ASAKA通信

ノンジャンル。2006年6月6日スタート。

「本山、常盤荘@名古屋」20221024

2022-12-09 | Weblog

 

 

「それにしてもせつなくない?」
「いきなり?」
「いけない?」
「いいのよ。せつなくて」
「当然でしょ」
「そうかしら」
「しっかりしなよ、なんて言わない」
「わかるでしょ」
「せつなくて、苦しくて、バカバカしくて」
「楽しいこともなくはない」
「でもさ、泣きを入れたいときだってある」
「ある」
「そういう相手がいればね」
「いるよ。みつけな」
「いなくったっていい」
「ほんと?」
「それはそれでということでさ」
「そうかな」
「いるよ。がんばれ」
「どっかにね。目の前かもしれない」
「見逃してる?」
「かもしれない。わかんない」
「腐るほどいるかもよ?」
「なんてね」

「せつなさ、かなしさ、孤独」
「何?」
「人生の花、文学のふるさと、とか言った作家もいたな」
「しゃらくさい」
「いいじゃん」
「それ自体一つの享受である、ある哲学者はそう宣った」
「何が?」
「喪失の感情、だって」
「チョー上から目線だな」
「悪くないと思けどね」
「どうしたらいいのさ」
「どうにもならないさ」
「でもね。それだけじゃないでしょ」
「生きてる証拠、とか」
「かっこつけるからややこしくなる」
「わかる。いろんなことがね」」
「いろんなノイズが混じり合って見えなくなる」
「どう見えなくなんの?」
「感情が渦巻いて本当の願いがわからなくなる」
「仏教でいう煩悩の仕業ですか」
「ほんとの心は迷子になりやすい」
「そうね。ああ、ややこしい」
「ややこしや、ややこしや」
「ややこしさにくじけない心で行こう」
「うん、だいじょぶ。でもな」
「とりあえず迷ってる自分を大切しようか」
「自分を否定したり非難したりしちゃおしまいかも」
「そこが分かれ目かもしれないな」
「何の?」
「とっつぁんとして生きるか、レディとして生きるか」
「レディ?」
「おんなでも人間でもなんでもいいけど」
「とっつぁんは人間じゃないの?」
「悟りを開くととっつぁんになる」
「悪い意味で?」
「そう。とんでもなく悪い意味で」
「どう」
「すべてはイロとカネとチカラで決着がつく、とかなんとか」
「性別を問わず?」
「そう。性別を問わず」
「ごまんといるな」
「一国の方針を決める場所を占拠している」
「戦争したがる心が具現化した姿とも言えるな」
「言えてる」
「わかれ目ですか」
「本質は凡庸なニヒリストだよ」
「でもさ、嫌って遠ざかるだけじゃ芸がないかな」
「有象無象ごまんといるからよけて通れない」
「目の前にいたら面倒くさいね」
「こっちのワザを研くしかないかな」
「それ大事だと思う」
「あしらう、さばく、うまく通り過ぎる」」
「でもね。結局人生ナントカとか、結論出すボケは蹴とばしときたい」
「できればね」
「面倒だけどそんな作業もあるな、たしかに」
「でもさ、とっつぁんを捻り潰してもゲインはゼロだよ」
「わかる」
「そんなことと関係なく大事なことちゃんと考えとこうか」

 

 

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「第三領域」 20221209

2022-12-09 | Weblog

 

 

 

新たな連結形式へ向かう意志の展開本質

「自己裂開的構造」(真木悠介)
「生の過剰と蕩尽」(バタイユ)

社会体が敷いたピッチを破る拡張的展開
(アート、詩、恋愛、革命、哲学、思想)

「侵犯の諸形式」(竹田青嗣)

この意志が芽吹き起動する生の位相
(まよい、ためらい、はじらい、未決のゆらぎ)

「心のうぶ毛」(中井久夫)
「中間地帯」(サリヴァン)

新たな連結が産む新たな世界経験の位相
(相互作用、二重記述、光のカクテル)

「多重視覚、世界の奥行き」(ベイトソン)

そして、この展開本質と展開の洞察のための原理的方法
(社会体に埋め込まれた自然的態度と世界視線のいったん解除)

「エポケー、現象学的還元」(フッサール)

 

 

 

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