ある能力を獲得することは、その能力が導く行為や帰結において、
成功と同時に失敗(エラー)の可能性を手にすることを意味する。
そして、その能力が巨大であるほど、成功も失敗も巨大なものになる。
この両義性は、個人にも集団にも当てはまるにちがいない。
単純に、共生や共和に資する貢献だったらすばらしい、とは言わない。
そうならそのことに歓びを感じてそうしてほしい。第一の起点に「われ欲す」があること。
たとえば倫理や道徳、なんらかの要請や命令が先行すれば危うさを孕むものになる。
「善きこと」と「人間の幸い」は必ずしも一致しない。
倫理や道徳が先行すれば、なおさらこの二つは互いに遠ざかるように思う。
「善きこと」(と信じたこと)の強行がだれかや集団の「不幸」と結びつく、
あるいは矛盾や分断や対立を生み出したり、増幅することがある、
そんなことがありうるということについて、敏感であってほしい。
ある他者や何ものかへの従属や拝跪ではなく、みずからそうありたいと願う、
その延長においてやり遂げるに値する価値を見出せればいいなと思う。
成功も失敗も引き受ける、ルサンチマンの発生しない生き方、かな。