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昭和ひとケタ樺太生まれ

70代の「じゃこしか(麝香鹿)爺さん」が日々の雑感や思い出話をマイペースで綴ります。

眼科

2012-03-21 16:35:40 | 日々の雑記
       
           亡妻と共に 永く通いし 眼科にて
            待つ間に偲ぶ 亡妻の情愛を

今朝いつもより少し早起きして眼科へ行って来ました。
10年ほど前に白内障の手術を受けて以来、毎年3ヶ月ごと{3・6・9・12月の年4回}通院を重ねています。
 通っている眼科の院長は、以前日赤病院眼科の副部長だった方で、私が白内障の手術を受けた時の女医さんです。
私が手術を受けた後間もなく隣町で開業したのです。日赤時代名医として、道内でも広く名を知られておりました。
ですから通院患者は市内と近隣町村はもとより、遠くは根室や中標津方面からの方々で、何時行っても混みあっていました。
ですから通院日は、朝5時に起きて7時には家を出ます。そして受付時刻の8時にまで、病院前で並んで待たなければなりません。
夏期間の通院月はともかく、冬季間は大変です。特に今年のように寒さが厳しい年は身に堪えます。

 なおこの眼科には亡妻も6年ほど前から、白内障の治療で通っておりましたから、この三月の通院日の受付は、今は無き妻が受け持ってくれていたのです。
 でも今は妻が居ないのですから、外で並ぶのは私自身がやらねばなりません。
 しかし心臓に欠陥のある私には、今日三月の寒さの中で40分近くも外で並ぶなんて、とても心配でなりません。ましてや今年の寒気、今朝も氷点下7度ほどまで下がりましたから、なお更用心しなければならないでしょう。

 それで今朝は、診察が終わるまでは少なくとも3時間は、或いはもっと掛かるかも知れないと、それは前もって覚悟して、8時過ぎに家を出たのでした。
 案じたとおりに4時間近く待たされ、清算と投薬を済ませたのは1時半過ぎでした。

 本当に辛い待ち時間でしたが、その間去来するのは、昨年三月の通院日一緒だった亡妻のことばかり、厚着してカイロを抱いているとは言いながら、日頃から膝痛に悩んでいるのに、私のためにきつい凍れる外で、一時間近くも立っていてくれたなんて・・・どんなに辛かっただろうに・・・としみじみ亡妻の有難さを偲ぶ今日の待合室でした。

 なお亡妻が一緒だったその日の診療は、遅くとも10時には終わるはずでしたが、私の視野検査が追加されたので、殆ど昼近くまで掛かってしまいました。
 帰る途中で、眼科の近くの量販店で昼食用に寿司を買い、さらにテナントの銀だこで、二人の好物のたこ焼きを買い足して帰宅したのでした。
 長い待ち時間の間に、そんなことも想い出しておりました。



N響アワー放送最終回にビックリ!

2012-03-19 17:03:04 | 日々の雑記
 新聞のテレビ番組表に載っていた{N響アワー最終回}をみた時は、本当に驚きました。
 月並みですが、見間違いかと自分の眼を疑ったほどです。そして何時から始まったかは、もとより詳しいことは分かりませんが、かなり古くからあったことは確かでしょう。
 私はクラシック音楽のことは余り良くは知りませんが、N響アワーは、私のような田舎育ちの者にでも分かり易かったので、良い勉強になりました。
 古いことですが、バイオリン奏者の海野義男さんを知ったのはこの番組で、その後レコードを買いましたが、クラシック音楽のレコードを買ったのは、その時が初めてでした。
指揮者のマタチッチさんの名前も、また忘れられない名前です。
  
しかしN響アワーが無くなるなんて非常に残念でなりません。
 それにしても、近頃のNHKはおかしいですね。何か・・・らしからぬ番組が多くなったような気がします。
 唯一受信料を取っていながら・・・です。

