ルンルンピアノ

ピアノ教室の子どもたちとの楽しい毎日。。。。。。

692      にあんちゃんの旅  その3

2007-06-01 18:14:31 | Weblog
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日差しはいよいよキツくなり、車のエアコンを強にして走る。
この辺からカーブが増え道幅が狭くなってくる。
いよいよ 『にあんちゃんの里』 へ近づいてきたようだ。

間もなく前方右手に、同じような形の建物が並んでいるのが見えてくる。
(あ、老人ホームかな?!)
にあんちゃんのお父さんやお兄さんが働いていた、旧杵島炭鉱 『大鶴鉱業所』 跡地だ。

車を降りる。
フェンスに囲まれた簡素な老人ホームはシンとしてひと気がない。
ここは大鶴鉱業所の事務所や、日記の著者やにあんちゃん達が通っていた入野小学校大鶴分校などが建っていた辺りになる。
閉鎖後しばらくは町が誘致した綿織物の工場になっていたらしいが、今ではそれも無くなり、新しい老人ホームだけが建っている。

フェンス沿いに奥へ進むと静かな入り江になっていて、小さな船が何艘か浮いている。
岸の向こう側ではボートが一艘ひっくり返っていた。
日記に何度も登場する、 「細く長く入り組んだ仮屋湾」 というのがこれなのだなぁと、しばらく感慨にふけりながら眺める。

ここまで来れば、『にあんちゃんの碑』 はもうほどなくのはずだ。
元気を出して車に乗りこむ。

「あ、あった! あれや」
Nの声に思わず上体を起こすと、前方左手の道路沿いにそれらしき石碑が見えた。


日記 『にあんちゃん』 は、私が小学4年のとき、親戚のおばさんから貰って読んだ本だった。
小さな単行本で、その当時はサラッと読んだだけでそれほど感動もしなかった。
それが二十歳を過ぎた時分になってなぜか急に思い出し、その後何度か真剣に読み返した。
おばさんから貰ったその文庫本は、今はもう手元にない。

2年ほど前に近所の図書館で探してみると、少し大きめサイズの復刻版が出ていた。
早速借りて読んでみたのだが、1番印象に残っている、担任の滝本先生のことを綴っている部分がゴッソリと抜けている。
滝本先生というのは、著者安本末子さんが4年生の時のクラス担任だ。
多少荒削りな面も持ち合わせているが、当時教科書も買えぬほど貧しかった彼女に、いつもなにかと温かい手をさしのべる心優しい青年教師なのだ。
自転車のうしろに乗せて遠い病院へ連れて行ったり、修学旅行のお金を黙って工面してやったり、別れ際にアンパンを買って手渡したり・・・
そういう温かい気持ちに対して、彼女もそれ相応の感謝の気持ちをにじませた文章を書いており、そういう部分も読み返すたび毎回涙を誘われた。
ただ、この日記の後半で、突如としてこの滝本先生の人間性を辛らつに批判している部分があり、それがまたこの日記 『にあんちゃん』 のひどく印象深いところでもあったのだ。
 「えこひいき」 をするという事で書かれているのだが、日記の中では友達のセリフで

「いやらしか、滝本先生ね。 あんた、滝本先生、女すけべよ。 女でもね、社宅の人や、金持ちの人ばっかりひいきさすよ。 そいけん (それだから) よ、あんたは、びんぼうやろが、そいけん、あんた、しっかり勉強せんばきらわれるよ」

とすっぱ抜かれている。
それ以外にも、食べ方の下品なこと、自分の機嫌次第で授業をやらなかった事などがかなり細かく綴られており、それまで日記中に登場する滝本先生の温かいイメージがガラガラと崩れる部分でもあるのだ。


読むたびに、(ここまで書かれたら本人は相当なショックだろうな、それにしてもよくこの部分を削らずに出版したもんだなぁ) とヒヤヒヤした気持ちになりながらも、食い入るように読んでしまう部分なのだ。

長々と書いたが、復刻版にはこの1番気にかかる部分が無かった。
さすがに筆者の意向で削られたのかも知れない。
もし私が著者であったとしたら、やはり間違いなく削除して欲しい部分だ。
にも拘わらずこの部分が非常に印象深く、(もう1度読みたい、じっくり読み返してみたい) と強く思うのはなぜだろう。

