平成25年に行われた将軍祭の行事をはじめに度々、取材をしてきた天理市兵庫町。
大和神社への宮入りや宵宮参りの在り方やカザグルマ造りも拝見してきた。
この日は4月1日のちゃんちゃん祭の本祭だ。
定刻時間までには装束を身につけた人たちが公民館へ集まってくる。
一同が揃ったところでオヤ頭屋が御礼を述べる。
それから始める出幸の酒。
東山間で見られるシモケシであるのかも知れない。
お酒を注ぐのは大人ばかりだ。
お稚児さんとも呼ばれている神子のトーニンゴ(頭人児)には注ぐことはない。

一行は出発に先立って氏神さんの素戔嗚神社に参る。
コミヤサン(小宮さん)と呼ぶ素戔嗚神社はかつて牛頭天王社と呼ばれていた。
拝殿に納めていた兵庫の旗や五合御供を括りつけた産子幣を取り出して、神さんに向かって行幸の安全を祈願して2礼、2拍手、1礼をした。
旗を受け持つ次年弟頭屋を先頭に黒の羽織袴姿の次年兄頭屋は産子幣を持つ。
トーニンゴとともに行動する世話人の頭人代(子守代とも)も黒の羽織袴姿である。
白衣姿の兄・弟頭屋、タツガシラ(龍頭)を抱える人足、龍の口舞役の子供に人足が続く。
この年の当番垣内は西新町(北・南)、次年は新建、その次は東垣内で、その次が昨年の廻りだった西垣内で一巡する。
この日の朝は旧家で火事が発生した。
「消防車が数台きてたいへんやった」と云う。
消防署の火元の検証に立ちあうのは区長と消防団。
昨年に勤めた兄・弟頭屋も「立ち会わないとあかんねん」と話していた。
火事になった旧家はこの年の弟頭屋の母家。
めでたい祭りではあるが、気もそぞろだと話していた。

焼けたお家は旗の向こうだ。
焼けた臭いが漂ってくるが、住んでいた婦人は無事だった。
どうやら仏さんに灯したローソクの火が原因だったようだ。
火を灯したまま畑仕事にでかけた。
その火が周りに移って延焼したようだと区長や消防団が話していた。
もしかとすれば、燭台が原因ではないだろうか。
仮に、燭台を洗ったとする。僅かであるが、水分が残っていたかも知れない。
火が点いたローソクが下に溜まっていた水分に落ちた。
そのときに発火する火災事故になるとテレビで紹介していた。
そうとしか考えられない。
火元の検証結果は聞いていないが、そうだと思う。
その件はともかく、一行は集落を抜けて大通りに向かう。

ときおり車が往来する旧道。
歩道に沿って東に向かう。

大池の堤防下を行くお渡り姿は晴れ晴れしい。
兵庫は大和神社が鎮座する新泉町。
隣村であるが参進は鳥居から入る。
成願寺、萱生、兵庫の境目の新建(しんたち)垣内の辻で曲がって、上街道(初瀬街道)をお渡り。
大和神社の鳥居を潜って参道を目指した。
いつもと同じ兵庫が行く道。
一年に一度しか捉えることができない大字のお渡りである。

長柄のように大字によっては氏神に参ることもない地区もあるが、これまで拝見した新泉、三昧田、佐保庄は氏神さんに参ってから参進される。
未だ拝見していない大字は岸田、萱生、成願寺だ。
大字中山はお旅所で待ちうけることからお渡りはしないだろうと思っている。
「それにしてもカメラマンは多なったが、氏子中が減る一方の大字。どないしたもんやろか」と話していたことが気にかかる。
出店も減って「龍の口のアガリも少なくなった」と云う。
(H26. 4. 1 EOS40D撮影)
大和神社への宮入りや宵宮参りの在り方やカザグルマ造りも拝見してきた。
この日は4月1日のちゃんちゃん祭の本祭だ。
定刻時間までには装束を身につけた人たちが公民館へ集まってくる。
一同が揃ったところでオヤ頭屋が御礼を述べる。
それから始める出幸の酒。
東山間で見られるシモケシであるのかも知れない。
お酒を注ぐのは大人ばかりだ。
お稚児さんとも呼ばれている神子のトーニンゴ(頭人児)には注ぐことはない。

一行は出発に先立って氏神さんの素戔嗚神社に参る。
コミヤサン(小宮さん)と呼ぶ素戔嗚神社はかつて牛頭天王社と呼ばれていた。
拝殿に納めていた兵庫の旗や五合御供を括りつけた産子幣を取り出して、神さんに向かって行幸の安全を祈願して2礼、2拍手、1礼をした。
旗を受け持つ次年弟頭屋を先頭に黒の羽織袴姿の次年兄頭屋は産子幣を持つ。
トーニンゴとともに行動する世話人の頭人代(子守代とも)も黒の羽織袴姿である。
白衣姿の兄・弟頭屋、タツガシラ(龍頭)を抱える人足、龍の口舞役の子供に人足が続く。
この年の当番垣内は西新町(北・南)、次年は新建、その次は東垣内で、その次が昨年の廻りだった西垣内で一巡する。
この日の朝は旧家で火事が発生した。
「消防車が数台きてたいへんやった」と云う。
消防署の火元の検証に立ちあうのは区長と消防団。
昨年に勤めた兄・弟頭屋も「立ち会わないとあかんねん」と話していた。
火事になった旧家はこの年の弟頭屋の母家。
めでたい祭りではあるが、気もそぞろだと話していた。

焼けたお家は旗の向こうだ。
焼けた臭いが漂ってくるが、住んでいた婦人は無事だった。
どうやら仏さんに灯したローソクの火が原因だったようだ。
火を灯したまま畑仕事にでかけた。
その火が周りに移って延焼したようだと区長や消防団が話していた。
もしかとすれば、燭台が原因ではないだろうか。
仮に、燭台を洗ったとする。僅かであるが、水分が残っていたかも知れない。
火が点いたローソクが下に溜まっていた水分に落ちた。
そのときに発火する火災事故になるとテレビで紹介していた。
そうとしか考えられない。
火元の検証結果は聞いていないが、そうだと思う。
その件はともかく、一行は集落を抜けて大通りに向かう。

ときおり車が往来する旧道。
歩道に沿って東に向かう。

大池の堤防下を行くお渡り姿は晴れ晴れしい。
兵庫は大和神社が鎮座する新泉町。
隣村であるが参進は鳥居から入る。
成願寺、萱生、兵庫の境目の新建(しんたち)垣内の辻で曲がって、上街道(初瀬街道)をお渡り。
大和神社の鳥居を潜って参道を目指した。
いつもと同じ兵庫が行く道。
一年に一度しか捉えることができない大字のお渡りである。

長柄のように大字によっては氏神に参ることもない地区もあるが、これまで拝見した新泉、三昧田、佐保庄は氏神さんに参ってから参進される。
未だ拝見していない大字は岸田、萱生、成願寺だ。
大字中山はお旅所で待ちうけることからお渡りはしないだろうと思っている。
「それにしてもカメラマンは多なったが、氏子中が減る一方の大字。どないしたもんやろか」と話していたことが気にかかる。
出店も減って「龍の口のアガリも少なくなった」と云う。
(H26. 4. 1 EOS40D撮影)