 最近は黒猫の親子たちは見掛けなくなり、平和が戻って来たようで、ヒヨドリがのんびり餌を啄ばみ、スズメも遊びに来ました。
リンゴを啄ばむヒヨドリ

その下で遊ぶスズメ




番いのヒヨドリ

2012-03-15 15:34:54 | 日々の雑記
  何気なく庭に目を向けた時、シャクナゲの枝にヒヨドリが、しかも仲良く番いでした。とっさに昨年まで来ていた番いかとも思いましたが、その大きさから別だと分かりました。
 どうせまた直ぐに飛び去って行くのだろうと、こっそり見ていたのですが、そんな風もなく絶えず枝から枝へと、ただ忙しく飛び回るだけでした。
 その内に、一羽だけが餌箱の上に止まりましたが、餌箱の上には雪が積もっていましたから、どうやらリンゴには気付かなかったようで、急に何かに驚いたように慌ただしく飛んでいってしまいました。
 こちらからは隣家の庭の様子は分かりませんが、キット積雪の陰にでも黒猫の気配でも感じたのかも知れません。

久しぶりの番いのヒヨドリ

     同         上


雪の日のツグミ

2012-03-07 16:39:29 | 日々の雑記
 今年は道央や道北に比べて雪が少なくてホットしていたのですが、それもつかの間で、なんと三月に入ってから吹雪混じりの雪が降り、がっかりさせられました。
 そんな日の朝のこと、家の庭に少し大きめの鳥が飛んで来ました。初めはヒヨドリかと思ったのですが、その羽色から数年前、やはり家の庭に姿を見せた時に、図鑑で見覚えていたツグミだと分かりました。
 毎年馴染みのヒヨドリは余り姿を見せないのに、今まで一度きりしか来なかった小鳥が、しかもこんな吹雪模様の日に現れるなんて・・・何か変ですね!
 

珍しく雪の日の珍客ーツグミ


餓死・・・?

2012-02-21 17:33:29 | 日々の雑記
今日の夕刊を見て・・・ビックリ!
 
 大きな見出しで{アパートに男女三遺体~餓死か病死}とありました。今どき六十代夫婦と三十代息子さんの三人が、揃って餓死するなんて信じられません。
 それも2ヶ月間も誰にも発見されなかったとは、どうやら電気とガスは停められ、この親子三人は水だけで暮らしていたようです。

 先だっても札幌でまだ若い姉妹が、そして釧路では年寄り夫婦が、誰にも知られずに死んでいたことがあったばかりなのに、いったいぜんたい行政は何をしているのだろうかと、腹立たしいばかりです。
 札幌の姉妹の場合は、一度だけとは云え役所の窓口に相談に行っていると言う、本当に何とかならなかったのだろうか。

 巷の噂では、生活保護のお金で毎日パチンコ通いを続けているとか・・・この時ばかりは、四六時中頭から離れぬ亡妻のことも忘れ、激しい怒りと遣る瀬無さに、暫し時を忘れておりました。


今年のヒヨドリ

2012-02-08 17:45:15 | 日々の雑記

 もう姿を見せても良い筈のヒヨドリが、月が替わって2月に入ってから数日も過ぎたのに、何故か姿を見せてくれません。
 今年の気温が例年よりかなり低目であることは確かですが、もともとが野生のヒヨドリですから、その影響は無いと思うのです。
 昨年は確か一月の半ば過ぎに、前年と同じように番いで現れて、餌箱のリンゴを交代で仲良く啄ばんでいたのでしたが・・・
 今年は時たま姿を見せるのですが、落ち着きが無くて枝から枝へと素早く飛び回るだけで、隣家の庭に近い餌箱へ近寄ろうともしないのです。
 それが先日のこと、その理由が分かったのです。それは下の写真でも分かるように、真っ黒な黒猫の親子が隣の庭木に登って遊んでいたのです。
 親の方はガラス越しの私に気付いたのか直ぐに下りてしまいましたが、仔猫だけは親猫の心配をよそに、木の上をあちこち動き回っているのです。
 
