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昭和ひとケタ樺太生まれ

70代の「じゃこしか(麝香鹿)爺さん」が日々の雑感や思い出話をマイペースで綴ります。

サマージャンボ宝くじ

2012-07-24 17:01:33 | 日々の雑記
 今度のサマージャンボ宝くじは、縁起を担いで売り出し当日直ぐに買いに行こうと思っていたのですが、生憎当日は一日中雨模様でその上買物などの予定が無かったものですから、すっかり忘れてしまいました。
 せっかく予定していた当日買いが駄目になってしまったので、後は何日でも良いだろうと、それに今度買う予定の売り場は、生前妻が買って一万円を当てたことがあった、家からかなりの距離のある場所でしたから、一日延ばしに延ばして今日買いに行って来たのです。

 ジャンボ宝くじは、これまでにも売りだされる度に、毎回バラ券で20枚から多くて30枚買って来ましたが、これまでの約10年間で一万円が1度当たったきりで、後は殆ど300円でした。
 
 今回もばら券を20枚買って来ました。妻は生前中買って来た宝くじは、いつも神頼みとして神棚に置いて居ましたが、私は仏壇の下の引き出しに置いております。神頼みならぬ仏の慈悲を頼りに・・・
 
 抽選日は8月7日ですから、約1ヶ月ほど待たなければなりませんが、
  
若し当たったら・・・の夢は大きく日々膨らんで行きます。

サマージャンボ団扇




家の花

2012-07-17 16:57:44 | 日々の雑記
        妻逝きて 荒れるがままの 家の庭
          季節巡れば 花は咲きけり
 
       
前にも書いたことですが、我が家の庭の手入れなどは全て亡妻任せでした。
私は、あんた心臓が悪いのだからと亡妻の云うがままに、膝の悪い亡妻の手入れを見ているだけでした。
 そんなわけで、亡妻が発病した昨年は手付かぬままのうえに、今年も私の手に負えないものですから、今の我が家の庭は雑草ばかりが生い茂り、見るも無残な荒れようです。
 
しかしそんな如何しようも無い状態の我が家の庭ですが、それぞれの季節が巡って来れば、それぞれの花が咲いてくれるのです。
亡妻が手を尽くしてくれていた頃に比べれば、花々の数もその勢いも劣りますが、私を癒してくれる存在であることには、まったく間違いありません。
これも亡妻のお蔭なのでしょうが、それぞれの花々をカメラに納め、亡妻の存在の大きさをしみじみと想いかえし、辛い日々を過ごす糧としての日々が続いております。

こんな状態がいつまで続くのかは分かりませんが、季節が変わり花木などが全て散り尽くしたの後の庭に、いったい何が残るのでしょうか。
そんな先のことよりも、今の花をしっかりと愛でることが、これもまた亡妻への供養であることを信じて・・・

レンゲツツジ

クリンソウ

テッセン

ゲンペイウツギ




私とデジカメ

2012-07-10 22:18:17 | 日々の雑記
     吾がために 買え替えて呉れた デジカメを
       今日も手にして 外歩きかな


私とデジカメの繋がりは、パソコンを始めた今から約10年前のことで、デジカメであれば日常撮った孫たちとのスナップ写真などのは、わざわざ写真屋に頼むことなくパソコンで手軽に作成できると知ったからなのです。
 その時初めて手にしたデジカメは、パソコンの購入時に色々とお世話になったソニー専門店の店員さんに選んで貰ったものです。
 このカメラの想い出は、沖縄・京都・奈良・伊勢神宮・熱田神宮・永平寺・兼六園などの旅行で持ち歩きました。
 これらの旅行は全て亡妻と一緒でしたから、辛さと切なさがつのります。

ソニーサイバーショットDSC-S70


そして次に買い替えたのは、ブログを始めた時で8年前でした。
 それはパソコンで他の人のブログ拝見したのがきっかけで、歩きながら鳥や花などが気軽に撮れるうえに、新しい技術搭載の手ぶれ防止付きの小型のデジカメでした。
 投稿を長く続けるためと内容を盛りだくさんにするには、デジカメは是非とも必要であることが分かったからです。

※ ルミックスDMC-FX9


それから程なくしてソニー専門店でパソコンを買った時、色々と世話になったに店員から頼まれて、義理買いしたものです。      
※ ソニーサイバーショットDSC-P72

