」を連夜堪能し、更に近くに建つ別館巡りと岩盤風呂を初 体験して来た。
久々のきょうだいが集まり、食事にカラオケにと心ゆくまで楽しみ、誠に有意義であった。なお来年は私が幹事役となり釧路で行うことに決った。
中山峠の展望も生憎の霧で覆われていた。
もう既に6月も半ばと言うのに雪があちこちに残っていた。
鄙びて趣きのある別館(ほろほろ山荘)
山荘には自慢の岩盤風呂も在るが、これもその一つの岩風呂
第二別館の敷地ある建つ教会
折り良く一組の結婚式があって、清楚な花嫁さんが見られた。
パソコンは70歳の手習いで始めた、まだまだ駆け出しの未熟者です。
私が住んで居た塔路町(炭鉱町)は、北緯47度以北の国境に近い所でした。
忘れもしません、終戦時に港湾守備に就いていた民間人の父が行く不明、その後の暮らしがまさに180度転換しました。
現在私なりに「自分史」を纏めつつあります。当時の苦しかった事など思い返しております。今はただただ懐かしいだけです。
貴女様のお父上様も色々とご苦労なされたようですね。それにそのお父様がご急逝されたばかりとのこと、ご悲嘆の程を拝察しご冥福をお祈り致します。
「ベリノコフのパン屋」さんは、分かりませんが、釧路市内のパン屋さんなのでしょうか。
なお勝手な事ながら、17年の私のブログ記事「第60回の終戦記念日」を読んで戴ければ幸いです。貴女さまの想い出の足しにでも成ればと思います。
写真も、とても上手ですね~
(私は、写真関係の仕事してます)
そうですか~父の暮らしていた場所の正反対
なんですね、手元に樺太の地図がありますので
私の祖母がロシア人だったために、一家全員
終戦2ヶ月前に突然日本軍よって上喜多内の
収容所送りになりました。外国人専用の
収容所です。生きて日本に帰れないと
父は思ったと、昨年初めてこの話を
聞きました。祖母がロシア人だったのは、名前も
違いますし、私を育ててくれたので
感謝してますよ~今でも、父も亡くなったので
今は、家族と父全員の位牌を守る事になりました。
さっそく仏壇を買い直し2日がかりで
綺麗に祖父母、叔父のお引っ越しが終わりまして
一段落つきました。まだ亡くなったという気が
ぜず、旅行にでも行ってる、ような気分です。
49日が終わるまで、自由に飛び歩いてるでしょう
そうだ~ベリノコフさんのパン屋さん知ってますか?
ご尊父様方が樺太のご出身だそうで、とても懐かしく思います。
敷香は東側ですね、私の生まれ育ったのは、ちょうど正反対側の西海岸にあります。
樺太時代の事は色々と懐かしくて、過去のブログにも載せております。
また74歳を過ぎた老人ですが、今後とも宜しくお願い致します。
が・・先週父が天国へ急に逝ってしまいました。
父は6人兄妹の3番目で70才でしたが
ずでに両親、兄妹とも亡くなってまして
唯一父が残っていました。数年前に
心臓のバイパス手術を受けましたが退院後
仕事が出来るまで元気になり、楽しく人生
送っておりましたが・・・1日会いに行ったのが
まさか、最後になるなんて思いもよりませんでした。すごく元気で9日も会う約束をしてたのに
警察からの電話で一人暮らししてた父の死を
知らされて、とてもショックを受けました。
父達一家は樺太の北部敷香で暮らしてました。
父を懐かしく思うあまりに、こちらへ
お邪魔してしまいました。樺太時代の話を
もっと聞いておくべきだったと後悔してます。
水産都市の釧路市に住みながら、カニ類は高価でなかなか食べられません。卑しいようでしたが、何年分も合わせて食い溜めをして来ました。
来年は本州の妹も参加するでしょうから、今から楽しみです。