──中井久夫『清陰星雨』(みすず書房、2002年)
彼は見込まれたらいやと言えない男であった。
臨床でも論文の数で教授が決まる大学に嫌気がさしてもいたろう。
その結果の単身赴任である。
その夜、彼は心筋梗塞を起こした。まるで鳥の帰巣本能のように、
自分が運転して雪中四時間の道を県立尼崎病院まで行きたいと言った。
無謀を戒められて、彼は「よしわかった。ではモニターにつなげ」と言い、
自分で心電図を見ながら若い医師に指図して自己治療をやろうとした。
そして、ある瞬間、波形をみて「あ、これは駄目だ」と言い
「遺言を書き取れ、妻へ……子へ……」と述べ終わって瞑目した──。
神戸から浜坂に墓参りにきていたおばあさんが同じ心筋梗塞になった時には
神戸市衛生局長に直談判してヘリコプターを呼ばせた彼が、
自分の時には決してヘリを呼ばずに死んでいった、決して。河合淳、享年六十歳。
日本は時めく人でなく彼のような草の根で辛うじてもっているのだという思いを新たにする。
榊を供える番になった。写真を見上げたとき、不覚にも眼が霞んだ。
彼がいつくしんでやまなかった夫人が泣かれている前を、
私は夢遊病者のように通りすぎた。
はっと思ったが、もうイケダくんの夫人が彼女と相擁して泣いていた。