※ ルミックスDMC-TZ7

このカメラは、いつも一緒に歩いていた亡妻に持って貰い、ブログに載せる写真を競い合ったものです。
 ですから私のブログの写真には、生前亡妻が撮った写真も多いです。

 そして2年前に買ったもので、現在主に持ち歩いている、望遠が今までの2倍以上あるもので・・・


これは望遠が効くので、鳥類などを撮るのに重宝しております。 

  




たこ焼き

2012-07-07 17:30:09 | 日々の雑記
 先日3月に次いで眼科検診に出掛けて来ました。三月の場合、早朝の玄関前での受付待ちは、私の今の体調では無理だったので、9時に受付をしたのですが、前回にも書いたとおり市内ばかりか、遠くは根室市や中標津方面から患者で込み合っているので、院長の受診までには少なくとも3・4時間は待たなければなりません。

 そんな訳で今日は六月の半ばですから、三月とは違って朝の気温も10度ほどの違いうので、7時前に家を出て並んだのです。
 私の前のお婆さんはご夫婦で来ていて、旦那さんはかつての私のように車の中で待っていました。
 多少の風はあったのですが、それは三月と比べるべくも無く穏やかで、さらに雲が切れて陽が射してくると、念のために重ね着して来たコートが要らなくなるほどでした。

 診療の方は朝早く並んだ貝割れ甲斐あってか、10時半には薬局での薬の受け取りまで全て終わっておりました。
 お昼までの大分時間ありましたので、昨年亡妻がそうしたように、眼科から少し離れた量販店に寄って、そのテナント{銀だこ}でたこ焼きを買いました。
 
 その日の午後のおやつ時間に、亡妻には陰膳にして一緒に食べたのは云うまでもありません。


サザエのお焼き

2012-06-26 16:28:48 | 日々の雑記
 一週間ごとに仏壇の供花を取り替えているのですが、今日はその日で、いつも行くスーパーのテナントの花屋での帰り、隣り合わせのお菓子屋さんサザエで御焼きを買いました。
 このサザエは隣街O市からの出張店ですが、一応道内でも良く知られたお店で、亡妻の好物で以前は良く買っておりました。もちろん和物菓子の好きな私の好物でもありました。
 ところが亡妻は三年前から、買物ついでに度々買っていたこの御焼きのを買うのは止めました。
 それは御焼きばかりではありません、やはりO市からのケーキーさんのケーキーを食べることをやめたのです。

 その原因は私にあるのです。三年前私は大腸ガンの手術と、心臓にステント挿入処置を受けております。
 そのため高血圧と糖尿病と動脈硬化症は絶対に避けなければなりませんから、日々の生活でも出来るだけ甘いものや脂肪分の多いものを減らしております。

 そんなことから亡妻は、甘いものはもとより、焼肉などの料理は作らなくなりました。
 亡妻と娘はケーキーも牛肉もそして天ぷらなどは、その後一切食卓に並ぶことはありませんでした。私のために我慢していたのです。
さぞや食べたかったであろうと思うと、本当に済まなく切なく思います。

 そして今日、サザエの御焼きを供えました。全部食べてね・・・!
 
 たくさん供えたいのですが、後の処置に困るので三個にしたのです。

サザエのお焼き



プランタに咲いたタンポポ

2012-06-20 16:10:15 | 日々の雑記
 掃除前に茶の間の窓を開けた時、何気なく窓下に置いてあるプランターにタンポポが一輪咲いているのを目にしました。
 このプランターは妻が生前長い間使っていたものですが、昨年の春先に妻が病んでから一年余、殆ど使われておりませんでしたから、いつの間にか雑草が生い茂る状態になっていました。
 妻はこのプランターで毎年のように野菜を育てており、その主なのがミニトマトで、他にえんどう豆がありました。
 雑草が生えたプランターで咲いているタンポポを見ているうちに、痛む膝を抱えながらも、晴天が続いた折などの水遣りなど、毎日のように世話をして居た生前の妻の姿が想い出されて来ました。
そんな妻を手伝うこともしないで、ただ食べるだけの私のすることは、時おり窓から眺めながら収穫を楽しみに待つだけだったのです。
そして待ちかねていた収穫の時季が訪れた朝、妻が食卓に出してくれたミニトマトなどは、イの一番に食べるのが私の役目だったのです。

