村神主、造営委員長から頼まれて村の記録写真を撮ることになった。
場所は奈良市藺生町だ。
20年に一度の葛神社の造営事業。
朝10時から始まる受付に間に合うよう車を走らせる。
遅れてはならない村の記録に焦りはないがついつい速度が増す街道。
天理市福住から旧都祁村吐山へ向かう大和高原地区の広域農道だ。
前方に法被姿の男たちが目に入った。
太鼓台を押す、というか曳く男たちである。
どこの村の太鼓台であるのか、取るものも取り敢えず直ちに車を急停車する。
時間帯は9時半だった。
ここら辺りでは見ることもない太鼓台の雄姿。
カメラを持って急ぐ。
急ぐのは心だけ。
術後の身体は完全復帰がまだまだ。
足の動きはノロノロだ。
とにかくシャッターをきる。
広域道路を外れて里道(りどう)に入るやいなや太鼓を担いでワッショイ、ワッショイ。
何人で上げていたのだろうか。
太鼓台を担ぎ上げたこの場で小休止。
その場におられた男性から声をかけられた。
数年前に葛神社祭祀を務めた宮守さんだった。
この日は造営奉告祭に際して奉納する太鼓台を先導する役目に就いていた。
藺生のマツリは11月3日。
これまで当日も宵宮も太鼓台を担いで村中を巡行してきた。
個々の事情で担ぎ手が少なくなった。
マツリに出仕するのが難しくなった。
何年か前、中断せざるを得ない状況にあると聞いていた。
今年は葛神社の20年に一度の造営事業。
目出度い祝いに太鼓台を担ぐことになった。
担ぎ手は、辻などで力を揃えて上げる。
村の境界まで巡行する村廻りは担ぐことなく台車に載せて曳行する。
昔の男たちは力自慢が常だったという話は各地で聞く。
休息をとった若者たちは再び太鼓台を曳行する。
造営祭典は午後2時。
それまでは村廻りの巡行。
4人の男の子たちがバチで叩くドン、ドン、ドン。ドン、ドン、ドン。
よーいやーさいっ、と聞こえる掛け声は遠くまで響いていた。
氏子、外氏子並びに来賓者を受付する時間帯は午前10時より。
祝いの一発目。
花火を打ち上げた。
葛神社境内に設えた受付場に行列ができる。
祝いの品を手渡して芳名記帳をする。
受けた芳名は裏方に回される。
お一人、一枚ずつ、お名前を墨書する。
内氏子に外氏子も奉納する。
とにかく数が多い芳名者。
墨書書き委員は休むこともできない忙しさである。
芳名札に書いて乾かす。
何枚か集まれば境内に立てた奉納芳名者パネルに貼りだす。
20年前の前回は奉納された金額を明示していたが、今回は名前だけにしたと造営委員長が話していた。
貼りだしは他にも清酒やお菓子の奉納もあるが、木札が足らなかったのか、紙に書いた一覧形式になっていた。
受付を済ませた氏子は小さな御幣を授かる。
ほとんどが家族の人数分になる本数を抱えている。
授かる本数は、予め申し込んでいたようだ。
受付を済まして和やかに談笑する人たちで境内は膨れ上がってきた。
今回の御造営は本社殿と末社殿の建替え。
100年目にあたる記念の日に社殿すべてを新しく建替えた。
6月に行われた正遷宮(上遷宮)神事で遷しましされて鎮座する社殿。
拝殿に登って間直に観る美しい社殿に向かって手を合わせる。
神さんを拝んだ内氏子に外氏子の人たちは祝いの酒をいただく。
その際に撮らせていただいた男性は隣村の南之庄の住民のKさん。
国津神社の行事を務める村神主だ。
久しぶりにお会いした目出度い場に感謝する。
造営の場に出合った人は南之庄だけでなく、度々行事取材でお世話になった室生染田のFさんや小夫嵩方のNさんも出合った。
それぞれが氏子の親戚筋。
婚姻関係にある人たちだった。
造営祭典に参列する招待来賓者らは参籠所内でいただくが、造営委員はそれぞれが空いた時間内を見計らって社務所裏のテント内で食事する。
私は造営委員が準備してくれていたパック詰め料理をいただく。
藺生町にある「杉の家」特製の弁当が美味しい。
ゆっくり食べている時間に余裕はない。
