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昭和ひとケタ樺太生まれ

70代の「じゃこしか(麝香鹿)爺さん」が日々の雑感や思い出話をマイペースで綴ります。

ショッピングカート

2012-10-31 20:20:35 | 日々の雑記
  妻の他界以来の買物は殆ど娘と一緒なので、買物カートの役目は当然娘でしたが、最近になって私が引き受けることにしました。
 それは何故かと言うと、八十歳を過ぎた頃からなのですが、何故か店内の歩行に心許なさを感じたからです。
 ふとしたことで、娘のカートを押してみたところ、歩行の覚束なさが消えてしまったのです。
 いうなればカートが杖代わりなった感じでした。それが切っ掛けで、買物が済んだ後での店内はもとより、車まで駐車場を押して行くのを買って引き受けたのです。

そ こで亡くなる1年ほど前の妻との買物で、亡妻が同じようなことをしていたことを想い出したのでした。
 妻と一緒の買物では、カートを押して歩くのは殆ど私の役目でした。ところがいつの間にか買物の間も、また買物を終えて車に戻る時も妻はカートを放しませんでした。
 妻一切話して呉れませんでしたが、たとえ重いバッグを載せたカートであろうと、富に弱って来た足腰では杖に頼るより、カートに支えられて居た方がずうっと楽だったのでしょう。
 今になって亡妻の苦労を知ったしだいです。やはり私は駄目亭主だったのですね!

 下の写真は、先日買物帰りで目にした花です。季節が外れましたが、せっかく撮ったもので、亡妻も私も好きな花だけに捨てるに忍びず載せました。






電話機

2012-10-24 16:39:31 | 日々の雑記
 
 先日電話が壊れているのに気付きました。
普段は孫たちや身内の連絡は殆ど携帯でしているので、それにパソコンに支障が無かったものですから、固定電話が故障しているのには、まったく気付かなかったのでした。
確かなことは覚えておりませんが、もうかれこれ20年くらい前のこと、亡妻とあれこれ相談し合って決めた物ですから、私にはそれなりに想い出の多い電話だったのです。
それに、その頃の一般家庭ではファックス付きの電話は珍しかったから、その取り扱いを覚えるにもそれなり苦労したものです。
それに又、電話の方では、子機の取り扱いとか、短縮ダイヤル登録などでは、亡妻と二人して・・・ああでも無いこうでも無いと・・・時には喧嘩腰でやり取りし合ったことなど、今にして思えば想い出深い電話だったのです。
そう云えばこんな事もありました。大分前のことですが、今は施設に入っている埼玉の亡妻の姉に頼まれた事を、ネットで調べてファックスしたことが何度かありました。
そんな事を色々と想い出しながらの取り外しには、思いのか時間が掛かり辛いものになって仕舞ました。

今度の新しくした電話機はファックスが付いていませんから、大きさは前の半分ほどしかありません。それが又たまらなく物寂しさを誘うのです。
そして又たかが電話一つで、寂しさをかこつ不甲斐なさに呆れる始末です。

 下の写真は電話機とは何の関係もありませんが、外出時に撮ったものでボツにするに偲びず載せることに致しました。









文学界

2012-10-16 16:56:44 | 日々の雑記
 

 先日10日のこと、永年読み続けてきた{文学界}を今月限りで、毎月の予約を取り消して来ました。
 文学界の創刊は1.933年(昭和8年)とあり、私が読み始めたのは丁度三十歳頃でしたから、これまでに50年ほど読み続けて来たことになります。
 それほど永く読んできたのに今になって何故かと言うと、自分ではまだまだ思っているのですが、もう八十歳の年寄りには、今どきの若い作家さんの文体には付いて行けなくなったのです。
 今の若い作家には、若者としての良さが有るのでしょうが、私にはやはり長いこと慣れ親しんだ、往年の作家たちが忘れられないのです。
 古典的な{夏目漱石・森鴎外・志賀直哉・菊池寛}は別にして、例えば
 
{高井雄一・立原正秋・島尾敏夫・田久保英夫・古井由吉}などで、女性作家の中では{竹西寛子}です。
 

 この作家たちの作品はもうかなりの年月が経ちますが、今なお我が家の書棚にあって、気が向いた時には手にして抜き読みしております。
 しかし今後は、気まぐれの抜き読みで無く、家での空き時間や各病院での待ち時間の折に、それぞれ読み直そうと思ったしだいです。
 