今にして想えば、なんと身勝手な私だったことか・・・切ないやら恥しいやらです。

亡妻が使っていたプランタに・・・

一昨年まではミニトマトを育てておりました

良く育った年もありました




我が家のペット

2012-06-17 11:26:11 | 日々の雑記
 ペットと言えば犬か猫と思われるでしょうが、我が家の妻が生前可愛がっていた金魚のことで、云うなれば亡妻の形見とも云うべき大切なものです。
 我が家でも昔は人並みに、チコと名付けた雌の柴犬を飼っていた事がおりましたが、そのチコが癌に侵されました。
 その苦しみ様と最後があまりにも可哀そうで、それ以来永らくペットを飼うことは避けて来たのです。
 
 それが数年前のこと、亡妻が知人から不要になった金魚鉢を貰って来たのをきっかけに、我が家のペットとして金魚を飼うことになったのです。
 早速く前にホームセンターで金魚売り場に出掛け、金魚三匹と餌はもとより水草に濾過装置一式を買い込んだのでした。

 金魚の世話はかつての柴犬同様に亡妻の役目となり、私はもっぱら見て楽しむだけだったのです。
 亡妻の可愛がりようが金魚に届いたのか、以前ブログに載せたことがありましたが、亡妻を見覚えて顔を寄せると喜んでいるような素振りで近づきます。
 そして写真でも分かるように、ガラスに近づき亡妻の指の動きに合わせて泳ぎ回るでした。その金魚は長生きして15センチのほどの大きさになりました。                                                            

その金魚の死後飼ったのが今の金魚で、初めは前のように三匹買ったのですが、今は一匹になってしまいました。

昨年の春先に妻が病んでからの金魚の世話は、当然のように私の役目となったのですが、今までずうっと見るだけだった私には全く勝手が分からず苦労の連続でした。
いっその事何処かに引き取って貰おうかと思ったほどでしたが、いやいやこれは亡妻の形見と思い直して飼いつづけているのです。

なお金魚鉢の水の取替えや掃除は、生前の亡妻の見よう見真似でしているのですが、濾過器だけは掃除や取り付けが、私の手に負えず取り外してしまいました。
結局その分だけ鉢の手入れや水の取り替えの回数は増えましたが、今のところ問題無いようで至極順調です。
金魚の方でも私に大分馴れて来たようで、毎朝きまった時間の餌やりが近づくと、催促するようにガラスに近寄って来て激しく泳ぎ回るほどです。
本当に可愛いものですね!

亡妻が飼っていた金魚で、今は亡妻の形見となった・・・金魚

昔亡妻に馴れていた金魚・・・以前ブログ載せたことがある写真




部屋掃除

2012-06-13 17:32:11 | 日々の雑記
※ 掃除機を 手にする度に 膝悪き
   亡妻の掃除を 偲びておりぬ

妻の亡き後の家の掃除は、当然ことながら私の役目となったのですが、家の掃除といっても、家の全部と言うわけではなくて、私が主に使っている茶の間とその隣の仏間の二部屋です。
そのどちらも八畳間ですから、掃除する範囲は知れたものですが、歳のせいで畳での立ち居が苦手となったので、食卓を茶の間の真ん中に置いたのです。
その食卓の座椅子は、ベンチ仕立ての長椅子の上に、物入れにもなっているのでかなりの重さです。
掃除の際には、その座椅子を何度か移動させなければなりませんから、結構負担になります。
今私がしている掃除は二部屋だけですが、亡妻の場合は寝室とかトイレなどもあってかなりの範囲になります。
約20年ほど前から膝を患っていた亡妻には、かなり辛いことだったろうと思われるのですが、ただの一度も口にはしませんでした。

今私は週に一度、土曜日ごとに掃除をしておりますが、亡妻はそんなことでなく、汚れが目立ち始めたらしていたようです。
しかし日曜日だけは避けていました。それは私が仕事に就いていた頃からで、せっかくの休養のための日曜なのだからとの配慮だったのです。