そして今回の小旅行を前に、改めてネットで本を検索する。
復刻版以外で、もう少し昔の単行本がないかと探すと丁度良いのが見つかって早速注文した。
届いた文庫本をめくると、失われていたあの部分がしっかりと載っていた。 なつかしい。


「・・・もともと、この日記は公表するつもりのものではなかった。 末子はせっせとノートに日記を記して、遠く離れている長男に送ったり、特別親しい友人や先生にも読ましたりしているが、それだけのものであった・・・滝本先生に迷惑がかかりはしないか。 上に引いた滝本先生にかんする一節は、どうしても削除してもらいたいという主張にもかかわらず、原文どおりという編集者の意見におしとおされた。・・・この本のばあいにも、すべて本名でゆくという方針は、記述のリアリティーを保証することになった。 この本から、宮崎さんの冷たい仕打ちや滝本先生の性格描写をのぞいたら、「こんなにも混濁した世のなかに、暖かい思いやりを交わして生きぬく兄妹のけなげな姿」  「かぎりなくいとおしく美しい」 というお涙ちょうだいの純情物語しか残らなかったのではなかろうか・・・」

これは杉浦明平という人によって記されていた解説のあとがきで、今回初めて目にした。
ノンフィクションの難しい点だろうが、実際にはこの日記が世に出たためツライ思いをした人もかなりいたらしい。

滝本先生もこのあとがきによると、その後学校をやめて唐津市役所の職員となられたとの事。
あれから長い長い年月が経ち、日記の著者も60半ば。
滝本先生も、文中に出てくる他の色々な人達もすっかりお歳を召していることだろう。


石碑のすぐそばに車を停めて降りる。
同級生有志により建てられたという記念碑の前に立つと、それまでの疲れがいっぺんに吹き飛んだ。
記念碑には昭和29年3月23日の日記が抜粋されて彫られていた。
にあんちゃんの卒業式の当日で、ツギあてだらけの服で校長先生から‘努力賞’ をもらうシーンだ。
何度も読んでいる文章なのに、急に感極まって涙があふれ出てきた。
きょうはこの部分を抜粋して終わる。


「春のにおいを、そよ風がのせて、きょうは、そつぎょうしきの日でした。 「安本高一」 という先生の声に、前を見ると、六年生のれつの方から、にあんちゃんが、でてこられました。 にあんちゃんは、とくべつに 「どりょく賞」 をもらわれるのです。 でてきたにあんちゃんを見ると、やぶれたようふくです。 みんなきれいなようふくをきているのに、ふせふせ (つぎはぎ) をした上下です。 ただ、ほかの人とおなじところは、かみの毛をつんでいるというところだけです。
にあんちゃんは、校長先生の前にすすんで行きました。 校長先生は、「どりょく賞」 のもんくを、読みはじめられました。
いま、にあんちゃんは、どんな気持がしているでしょうか。
村長さんや大鶴の所長さんたちが見ている前に、上も下も、ふせ (つぎ) あてだらけのようふくをきて立って、どんな思いがしているでしょうか。 私は、かなしい気持でいっぱいでした。
私は、勉強もできませんし、こじきのようなかっこうもしていますから、もしもにあんちゃんがいなかったら、いや、いたとしても、にあんちゃんが勉強ができなかったら、この一年も、だれからでも、いじめられたり、にくまれたりして、すごしてきたことでしょう。
けれども、にあんちゃんが、勉強ができるおかげで、私は、だれからも、ばかにされたり、いじめられたりしたことは、いっぺんもなく、いま、ゆっくりと、四年生をそつぎょうできるのです。
にあんちゃんは、びんぼうにもくじけず、勉強にはげみ、同級生には、ぜったいまけない頭をもっておられます。
お金があろうと、なかろうと、一日も学校は休まず、家に帰ってからも、二,三時間はかならず、たとえ十時がすぎようと、よ習ふくしゅうをしてねられ、しけんは、たいてい百てんばかりで、八十二てんがさいていというような、りっぱなせいせきを、持って帰ってくるのです。
私は、にあんちゃんのすがたを見ているうちに、なみだで目がかすんで、なにを見る元気もなくなり、となりの人に、もたれるようにしておりました。」



またまた続く

コメント (4)
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