 とは云っても本当に永い間読み続けてきた文学界、そう簡単に思い切れるものでは無いことを、つくづく知らされました。
 最後となった今月号は読み終えた後でも、直ぐには処理しないで記念のために、暫くは手許に置こうと決めたしだいです。

 月刊誌文学界



我が家のペット金魚の死

2012-09-29 16:15:18 | 日々の雑記
 妻が生前可愛がっていた金魚のことをブログに載せたのは、つい三ヶ月ほど前の6月のことでしたが、その金魚が先日死んでしまったのです。
 
 亡妻の後を引き受けてからは、自分なりに精一杯世話して来たつもりですが、
やはり何処かに落ち度があったからなのでしょう。

 これまでの金魚の世話は妻だけのもので、私が手伝うのは亡妻の体力が衰え始めた数年前からのことでした。
それも汚れた水を捨てることと、新しい水のポリタンクを運ぶことだけでしたから、その他の手順は在りし日の妻の見よう見真似で過ごしておりました。
 水の取替えにしても、今年は例年に無い暑さの連続でしたから、特に念入りにその回数増やしたつもりでした。
 しかし私の飼い方には、自分でも気付かない落ち度があったのからか、それとも金魚の寿命だったのかも知れません。
 
 これまで我が家の金魚が死んだ場合、家から1キロほど離れたK川支流の河口流すことにしておりましたので、今回も同じように水葬にして来ました。

 亡妻のためにもせめて来月の一周忌まででも、無事に持たせたかったと気落ちと、亡妻への済まなさでいっぱいでした。


前に載せた写真・・・亡妻の指に応える金魚

亡妻に代わって私が今まで飼っていた金魚



弟から貰った雨コート

2012-09-24 16:20:35 | 日々の雑記
 
 先日眼科へ行った時のことです。三ヶ月に一度の割で種々検査を受けているのですが、何よりも辛いのは、受付時間の8時まで外で待たされる事です。

 昨日まで夏日に近い天候がずうっと続いていたのでしたが、折り悪いことにその日の朝になってから、急変したのです。
 朝6時半に家を出たのですが、どうせいつものように直ぐに暖かくなるだろうと、半袖姿で出掛けたのです。
 しかし意地の悪いことにその日に限って晴れて来るところか、徐々に空の暗さが増して行き、挙句の果てに霧が立ち込めて来たのです。
 その時外で待っていたのは10人、半袖姿は私一人でした。後は皆長袖シャツやジャンパーで、中には冬物のコートを羽織っている人もいました。
 その内に風さえ吹き始めて気温は更に下がったようで、誰かが足踏みを始めたのです。
 
外で待つのは後30分くらいだから大丈夫だろう思っていたのですが、風とともに霧が増えはじめて寒さも限界に来ました。
やはり半袖では無理でしたので、まわりの人に頼んで一時車に戻ろうか、如何し様かと思案した時、ふと想い出しのが以前道南の温泉地で兄弟会をした折のこと、その帰釧途中で札幌の弟の家に立ち寄った際に弟から貰った雨コートのことでした。
あれは確か、あの時トランクに入れたままだったことでした。
それは、ゴルフを愛好している弟からの物で、確かゴルフ用の雨コートの筈でした。
ゴルフ用だからと、今までトランク収納箱に入れたままだったのです。
今の状態では、それが何であろうと躊躇する余裕はありませんでしたから、大急ぎで取り出して着込みました。
確かにゴルフ用タイプのコートでしたが、私のような年寄りが着ても全然おかしくなかったのです。その上衣だけを着て再び列に戻りました。

受付順番は6番目でしたから、今日は早く帰られるだろうと思ったのですが、いつもは一つだけの検査でしたが、今日に限って眼圧・眼底写真・視野の三つの検査が重なりました。そして全て終わった時には、11時半過ぎでした。
結局家を出てから5時間も経っておりました。もうヘトヘトクタクタで、家に着くなり昼食なんかは後回し、着替えもしないでそのままソファーで一眠りしたのは言うまでもありません。
肉親の目立たぬ愛情感謝しつつ・・・