巡行から戻ってきた太鼓台が出発すると聞いて場に向かう。
逸る心を抑えつつ、身体に負担が出ないようゆっくり歩く。
太鼓台が置かれた場。
昼食を済ませた子供たちが集まりだした。
太鼓台を置いたすぐ近くに居た男性の衣装に目がいく。
赤い法被姿はどこかで見たような・・・。
思いだした。南京玉すだれ八房一門会の人たちが着ていた法被のひとつ。
村の青年団や子供たちは紺色。
赤い柄ではない。
八房一門会派によってというよりも一人一人が異なる柄の玉すだれ衣装。
もしかとして・・と声をかけた男性は村の親戚筋。
三郷町に住む人だった。
村の祝賀に大道芸を披露したいと思って着たそうだ。
赤い法被柄は特徴がある。
襟に八房の白抜き文字が見えた。
間違ってなければ八房流。
なにかとお世話になった八房美都香さんを思いだす。
師匠の八房梅香氏も存じていると伝えたら驚いていた。
三郷町に住む男性は藺生に親族がいる。
赤い法被の紋様に気がついた。
南京玉すだれの法被である。
それはともかく、しゃにむに始めた傘廻し。
男性曰く、師匠直伝の太神楽傘廻しだそうだ。
これってなぁに。
始めて見る大道芸をオモシロイと思ったかどうか聞いていないが、子供たちは笑顔で見ていた、が、そこを通りがかった青年団の顔はさて、である。
藺生の造営祭典には呼んでもいない大道芸。
察した男性はすぐさま仕舞われた。
村を巡行してきた子供神輿と太鼓台は午後3時前までに葛神社に戻る。
昼の休憩を挟んで再び巡行しだした。
先頭を行くのは台車に載せた子供神輿。
後方も同じく台車に載せた太鼓台。
その太鼓台を引導するかのように歩く天狗とお多福。
竹のササラを作法するのは天狗。
お多福は拍子木を打って音を鳴らす。
いずれも男の子が扮する天狗とお多福である。
神輿、太鼓台の奉納が始まるまでは村を巡行する。
1時間半をかけて残りの集落を巡る。
村、一軒、一軒を訪問するような太鼓台の巡行だ。
祝儀集めをしていた男性曰く、これが最後の見納め。
太鼓台は秋のマツリに出仕することなく、来年も・・。
造営の祭典奉納が最後になる。
追っかけしたかったが足は動かない。
神輿や太鼓台の速度についていけないのだ。
身体が思うように動かない私は村を巡行する姿を遠目で見るしかなかった。
昼を過ぎた辺りどころか、造営奉告祭が始まる直前まで行われていた受付。
済ませた人たちは鈴を鳴らして割拝殿に登ってお神酒をいただいていた。
遠くより聞こえる太鼓台の打つ音色をこれより始まる神事の場から聞いていた。
それと同時に打ち上げられた花火の音が炸裂する。
今年の御造営は本社殿と末社殿の建替え。
100年目にあたる記念の日でもある。
紅白幕を張った高台の櫓場に最初に登場する団体は地元民による雅楽隊。
葛神社楽人の会の人たちが奏でる。
楽人たちは例祭の他、祈年祭、社守交代の初午祭、夏神楽にも登場する。
神職宮司、大工棟梁・副棟梁、村神主、社守、造営委員長・副委員長、氏子総代長、招待来賓者は楽人の会が奏でるなか櫓に登って席につく。
開式の辞、修祓の儀、降神の儀、献饌の儀、宮司の祝詞奏上、大工棟梁の祝詞奏上を経て清祓。
高台の櫓場から境内下に向けてキリヌサを撒いて四方を祓う。
これより大工棟梁が主となって上棟の儀が行われる。
儀式の一つ目が曳綱の儀。
二つ目に槌打ちの儀である。
紅白の綱は新しくなった社殿の千木より櫓を経由して境内下まで曳いている。
綱に群がる氏子たち。
綱曳きする人は特定していない。
藺生町の造営では曳きたい人が曳けば良いということだ。
大工棟梁は櫓に立って大御幣を持つ。
副棟梁は境内下に降りて紅白を巻いたポール間の中央に立つ。
リハーサルもない曳綱作法はアナウンスで指示される。
「えーい、えーい、えーい」と云って棟梁は大御幣を大きく三度、左右に振りながら上方に向けて揚げる。
境内下に居る副棟梁は最後の「えーい」に応えるかのように合わせて「おー、おー、おー」と云いながら大御幣を大きく掲げる。