 隣の家の庭には数年前から、毛色の異なる数匹の猫を見掛けるようになり、その中に毎日のように現れる黒猫の番いがいました。
そして時おり、隣家の物置の屋根とか、塀の上から餌箱のヒヨドリを狙っていたことがあります。
何年か前のこと、その時の模様を{黒い悪魔}として、ブログ載せたことがあります。
きっとその猫のかたわれなのでしょう、どうやら仔を身ごもった方が、どうやら日当たりが良くて居心地のよさそうな隣家の庭に居つき、その物置の下で子猫を育てているに違いありません。
こうして{黒い悪魔}が四六時中うろついて居るようでは、この辺りは危険地帯となりましたから、幾ら気の強いヒヨドリでもそうは気軽に餌箱どころか、この辺りに近寄らないでしょう。
ヒヨドリの番いは一度姿を見せたきりで、以来全く姿を見せなくなりました、そしてまた別の隣ではリホームを始めましたから、今年のヒヨドリはもう絶望的でしょう。
 
 なおこれは余談ですが、昨年までブログに載せたヒヨドリの写真の中には、私が予約通院で家を空けている時に亡妻が撮って呉れたのが、少なからず混じっております。

黒い悪魔の子猫

今年のヒヨドリ(1)

同      上


日々の買物

2012-02-01 17:28:14 | 日々の雑記
     ※ 紛らしに 日々買物に 出掛けるが
         店々に残る 亡妻との想い出


 家でじっとしていると、思うことは亡き妻のことばかりで、暗い一日になってしまいます。
 と・・・いって外歩きでもと思っても今は冬の真っ最中で、今年は意地悪く一段と寒さが厳しくて、氷点下15度を下回る朝が続いております。
 朝の気温がそうですから、日中になったからと云っても氷点下の気温は変わりません。
 それに土地特有の強風が重なるのです。そしてその上道路はカチカチに凍れて、まるでスケートリンクそのものなのですから、まして私は年寄りの身、うかうかと外歩きも適えません。
 だからといって家の中ばかりに居ては、身体が鈍ってしまいますから、毎日の買物時を利用して大型店へ行くのです。
 買物は二の次として、その大型店の広いフロアー歩くのです。一・二階を通して歩けば結構な歩数になりますし、それに食品売り場も歩き回りますから、普段のウオーキングの歩数と余り変わらずこと足りるのです。
 
 こうして日々店を替えて歩いて居るのですが、噂によると、冬になると私を含めてそうした老人が増えるそうで、私のような老人を良く見かけます。
 確かに寒さ厳しい戸外を歩くよりは、程よく暖房が効いているうえに寒風にさらされることも、また滑って転倒する心配も無いわけですから、年寄りにとっては大型店のフロアーは最高なのです。
 
 それはいつもの様に大型店の二階を歩いていた時の事で、紳士用売り場でのことですが、一組の老夫婦を見掛けました。
 どうやら旦那さんのコートを選んでいたようで、奥さんが選び出したコートを旦那の着せて、姿見の前で微笑みながら何やら囁いて笑い合っていました。
 以前同じ売り場で亡妻と同じことをしながら、私の防寒コート選んだことが突然想い出されたとたんに、熱いものが一気にこみ上げて来ました。
 涙を堪え慌ててその場を離れました。  

蔭膳

2012-01-17 16:49:50 | 日々の雑記
             ささやかに 陰膳供え 亡き妻と
              共に夕餉を 楽しんで居り

