マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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第16回光匠会写真展in入江泰吉奈良市写真美術館

2016年09月27日 09時47分27秒 | しゃしん
つい先日お会いした元上司は婦人とともに写真クラブを運営されている。

会員の一人は堺で勤務していたときの職場仲間の人だ。

当時、仕事を終えて写真の講評をしてもらっていたのがそのときの上司だ。

写真展は毎年の案内状で通知される。

今回で16回目になる光匠会の写真展も昨年同様の入江泰吉奈良市写真美術館の一班展示室で開催される。

私はといえばカメラのキタムラ奈良南店で「食を干す」テーマに8枚組で展示している。

それを見てくださっていたご夫妻には身体のことで心配をかけた。

近距離、かつ単独運転の条件で許可されたことを伝えるためにも出かけたかった写真展だった。

会場は階段を降りて右旋回する場にある。

左は入江泰吉奈良市写真美術館本展の受付。

そこに見慣れた人が立っていた。

5カ月ぶりにお会いするKさんだ。

5カ月前は撮影を依頼された村行事のゾークを撮っていた。

そのときにお会いしたときは脈拍が110拍になっていた。

神社手前の若干の坂道を登るのが困難だった。

足が動かないというか、上がらないのだ。太鼓台の巡行を撮りたかったが、追いつけなかった。

そのときの様子は判らなかったというKさんは前回のゾークの状況をかすかに覚えているようだ。

それはそれももっと賑わっていたという。

祭典もそうだが、ゴクマキの量がとにかく多かったという年代は高校生。

隅から隅までの記憶はないらしい。

12月にアブレーション処置をした今の身体の脈拍は一挙に下がって40拍前後。

民俗行事の取材は自宅近所の3行事ぐらい。

10日ほど前に取材した村行事のオコナイに道具になる植材が変化していると話した。

オコナイに登場する植物は牛玉杖(ごーづえ)や乱声の叩き棒などだ。

護岸工事でカワヤナギが全滅して行事の材を変更せざるを得なかったという地域もある。

こういう状況に陥っている地域は増えつつある。

有名な東大寺・薬師寺などの大寺においても同じような現象が起きている。

村行事であれば、自然に生えた植物であっても村の人が採取するだけに集めやすい。

地元の自然は地元の人が詳しい。

山間の村であれば、山入りする人が生えている植生状況を知り尽くしている。

平坦ではそういうわけにはいかない。

取材地で話題にでる時期的な植生に松の木がある。

門松に立てる松はオン松にメン松の二揃い。

これを入手するのが難しくなって植木屋に頼む時代になっているのも現実だ。

調達できなくなって道具の材が代わる。

代替で継承する時代が長ければ長いほど変化の要素を忘れ去る。

こういう代替は文書化をすることがない。

口頭で引き継がれていくのが常である。

例えば長老が切り替えた状況を認知していたとする。

或はやむなく切り替えた植材を採取した人がいるとする。

だいたいが、その役目を担うのはトーヤさんだ。

トーヤの引き継ぎ書にそう書いてあれば後継者に伝わり、村の歴史が物語れるのだが、口頭の場合は記憶も曖昧になり、何十年も経過すれば代替わりで記憶は消える。

今日継承されている村でも、なぜにこの道具の材であるのか尋ねても答えは「判らない」である。

人の手によって変化をもたらせた植生の影響で行事やマツリに必要な道具が代替化する。

場合によっては道具そのものが廃止になった事例もあるやに聞く。

東大寺二月堂の修二会行事は講社(仁伸会・山城松明講・江州紫香楽一心講(フジヅル)・庄田松明講・伊賀一ノ井松明講・百人講・河内仲組・河内永久社・朝参講など)と呼ばれる組織の人たちが集め、運び込まれた道具の材料寄進によって支えてこられた。

松明の支柱になる真竹は入手しやすいが、一心講のようにフジヅルやタラ、ホウの木などある程度、植生範囲が特定地域にしか生えない植物を寄進する講社もある。

自然の恵みが変化し、入手、調達が困難になってくればどうするのだろうか。

難しい課題を抱えている。

考えさせる将来展望の長話に終わりはない。



ここらで一旦はお開きして光匠会写真展会場に移動する。

迎えてくれたのは前述したご夫妻だ。

その後の身体状況を伝えて、早速拝見する。

作品をひと通り見て回る。

気にいった作品があった。

一つは「火伏せ」。

もう一つは「雨の永平寺」だ。

その他にもいいなと思った作品がある。

「神代の音」、「リズム」くらいかな。

強烈な印象を受けたのは入口を入ったところに展示していた三枚組の「火伏せ」だ。

どの写真にも「水」の文字がある茅葺家屋をとらえた作品だ。

火災に見舞われないように屋根付近、三角部分の壁にある妻飾りの破風(はふ)文字は「水」。

それだけで消火機能は果たすこともない「水」の文字はまじない。

妻飾りの原型は火除けまじないの懸魚<げぎょ>)である。

作品の中央に配したのは大きく取り上げた妻飾りの「水」文字写真。

左右の写真は茅葺民家の屋根の内部をとらえていた。

「水」の文字は空洞。

白抜き文字のような感じだ。

屋根の内部は光がなければ真っ暗だ。

S暗闇のなかにぽっかり浮かんだ「水」文字。

外光を浴びた「水」文字は光が直線に伸びて屋根の下。

つまり天井板間へと繋がる。

光が当たった先には藁束が積んである。

そこに写りこんだ文字が「水」だ。

もう一枚も同じような感じだが、挿し込む光跡をうまくとらえている。

一般的に茅葺民家を撮影するには外しかから撮ることはできない。

作者は民家住民の許可を得て天井に登ったのであろう。

民俗的景観を表現した「火伏せ」の写真に感動したのであるが、「住」テーマの一つと思っていたものがガラガラと崩れた。

感動ものの写真はもう一枚。

「雨の永平寺」である。

雪か雨か判らないが、流れるように降り注ぐ状況の奥に僧侶が動く。

その場は楼門である。

霞むというか古風な色彩で描かれる絵画的手法の作品はどういう具合に撮ったのだろうか。

気になって作者に求めた。

細かく落ちる点々は雨。

その日は土砂降りだったそうだ。

流れる点が伸びる。

落ちる速度とシャッタースピードと相乗効果、とでもいった方がいいのか。

手前に流れる滴が点々の列で描かれる。

一直線に落ちる形跡は屋根から流れる溢れた雨滴だったのだ。

逆の方を向いて撮っていた。

僧侶が歩く気配を感じた瞬間に振り返って思わずシャッターを押した。

ゆえにピントを合している間もなかったという。

三脚もなく手持ち撮影。

ブレもなく、斜め感もなく、ぴたりと位置する水平状態を保った作品に圧倒された。



写真はいずれも光匠会代表からいただいた飲み物券が利用できる入江泰吉奈良市写真美術館の喫茶ルームでとらえたものだ。



展示された写真を拝見した印象が記録にのこればと思ってシャッターを押していた。

(H28. 3.12 SB932SH撮影)


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