師走も半ば愈々今年も後半月で終わろうとしている。今日から年賀状の受付が始まることを、朝のテレビニュースで知り昼前に出掛けた。
現役の頃は年内に出そうと早くから準備を始めるのだが、年の瀬が近付くにつれて帰宅が遅くなり、更に疲れ果てて夜食の途中で居眠りを始める始末で、一日延ばしの末に殆どが年を越してから、慌てて書き上げて投函するのが毎年のことになっていた。
ところが引退後は使い切れないほどに持て余している時間にまかせて、11月初めから準備に取りかかり、取り扱い開始日早々に出すのが常となっていた。
賀状の枚数は引退後かなり減って約100枚ほどである。先ず掲載する写真選びから始める。例年掲載する写真は、地域の紹介を兼ねてこの地方の風景、それもその年に撮影したのを選んでいた。
今年は折り良く「知床」が、世界遺産に登録されたのを良い機会とばかりに、昨年の夏に本州の妹夫婦と訪れた「知床」に決めた。しかしいざ選び始めるとなかなか気に入ったものが見付からない。
色々と迷った末に、帰路の際に撮った「霧に霞む羅臼岳」を選び出し、それを一般用とし、親戚用には今年鶴居の「伊藤丹頂サンクチュアリー」で撮って来たのに決めた。
賀状書きは全てパソコン任せにすれば、至って便利で速く出来上がるのだが、私の場合は変に片意地を張るのが悪い癖で、パソコンでするのは画像掲載と冒頭の言葉のみで、宛名書きや裏面の挨拶文は手書きと以前から決めて来ていた。
そんなことで高が100枚程度の数でも、3・4日は掛かってしまう。それも無事に昨夜書き終えたので、今日早速くに地域の郵便局へ出掛けたのである。
世の中、私と同じように暇な老人が結構多いようで、その局には10人の男女の老人が来ていた。中には知人同士が此処で出会ったと見えて、手を取りながら賑やかに声高に話し合うグループも居た。
帰宅途中、余りの快晴ぶりに誘われて、近くの川の上流にまで足を延ばしてみた。
すっかり雪に覆われた雌阿寒岳と雄阿寒岳の山々の全容を見せていた。
雌阿寒岳
雄阿寒岳
現役の頃は年内に出そうと早くから準備を始めるのだが、年の瀬が近付くにつれて帰宅が遅くなり、更に疲れ果てて夜食の途中で居眠りを始める始末で、一日延ばしの末に殆どが年を越してから、慌てて書き上げて投函するのが毎年のことになっていた。
ところが引退後は使い切れないほどに持て余している時間にまかせて、11月初めから準備に取りかかり、取り扱い開始日早々に出すのが常となっていた。
賀状の枚数は引退後かなり減って約100枚ほどである。先ず掲載する写真選びから始める。例年掲載する写真は、地域の紹介を兼ねてこの地方の風景、それもその年に撮影したのを選んでいた。
今年は折り良く「知床」が、世界遺産に登録されたのを良い機会とばかりに、昨年の夏に本州の妹夫婦と訪れた「知床」に決めた。しかしいざ選び始めるとなかなか気に入ったものが見付からない。
色々と迷った末に、帰路の際に撮った「霧に霞む羅臼岳」を選び出し、それを一般用とし、親戚用には今年鶴居の「伊藤丹頂サンクチュアリー」で撮って来たのに決めた。
賀状書きは全てパソコン任せにすれば、至って便利で速く出来上がるのだが、私の場合は変に片意地を張るのが悪い癖で、パソコンでするのは画像掲載と冒頭の言葉のみで、宛名書きや裏面の挨拶文は手書きと以前から決めて来ていた。
そんなことで高が100枚程度の数でも、3・4日は掛かってしまう。それも無事に昨夜書き終えたので、今日早速くに地域の郵便局へ出掛けたのである。
世の中、私と同じように暇な老人が結構多いようで、その局には10人の男女の老人が来ていた。中には知人同士が此処で出会ったと見えて、手を取りながら賑やかに声高に話し合うグループも居た。
帰宅途中、余りの快晴ぶりに誘われて、近くの川の上流にまで足を延ばしてみた。
すっかり雪に覆われた雌阿寒岳と雄阿寒岳の山々の全容を見せていた。
雌阿寒岳
雄阿寒岳
ただ今の私には、時間が有り余るほど在るものですから、余り焦らずに出来るのです。
今朝は今冬最低の気温でした。日を追う毎に山がはっきりして来ました。
この辺には山が少ないので、特別この山々に親しみを覚えるのです。
イラストでの賀状は、貰った方は楽しくて喜ぶでしょうね。不器用な私には到底無理なことで、またネットの写真などを借用すると、著作権云々で面倒です。
止む無く拙い己の写真で我慢しています。
低気圧と寒波が居座っておりますから、決して無理しないで下さい。