今掃除機を手にして、亡妻の掃除を色々と想いかえしています。
どうして少しでも手伝わなかったのか・・・と反省仕切りです。

ちなみに私が二部屋だけの掃除を始めたのは、同居している娘の負担を少しでも軽くしようと思ったからなのです。

このように掃除機は見よう見まねで何とか使えるのですが、他の家事にいたっては、恥ずかしいことにレンジは牛乳の温めだけで、炊飯器などは一切分かりません。
 
 本当に駄目ジジイの見本そのものです。



亡妻へ大感謝続き

2012-06-04 14:20:55 | 日々の雑記
  今になって想いかえせば、若い頃はもとよりその後もずうっと妻あっての私で、まさに妻に{負んぶに抱っこ}の私でした。
 
 根っからの仕事人間の私は、朝5時から帰りが6時から7時というのが当たり前で、時には日曜日でさえも半日出勤するのが当たり前のことでした。
 そんなわけで、育児を含めて家の事などは妻任せでしたから、家の中のことは勿論、戸外の庭の草取りや、また冬の除雪なども妻が受け持っていたのです。
 妻は見掛けによらず器用な方で、押入れや物置の棚板の取り付けなども一人でこなしていました。今になってそれらを見る度に、ただただ済まなさが先立ち切なくなります。

後年私も少しは役立ちたいと思っておりましたが、肝心の心臓の不具合が見付かり、除雪どころか家から僅か30メートルほどのゴミ集積所へのゴミだしさえさせて貰えず、より以上に妻に負担を掛ける始末でした。
もともと私は地方の中小企業の職員でしたから、家計の遣り繰りでも妻には苦労を掛けたことでしょう。
特に娘たちが進学する頃は大変だったと思います。そのために妻は一時期ですが、一寸したアルバイトに出たことがありました。
ちょうど隣が弁当の仕出屋だったので、其処へ手伝いに出たのですが、朝一番の出荷に間に合わせる為の作業ですから、夜中から明け方までの手伝いでした。幸い直ぐ隣でしたから、時どき家の様子を見に戻っていました。
また私と違って理数系が得意の妻は、娘たちの勉強を良く見てやっていたようで、娘二人が地域一番の新学校進学ができ、そして一応名のとおった東京の大学に行けたのは、みんな妻の影響であり、また遣り繰りなど妻の才覚のお蔭でした。

 今の我が家では、私が買物役で娘が炊事に洗濯と二人がかりでこなして居りますが、今にして思えば何のことは無くこれらのこと全ては、妻は当然の事として日々独りで行っていたのです。
 それに比べると私と娘のしていることは、妻が生前していたことの半分くらいです。いやいや半分どころか遠くにおよびません。
 
 こうして何事に付けても、亡き妻への感謝と切なさに明け暮れる日々が、続いているのです。


高齢者運転講習会

2012-06-01 16:53:12 | 日々の雑記
 
 この度免許更新のため、七十歳以上の高齢者運転講習会に参加しました。私にとっては3回目の講習会でしたが、参加していつも思うのは、高い料金を取りながら、単なる年寄り苛めに他ならないと言うことです。
しかし法律なので、勝手に拒否するわけにはゆきませんから、指定の時間に約3キロほど離れた市内の自動車学校に向かいました。

一時半から開始された講習内容は、まずお定まりの事故の再現ビデオで始まり、記憶力テスト・シミュレーション運転の検査・視野検査・動体視力・暗視検査、そして最後が学校の車での実地検査でした。
私の場合はと言うと、シミュレーション運転は楽しかったのですが、一番苦手なのは暗視の検査で、全然駄目でした。
また試験コースでの実地運転は受講者3人が同乗して行われましたが、ふだんから乗り慣れている自分の車なら未だしも、試験用ディゼルエンジン車のアクセルの力加減さが分からず、私ばかりか同乗していた他の二人と愚痴り合ったほどです。
 
始まってから約3時間余、どうにか無事に受講を終えましたが、私の成績は、
5~(優れている)4(やや優れている)3(普通)2(注意を要する)1(注意)の3番目の(普通)でした。
 ちなみに前回の3年前の成績は、2番目の(やや優れている)でしたから、それも歳をとったと云うことなのでしょう。
 後は免許の更新手続きだけで、これは誕生日の前後各一ヶ月の期間が在りますから、7月に入ったら直ぐに手続きをする予定です。

 何はともあれこれからの3年間は、誰にも遠慮することなく乗り回すことが出来るのです。
 但し常に安全運転を肝に銘じ、更に長距離とか夜の運転は極力避けるつもりでおります。