 
 蔭膳とは、先日亡妻の月命日の時に知ったのです。お経の後での雑談で和尚さん教えられたのですが、故人の生前の好物には色々とあり、その中には仏さまにはあげられない、いわゆる生臭い魚類や肉類などもあります。
 そうした故人の好物を供えるためにあるのが、蔭膳というものなのだと教えられました。
 それまでは、たとえば出征しているとか、旅行などで暫らく家から離れた家族などへ用意するのが、蔭膳の由来だと思っていたのです。
 もう間もなく亡妻の誕生日が来ますので、何とかして生前大好きだった物を供えたいと思案して矢先のことでした。本当に有難いことでした。
 そしてその当日、太巻きに稲荷寿司、特に好きだった握り鮨と焼穴子にショートケーキも加えました。
 これ等亡妻の好物は、即私の好物でもありますので、一緒に美味しく食べたのは云ううまでもありません。

 それ以来、夕餉の度に食卓に蔭膳を供え一緒に食べるのが、我が家のしきたりになりました。
 
  

亡妻の願い

2012-01-08 17:22:24 | 日々の雑記
※ あゝもして こうもしてやれば 良かったと
         しみじみ想う 妻の亡き後


※ 在りし日の 妻を偲べば 悔い多し   
       涙ながらに 謝りて居り


 生前の妻の願いは・・・いったい何だったろうかと、あれこれと考えることがあります。色々考えた結果、それは姉さんに会いに行くことでした。
 妻より三歳年上で、埼玉に住んでいるのですが、5年ほど前に病気で倒れ、現在施設に入っております。
 妻が私も一緒でしたが、この姉さんと最後に会ったのは、やはり妻の妹さんの葬儀が名古屋で行われた時でした。
 それ以来九年にもなりますから、以前はけっこう会って居りましたから、今回の年月はきっと長く感じていたのでしょう。
 妻はもうかなり前から膝が悪くて一人旅は無理でしたから、どうしても私無しでは、飛行機はもとより汽車旅でも無理でした。
 しかしその私は未だ職に就いていたので、引退したらゆっくり会いに行くことにして、妻はそれを楽しみにしていたのです。
 いざ引退してこれからという時になって、私が大腸ガンに侵され、更に狭心症が見付かりました。
 それ以来安全を期しての生活の年月が、早くも二年も経ってしまい、ようやく自信が付いて来た今年の秋でもと、話していた矢先の妻の発病でした。
 こんな訳で、妻の一番の願いが適わなかったのです。妻が何気なく手帳に書いて居たのでしょうが、死後それを目にした時の、私の驚きと辛さ悲しさは例えようもありませんでした。 
 例え私が手術の後だったからと云っても、何か良い方法があったのでは無かったのかと、今は後悔するばかりです。 
本当に済まなかったと、ただただ遺影に涙して詫びるのみです。・・・ごめんね!

箱根駅伝

2012-01-03 17:43:24 | 日々の雑記
 今朝から待望の今年箱根駅伝が始りましたが、実は亡妻が大ファンで、これまでにも殆ど見逃したことはありませんでした。
正月だからゆっくり寝ていましょうと、自分から言い出して居ながら、翌朝はそんなことを誰が言ったの・・・と言うような顔をしていつもより早起きしてテレビを観ているのです。
亡妻はもともとマラソンとか駅伝競技が好きで、昨日のニューエヤーマラソンはもとより、各地で行われる競技の放送は各局とも正午からでしたから、その日の買物などの外出は大抵午前中に片付けて、放送開始待っていたほどです。
さて今回の箱根駅伝の往路は昨年同様に東洋大学が勝ちましたが、亡妻がいつも応援していたのは駒沢大学でした。その理由を聴いたことはありませんが、同じように私も駒沢の成績が気になってなりません。
今年の結果は、東洋大学が山の神様柏原選手などの力走により、これまでの最高記録を大幅に更新して総合優勝を果たしました。
駒沢は悲願の優勝はならなかったけれども、来年につながる記録を残して二位でした。天国の妻もキット残念がっていることでしょう。
こうして私は箱根駅伝を二日間観続け、さらに箱根駅伝各大学のゴールシーンの醍醐味を、天国の妻と共有したしだいです。