数えきれない教壇があって
教壇に立ちたがる数えきれない人間がいる
生徒を必要としている人間が大勢いる
同じくらい教師を求め生徒になりたがる人間がいる
なぜかわかる?
知と愚をわけるラインがあって
知の側に分類されたがる人間の心がある
この分類法は人間の歴史とともに古く
人間的生世界に内在する必然がある
何が問題なのか?
知の用法、知の頂きをめがける「主奴ゲーム」
ひと皮めくれば知愚の階梯をめぐる凶暴なゲームが展開している
(このゲームは自然界の論理と直列している)
つまり、架空の頂きがいまだ滅びていない時代の中にいる
いいかえると知の別の用法、生の支援を競うゲームが封印されている