ちなみにその日の気温は、この夏最悪で最低が16度1分で、最高が20度を下まわり19度2分でした。
                           

その日の夕方の外歩き・・・





忘れ物

2012-09-08 16:43:00 | 日々の雑記
 まことに恥ずかしいことですが、先日買物に出掛けた折のこと、せっかく買った食パンを置き忘れて来てしまったのです。
 そもそもその日の買物の目的は、翌日の朝食用の食パンが無いことに娘が気付いたからです。
 それは夕方近くになっていたものですから、娘が自転車で行くよりは車の方が速いからと、私が買いに出掛けたのでした。

 行きつけの量販店で、目当ての食パンの他に、思い掛けなく値引きしていたヨーグルトなどを買い足して無事に帰宅したまでは良かったのですが、買物を整理していた娘から、肝心の食パンが無いことを知らされビックリ・・・
 何しろ食パン売り場で、いつも通りに食パン一つひとつの賞味期限を調べて選び出したのですから、先ず間違いはありません。
 早速く店に確認のため電話を入れたところ、食パンは忘れ物係りに届けられて居たのでした。
 
 少し休んでから再び店に出掛け、無事に食パンを引き取って来ましたが、かなり恥ずかしい思いをしたのも、また確かなことでした。
 その時思ったのですが、其処の忘れ物の収納箱には、私が買ったのとは違う種類の食パンが有りました。
 迂闊者は私のような年寄りなのでしょう、ホットすると同時にある種の親しみさえ覚えました。
思うに置き忘れたのは、籠からバックに入れる時、食パンなど柔らかい物は後にしようと思って、一旦横に置いたのが原因なのでしょう。
 
 今度からは気を付けよう、との思いを強くして店を後にしました。
 
 なお我が家の朝食がパン食に替わったのは約10年ほど前からのことで、それまでは米飯に味噌汁といった具合の極く普通の朝食でした。
 それが食パンに牛乳とヨーグルトに替わったのは、何がきっかけだったかは、亡妻の居ない今となっては分かり様もありません。                     
 ただその頃私は、高コレステロールと高血圧、そして更に高血糖症で悩んでおりましたから、亡妻がそれを考えての事かも知れません。
 おそらくそうだったのでしょう・・・間違いありません!


帰宅途中住宅街の通りで撮った花







免許更新

2012-08-28 17:28:19 | 日々の雑記
  高齢者運転講習会を受けて無事に合格したことを、先日のブログに載せましたが、免許更新期間の誕生日も過ぎたので、今日更新を済ませて来ました。
 誕生日が来たので、早く片付けてしまおうと思いながら、やはり面倒さが先立ち今日まで伸び伸びになってしまいました。
 更新場所の運転試験場までは、車で30分ほど掛かります。それに殆ど国道38号線を通らなければならないので、途中大型車などで結構込み合うこともしばしばでしたから、少し余裕をもって9時半に家を出ました。
 更新前の講習などは、先の高齢者講習で既に済ませておりましたから、急がなくても良かったのですが、実はその日、試験場の方向に所用が出来たので、そのついでに済ましておこうと決めたのでした。

試験場に入って直ぐに声を掛けられたのは安全協会の窓口からでしたが、これは天下りなどの問題で前回から加入を辞めておりました。
今回も加入する気は毛頭ありませんでしたから、軽く頭を下げて無言で素通りしました。
 そして唯一つあった視力検査も無事に済ませて、更に顔写真も撮り終えて約30分ほどで、無事に新しい免許証を手にすることが出来ました。

 何はともあれ今日から3年後の誕生日まで、ゴールド免許で乗り回すことが保証されたのでした。
 但しボケ無い限り・・・ですが?

良く「宵待草(よいまちぐさ)」と呼ばれますが,ほんとうは「待宵草(まつよいぐさ)」です。竹久夢二の「待てど暮らせど 来ぬ人を 宵待草の やるせなさ」がこの通称を広めたのでしょう。









八十歳の誕生日

2012-08-18 16:53:51 | 日々の雑記

 たかが田舎ジジイの誕生日など、特にどぉって事はないのですが、良くぞ生きた八十歳・・・我ながら愛しく思うしだいです。
 しかしそうは云っても、やはり加齢の証なのでしょうか、正座が出来なくなったばかりか、その上に最近では胡座さいもが完全に出来なくなりました。
 それに目の方も、雑誌はもとより新聞などでも老眼鏡などは不要で、知人等からも随分と羨ましがられたものですが、大分あやしくなりました。
 但し今はまだ老眼鏡までには至りませんが・・・

