昭和ひとケタ樺太生まれ

70代の「じゃこしか(麝香鹿)爺さん」が日々の雑感や思い出話をマイペースで綴ります。

雌阿寒岳

2008-12-02 17:38:17 | じゃこしか爺さんの見て歩る記
 雌阿寒岳との初めての出合いは、夜間高校時代の修学旅行の時でしたから、もうかれこれ50数年前のことになります。
 高校生の修学旅行と言えば、当時は関西方面が一般的でしたが、働きながらの夜学生ですから、時間やお金の関係であまり遠くえは行けません。
 せいぜい道内の観光地が対象となった末に、大自然が多く残っているところとして、阿寒湖国立公園行きが決まったのでした。
 その修学旅行で一番に私を惹きつけたのは、この時初めて見た雌阿寒岳で、その雄姿にすっかり魅せられてしまったのです。
 それは一時期傾注していた啄木の短歌

     ※ {神のごと遠く姿をあらはせる阿寒の山の雪のあけぼの} 
 
 を、その時突然想い出して、イメージが増幅されたからでもありましょう。
 
 もともと樺太生まれで、間宮海峡の潮騒を子守歌として育った私ですから、海に憧れて当然の筈ですが、その海との縁は生後僅か数年で途切れてしまいました。
 父が炭鉱に就職したからなので、それ以来山深い炭鉱町で育ち、さらに引揚げ後もまた道央の炭鉱町で、20年ほど過ごしたのでした。
 ですから、山の端から昇る朝日を、そしてまた山の端に沈む夕日を眺めながらの日々でしたので、いつの間にか山の存在などは当たり前で、何とも思わなくなってしまったのです。
 ところが、修学旅行で見た雌阿寒岳の姿は、鮮やかに脳裏に焼きついたままで、その後何年経っても忘れることはありませんでした。
 そしてエネルギー革命による炭鉱閉山に伴い、釧路市に移り住むことになったのです。
 釧路市は、両親が青春を過ごし結婚したところなのですが、図らずも雌阿寒岳へのおもいが叶い、また両親が過ごしていた街で、わが生涯を終えることとなったのは、まさに願ったり叶ったりのことでした。
 なお雌阿寒岳は、先年の合併したことにより釧路市のシンボルとしてこれから、この先もずうっと在りつづけるだろうから、朝な夕なに眺めながら生涯を終えることが出来そうです。
 おそらくこの街が、私の終の棲家となるでしょうから・・・。

 一度夕焼けに染まる雌阿寒岳を撮りたいと思っているのですが、体調のこともあってなかなか実現していません。

昭和町の住宅街の外れから望む雌阿寒岳・先日小噴火した噴煙が・・・

自転車道路{湿原夢ロード}からの雌阿寒岳

上と同じ{夢ロード}をジョキングする若者たち

{湿原の風アリーナ釧路}の横からの雌阿寒岳