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マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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西村の神武祭

2014年10月19日 09時56分34秒 | 山添村へ
満15歳になった男児がおれば「名付け」をすると話していた山添村北野の住民。

県内各地の行事に「名付け」があることは存知しているが、未だに拝見することはない。

「名付け」は「名替え」と呼ぶ地域もあるが、儀式をされる地域はそれほど多くない。

生まれた際には誰しも親から幼名を授かる。

現代では幼名のまま成人・大人を迎え、死ぬまで同名であることが多い。

かつては満15歳を迎えた男児は幼名を改め元服名を拝領していた。

元服名に名を替えることで認められる成人。

村の仕事ができる一人前の男として認められるのである。

杉原(八柱神社)、津越組(八幡神社)、腰越組(春日若宮神社)、牛が峰(春日神社)、奥小派の5地区で構成されている大字北野。

この日は津越組と腰越組が合同で行われる西村の行事。

本来なら4月3日である神武祭はいつのころか、3日に近い日曜日に移った。

祭典の場は腰越組の地にある会所。

腰越組の氏神さんは春日若宮神社を祀る会所である。

かつては牛ケ峯の共同墓地前より山を登る参詣道がある地に鎮座していた。

「元無格社 春日神社祠址」を刻んだ石碑を立てている地である。

大正二年である。

杉原、津越組、腰越組、牛ケ峰などの氏神さんは北野の美統(みすまる)神社に合祀されたのであるが村人は旧社地から遷したこの場に祀っている。

津越組は11戸、腰越組は13戸の西村の人たちが神武祭の祭典が行われる会所に集まった。

平成23年の9月には二つの組が建之された観音堂の営みを取材したことがある。

津越組の人たちはほとんど存知している人ばかりで馴染みがあるが、腰越組の人たちはごく数人。

取材を願った区長はお会いしたことがなかった。

急な願いは承諾されたが、祭典のみの取材となった。

神武祭は「名付け」の日でもある。

対象となる男児はやむを得ない受験事情で出席できずに代理を務めたのは父親だ。

神さんにお供えをしてオヒカリに火を灯す。

北野の天神社を祭祀する宮総代こと村神主の一人が腰越組在住者。

神さんに向かって名付けの祝詞を恭しく奏上する。

神さんの御前において認めていただくということである。

献饌、祝詞奏上、撤饌神事に頭を下げる村人たち。

そのあとは西村の会合を兼ねた直会に移る。

場は遠慮して退座する。

直会の会食料理は大橋の大矢商店のパック詰め料理。

親父さんは店の番で忙しく息子さんが列席されていた。

集まる人数は来てみないと判らないから多めに頼んでいると前にも話していた津越組のKさんはこの日も年預(ねんにょ)さんを務める。

いつもお世話になっている。



この日も余ったにぎわいのパック詰め料理をいただいた。

家で食べた料理はいつも世話になっている大橋の大矢商店製。

ほんまに美味しいのである。

(H26. 4. 6 EOS40D撮影)