 しかし昨年妻に先立たれてからは、娘との二人暮し、娘の世話で安穏な日々を送っておりますが、おのれ自身のことは自分独りで見なければなりません。
 それにつけても思い知らされるのは体力の減退で、その上根気(持続力)や記憶力などは毎日のように思い知らされます。

この先の生活は、病気になったり呆けたりしたら、一体全体如何なるのか、八十歳にして初めて知る不安感、病んで長く苦しみ、更に周りに迷惑を掛けるのなら、いっそのこと事故か心疾患で瞬時にこの世を去りたい。
そんな弱気な思いにとらわれる一方で、野菜と魚類主体の食事に、更に自転車漕ぎなどで健康に拘る日々を続けているのです。

独りで、色々な事に思い惑う、今日八十歳の誕生日でした。

 なお以前亡妻は、手作りの握り鮨などで祝ってくれましたが、そんな無い物ねだりは無理なので、今日は近くの量販店で買ってきて陰膳を供えて、娘と三人で食べました。

亡妻が特に愛でていたエリモシャクナゲ今年は一輪だけ花を咲かせました





Y-400

2012-07-31 20:58:35 | 日々の雑記

 この度、大腸の手術後満三年目の内視鏡検査を受け、その検査結果が後日の診療時で、手術以来の主治医から説明がありました。
そして今回も大腸には、何の異常も認められなかったことを知らされ、心から安堵して早々に帰宅し、仏壇に灯を点して亡妻に知らせました。
検査日が告げられてからずうっと、ふと心に忍び寄る不安感に慄いていましたから、きっと亡妻も心配してくれていただろうと思い、その喜びを分かち合いたかったからです。

なお手術後3年間何の異常が無かったのは、亡妻が手術後直ぐに近所の知人から、大腸に効果的なY-400が良いと聴いたからでした。
ところがそれは市販品でなくて特別な物だったので、亡妻はまたその知人を介して、入手方法を探し当てました。
それ以来亡妻の薦めるままに毎日飲み続けた結果が、術後3年目の今回の好結果となった確信しました。
色々と考えてみたところ、毎日欠かさず食べる食事の中で、手術後新しく食べ始めたのは、このY400だけだったのです。

今回の検査を担当してくれた女医さんが、とても明るい声で
 
「まったく以上は認められませんでしたよ!腸内はとても綺麗でしたよ!」

と告げて呉れた言葉、それは神のお告げのように有難いもので、検査を告げられた3ヶ月前から、絶えず心を覆っていた黒雲が見事に晴れて、心はいつもの明るさ取り戻しておりました。
 
病院に着いてからの3時間余りの待ち時間や、検査中の痛さや苦痛はとても辛いものでしたが、そんなことは何もかにも吹き飛んでしまいました。

そして心に残ったものは、亡妻への大感謝だけでした。


アイロン掛け

2012-07-28 20:30:26 | 日々の雑記

 明け方から小雨模様の一日で、外出する気も起こらないままに、自転車漕ぎやテレビで過ごしていたが、昨日娘が洗濯をしたハンカチが目に付いたので、
せめてアイロン掛けでも手伝おうと思いました。
 
 想えばアイロン掛けなどは独身時代以来のことで、当時はアイロン掛けばかりか、ワイシャツや下着類は洗濯もしていたのです。
何故そんな気を起こしたのかと言うと、生前の妻が洗濯の後で良くしていたのを想い出したからでした。
アイロンやそれに使うアイロン台などの収納場所は見知っていたので、早速く取り掛かることにしました。
ただ霧吹きが見付からなかったのですが、それは昔のアイロンと違って、今のにはスチームアイロンの仕様があるのに気付きました。
 
 そして亡妻が生前していたのを見よう見まねで、先ず延長コードを繋げて水を入れてスイッチオン。
 やがて蒸気が吹き出てきたところで、ハンカチに押し当てアイロン掛けを始めました。
 思うに、このスチーム使用は便利ですね。昔はワイシャツでは、霧吹きの吹き加減で随分苦労しました。
 これならわざわざ洗濯屋に出さなくても、普段着の半袖シャツ位なら自分で出来るだろうと、自信が付いたしだいです。

 それに付けても何もかも妻任せで過ごした年月を、またあらためて想い返したひと時でした。