その際に氏子たちは綱を曳くのだが、実際は曳かない。
曳く真似事をするのである。
これを三度繰り返す。
「えーい」を充てる漢字は「永」に「栄」。
新しくなった社殿が永く栄えるように、また、氏子たちが氏神さんと永く結びつき、縁を深くする意味合いがある曳綱の儀式は氏子全員で行ったということだ。
曳綱の儀の次は槌打ちの儀だ。
大工棟梁が櫓中央に立つ。
副棟梁、造営委員長他役員、氏子総代長、来賓者は槌を手にして並ぶ。
目の前にある木材は棟木を想定している。
棟梁は「せんざい とー」と云いながら大御幣を上方に掲げる。
それを合図に並んだ人たちは「おー」と云いながら槌を下ろしてトン、トン、トンと棟木を打つ。
次の言葉は「まんざい とー」だ。
同じく「オー トン トン トン」。
次は「えいえい とー」。
所作は3回とも同じで、槌打ちも3回だから合計9回打った。
「せんざい とー」は「千歳 棟」。
「まんざい とー」は「萬歳 棟」。
「えいえい とー」は「永 々 棟」。
それぞれ漢字を充てたらよく判る目出度い詞で槌を打つが、リハーサルもなく、一発勝負なので息が揃うことはない。
上棟の儀の次は撒銭、撒餅。
いずれも高台の櫓から撒かれる。
撒銭は紅白紐で締めた五円玉硬貨。
餅も紅白だ。
撒くのは神職宮司と造営委員長の二人。
それぞれ境内下で待ち構える氏子たちに向けて撒く。
ここまで飛んできて、と願いを込めた手が伸びる。
餅はまだしも五円玉は小さく、しかも背景に溶け込んでしまう。
飛んでいく映像を記録するのはとても難しいが、撮った写真のなかに居た知り合いの顔を見つけた。
玉串奉奠、撤饌、昇神、閉式で終えた関係者は降りて退座する。
そのころともなれば村を巡ってきた神輿が境内にやってきた。
神さんに奉納する神輿代表者の一行は拝殿前に整列して拝礼する。
子供神輿に次いで宮入太鼓台も奉納に境内へ入ってきた。
「若連中」の文字を染めた法被を着る青藺生会の青年たち。
力を込めて太鼓台を担いで前後左右のお練り。
危ないからと遠巻きに見る氏子たち。
拝殿前の屋根に隠れる位置で太鼓台が動き回る。
目出度く奉納し終えた太鼓台の一行。
神輿を曳いてきた子供会の子供たちとともに並んで記念撮影。
なんといってもこれがイチバン気を遣う。
全員の視線がこちらを向くように声をかけてシャッターを押した。
青藺生会が担ぐ太鼓台。
見納めの太鼓台はこれが最後。
秋のマツリに出ることなく蔵に収める。
あと少しのひと踏ん張り。
力を込めて退出した。
午前中、俄かに黒い雲が流れてきた。
しばらくすれば小雨が降りだした。
数分間の雨降りにほっとする。
俄か雲は午後もあった。
神事を終えて退座された直後だ。
造営委員長、氏子総代の挨拶が終わったころには雨もおさまった。
境内に広がって見物する村の人。
これほど多くの人が見る視線の先は舞台に登場した人たちだ。
設えた舞台で激しくバチを叩く演奏集団は「独楽」の演者たち。
髭を生やした面そのものに表情はないが、叩く動作によって動きがある表情になる。
舞台前に座って観る氏子たちの笑顔でそれが判る。
造営奉告祭の〆は御供餅撒き。
境内角の4カ所に設えた撒き台。
場についたそれぞれの造営委員は一斉に餅を撒く。
群がる氏子たちの餅争奪戦が始まった。
餅が飛び交う。
歓声も飛び交う。
撒き場はもう一カ所ある。
畳敷の参籠所内で撒かれるのだ。
争奪戦に参加不向きな身体のお年寄りは参籠所で優しく撒かれる。
この日は曇天どころか俄かに流れる暗雲。
ポツポツと降りだす雨は午前中に一回。
午後も一回。
突然のごとく降りだした雨のときは受付を終えたときとか、祭典の合間だとかで濡れることもなかった。
〆の記録写真はこれまで何年間もかけて、目出度い造営祭典を無事に終えた造営委員たちの晴れ顔だ。
ほっとする顔を拝見して、引き受けた私もお役目を〆。
直後にド、ド、ドーンと花火が打ちあがった。
(H27.10.11 EOS40D撮影)
場所は奈良市藺生町だ。
20年に一度の葛神社の造営事業。
朝10時から始まる受付に間に合うよう車を走らせる。
遅れてはならない村の記録に焦りはないがついつい速度が増す街道。
天理市福住から旧都祁村吐山へ向かう大和高原地区の広域農道だ。
前方に法被姿の男たちが目に入った。
太鼓台を押す、というか曳く男たちである。
どこの村の太鼓台であるのか、取るものも取り敢えず直ちに車を急停車する。
時間帯は9時半だった。
ここら辺りでは見ることもない太鼓台の雄姿。
カメラを持って急ぐ。
急ぐのは心だけ。
術後の身体は完全復帰がまだまだ。
足の動きはノロノロだ。
とにかくシャッターをきる。
広域道路を外れて里道(りどう)に入るやいなや太鼓を担いでワッショイ、ワッショイ。
何人で上げていたのだろうか。
太鼓台を担ぎ上げたこの場で小休止。
その場におられた男性から声をかけられた。
数年前に葛神社祭祀を務めた宮守さんだった。
この日は造営奉告祭に際して奉納する太鼓台を先導する役目に就いていた。
藺生のマツリは11月3日。
これまで当日も宵宮も太鼓台を担いで村中を巡行してきた。
個々の事情で担ぎ手が少なくなった。
マツリに出仕するのが難しくなった。
何年か前、中断せざるを得ない状況にあると聞いていた。
今年は葛神社の20年に一度の造営事業。
目出度い祝いに太鼓台を担ぐことになった。
担ぎ手は、辻などで力を揃えて上げる。
村の境界まで巡行する村廻りは担ぐことなく台車に載せて曳行する。
昔の男たちは力自慢が常だったという話は各地で聞く。
休息をとった若者たちは再び太鼓台を曳行する。
造営祭典は午後2時。
それまでは村廻りの巡行。
4人の男の子たちがバチで叩くドン、ドン、ドン。ドン、ドン、ドン。
よーいやーさいっ、と聞こえる掛け声は遠くまで響いていた。
氏子、外氏子並びに来賓者を受付する時間帯は午前10時より。
祝いの一発目。
花火を打ち上げた。
葛神社境内に設えた受付場に行列ができる。
祝いの品を手渡して芳名記帳をする。
受けた芳名は裏方に回される。
お一人、一枚ずつ、お名前を墨書する。
内氏子に外氏子も奉納する。
とにかく数が多い芳名者。
墨書書き委員は休むこともできない忙しさである。
芳名札に書いて乾かす。
何枚か集まれば境内に立てた奉納芳名者パネルに貼りだす。
20年前の前回は奉納された金額を明示していたが、今回は名前だけにしたと造営委員長が話していた。
貼りだしは他にも清酒やお菓子の奉納もあるが、木札が足らなかったのか、紙に書いた一覧形式になっていた。
受付を済ませた氏子は小さな御幣を授かる。
ほとんどが家族の人数分になる本数を抱えている。
授かる本数は、予め申し込んでいたようだ。
受付を済まして和やかに談笑する人たちで境内は膨れ上がってきた。
今回の御造営は本社殿と末社殿の建替え。
100年目にあたる記念の日に社殿すべてを新しく建替えた。
6月に行われた正遷宮(上遷宮)神事で遷しましされて鎮座する社殿。
拝殿に登って間直に観る美しい社殿に向かって手を合わせる。
神さんを拝んだ内氏子に外氏子の人たちは祝いの酒をいただく。
その際に撮らせていただいた男性は隣村の南之庄の住民のKさん。
国津神社の行事を務める村神主だ。
久しぶりにお会いした目出度い場に感謝する。
造営の場に出合った人は南之庄だけでなく、度々行事取材でお世話になった室生染田のFさんや小夫嵩方のNさんも出合った。
それぞれが氏子の親戚筋。
婚姻関係にある人たちだった。
造営祭典に参列する招待来賓者らは参籠所内でいただくが、造営委員はそれぞれが空いた時間内を見計らって社務所裏のテント内で食事する。
私は造営委員が準備してくれていたパック詰め料理をいただく。
藺生町にある「杉の家」特製の弁当が美味しい。
ゆっくり食べている時間に余裕はない。
巡行から戻ってきた太鼓台が出発すると聞いて場に向かう。
逸る心を抑えつつ、身体に負担が出ないようゆっくり歩く。
太鼓台が置かれた場。
昼食を済ませた子供たちが集まりだした。
太鼓台を置いたすぐ近くに居た男性の衣装に目がいく。
赤い法被姿はどこかで見たような・・・。
思いだした。南京玉すだれ八房一門会の人たちが着ていた法被のひとつ。
村の青年団や子供たちは紺色。
赤い柄ではない。
八房一門会派によってというよりも一人一人が異なる柄の玉すだれ衣装。
もしかとして・・と声をかけた男性は村の親戚筋。
三郷町に住む人だった。
村の祝賀に大道芸を披露したいと思って着たそうだ。
赤い法被柄は特徴がある。
襟に八房の白抜き文字が見えた。
間違ってなければ八房流。
なにかとお世話になった八房美都香さんを思いだす。
師匠の八房梅香氏も存じていると伝えたら驚いていた。
三郷町に住む男性は藺生に親族がいる。
赤い法被の紋様に気がついた。
南京玉すだれの法被である。
それはともかく、しゃにむに始めた傘廻し。
男性曰く、師匠直伝の太神楽傘廻しだそうだ。
これってなぁに。
始めて見る大道芸をオモシロイと思ったかどうか聞いていないが、子供たちは笑顔で見ていた、が、そこを通りがかった青年団の顔はさて、である。
藺生の造営祭典には呼んでもいない大道芸。
察した男性はすぐさま仕舞われた。
村を巡行してきた子供神輿と太鼓台は午後3時前までに葛神社に戻る。
昼の休憩を挟んで再び巡行しだした。
先頭を行くのは台車に載せた子供神輿。
後方も同じく台車に載せた太鼓台。
その太鼓台を引導するかのように歩く天狗とお多福。
竹のササラを作法するのは天狗。
お多福は拍子木を打って音を鳴らす。
いずれも男の子が扮する天狗とお多福である。
神輿、太鼓台の奉納が始まるまでは村を巡行する。
1時間半をかけて残りの集落を巡る。
村、一軒、一軒を訪問するような太鼓台の巡行だ。
祝儀集めをしていた男性曰く、これが最後の見納め。
太鼓台は秋のマツリに出仕することなく、来年も・・。
造営の祭典奉納が最後になる。
追っかけしたかったが足は動かない。
神輿や太鼓台の速度についていけないのだ。
身体が思うように動かない私は村を巡行する姿を遠目で見るしかなかった。
昼を過ぎた辺りどころか、造営奉告祭が始まる直前まで行われていた受付。
済ませた人たちは鈴を鳴らして割拝殿に登ってお神酒をいただいていた。
遠くより聞こえる太鼓台の打つ音色をこれより始まる神事の場から聞いていた。
それと同時に打ち上げられた花火の音が炸裂する。
今年の御造営は本社殿と末社殿の建替え。
100年目にあたる記念の日でもある。
紅白幕を張った高台の櫓場に最初に登場する団体は地元民による雅楽隊。
葛神社楽人の会の人たちが奏でる。
楽人たちは例祭の他、祈年祭、社守交代の初午祭、夏神楽にも登場する。
神職宮司、大工棟梁・副棟梁、村神主、社守、造営委員長・副委員長、氏子総代長、招待来賓者は楽人の会が奏でるなか櫓に登って席につく。
開式の辞、修祓の儀、降神の儀、献饌の儀、宮司の祝詞奏上、大工棟梁の祝詞奏上を経て清祓。
高台の櫓場から境内下に向けてキリヌサを撒いて四方を祓う。
これより大工棟梁が主となって上棟の儀が行われる。
儀式の一つ目が曳綱の儀。
二つ目に槌打ちの儀である。
紅白の綱は新しくなった社殿の千木より櫓を経由して境内下まで曳いている。
綱に群がる氏子たち。
綱曳きする人は特定していない。
藺生町の造営では曳きたい人が曳けば良いということだ。
大工棟梁は櫓に立って大御幣を持つ。
副棟梁は境内下に降りて紅白を巻いたポール間の中央に立つ。
リハーサルもない曳綱作法はアナウンスで指示される。
「えーい、えーい、えーい」と云って棟梁は大御幣を大きく三度、左右に振りながら上方に向けて揚げる。
境内下に居る副棟梁は最後の「えーい」に応えるかのように合わせて「おー、おー、おー」と云いながら大御幣を大きく掲げる。
その際に氏子たちは綱を曳くのだが、実際は曳かない。
曳く真似事をするのである。
これを三度繰り返す。
「えーい」を充てる漢字は「永」に「栄」。
新しくなった社殿が永く栄えるように、また、氏子たちが氏神さんと永く結びつき、縁を深くする意味合いがある曳綱の儀式は氏子全員で行ったということだ。
曳綱の儀の次は槌打ちの儀だ。
大工棟梁が櫓中央に立つ。
副棟梁、造営委員長他役員、氏子総代長、来賓者は槌を手にして並ぶ。
目の前にある木材は棟木を想定している。
棟梁は「せんざい とー」と云いながら大御幣を上方に掲げる。
それを合図に並んだ人たちは「おー」と云いながら槌を下ろしてトン、トン、トンと棟木を打つ。
次の言葉は「まんざい とー」だ。
同じく「オー トン トン トン」。
次は「えいえい とー」。
所作は3回とも同じで、槌打ちも3回だから合計9回打った。
「せんざい とー」は「千歳 棟」。
「まんざい とー」は「萬歳 棟」。
「えいえい とー」は「永 々 棟」。
それぞれ漢字を充てたらよく判る目出度い詞で槌を打つが、リハーサルもなく、一発勝負なので息が揃うことはない。
上棟の儀の次は撒銭、撒餅。
いずれも高台の櫓から撒かれる。
撒銭は紅白紐で締めた五円玉硬貨。
餅も紅白だ。
撒くのは神職宮司と造営委員長の二人。
それぞれ境内下で待ち構える氏子たちに向けて撒く。
ここまで飛んできて、と願いを込めた手が伸びる。
餅はまだしも五円玉は小さく、しかも背景に溶け込んでしまう。
飛んでいく映像を記録するのはとても難しいが、撮った写真のなかに居た知り合いの顔を見つけた。
玉串奉奠、撤饌、昇神、閉式で終えた関係者は降りて退座する。
そのころともなれば村を巡ってきた神輿が境内にやってきた。
神さんに奉納する神輿代表者の一行は拝殿前に整列して拝礼する。
子供神輿に次いで宮入太鼓台も奉納に境内へ入ってきた。
「若連中」の文字を染めた法被を着る青藺生会の青年たち。
力を込めて太鼓台を担いで前後左右のお練り。
危ないからと遠巻きに見る氏子たち。
拝殿前の屋根に隠れる位置で太鼓台が動き回る。
目出度く奉納し終えた太鼓台の一行。
神輿を曳いてきた子供会の子供たちとともに並んで記念撮影。
なんといってもこれがイチバン気を遣う。
全員の視線がこちらを向くように声をかけてシャッターを押した。
青藺生会が担ぐ太鼓台。
見納めの太鼓台はこれが最後。
秋のマツリに出ることなく蔵に収める。
あと少しのひと踏ん張り。
力を込めて退出した。
午前中、俄かに黒い雲が流れてきた。
しばらくすれば小雨が降りだした。
数分間の雨降りにほっとする。
俄か雲は午後もあった。
神事を終えて退座された直後だ。
造営委員長、氏子総代の挨拶が終わったころには雨もおさまった。
境内に広がって見物する村の人。
これほど多くの人が見る視線の先は舞台に登場した人たちだ。
設えた舞台で激しくバチを叩く演奏集団は「独楽」の演者たち。
髭を生やした面そのものに表情はないが、叩く動作によって動きがある表情になる。
舞台前に座って観る氏子たちの笑顔でそれが判る。
造営奉告祭の〆は御供餅撒き。
境内角の4カ所に設えた撒き台。
場についたそれぞれの造営委員は一斉に餅を撒く。
群がる氏子たちの餅争奪戦が始まった。
餅が飛び交う。
歓声も飛び交う。
撒き場はもう一カ所ある。
畳敷の参籠所内で撒かれるのだ。
争奪戦に参加不向きな身体のお年寄りは参籠所で優しく撒かれる。
この日は曇天どころか俄かに流れる暗雲。
ポツポツと降りだす雨は午前中に一回。
午後も一回。
突然のごとく降りだした雨のときは受付を終えたときとか、祭典の合間だとかで濡れることもなかった。
〆の記録写真はこれまで何年間もかけて、目出度い造営祭典を無事に終えた造営委員たちの晴れ顔だ。
ほっとする顔を拝見して、引き受けた私もお役目を〆。
直後にド、ド、ドーンと花火が打ちあがった。
(H27.10.11 EOS40D撮影)