くもりがち。
お天気下り坂のよう・・・。
何もする気になれず、おざなりの読書さえ、出来ずに、2,3ページ読んでも、すぐ別の雑念が、湧いてきて、結局のところ、全く本など読まない(・・・というよりは、読めない)数年間だった。
読書の愉しみ・・・。
それは、現実を忘れることである。
労働していたころは、仕事や会社がイヤで、それを忘れるために、読書に没頭していた。
仕事をすることがなくなれば、1日中でも本を読んでいたい・・・と思ったこともあった。
現実に時間が出来て、さて、好きなだけ本を読もうか・・・と思っても、現実問題が、一時たりとも頭から離れず・・・それも、解決する当てもなく、数年間の時間が過ぎ去ってしまった。
毎日、毎日、良く眠るようになった。
断眠が酷くて、2時間もすれば、目が覚めてしまう・・・ということも、少なくなってきた。
でも、この先、何のアテもない。
仕事も希望も・・・。
私のやりたい事ってなんだったのだろう?
今更、何が出来ると言うのだろう?
何の心配もせず、身体も元気で、日々、読書をし、時間に追われることなく過ごす・・・というのも、経済的基盤があってこそ・・・。
働かずして、どうして実現できようか・・・。
生れた家が資産家なれば、簡単に叶うのだが・・・。
そんなことばかり、考えてしまう。
そう。別に、やりたい事なんか、何もなくて、只、毎日、風のように、ふわふわ、ゆらゆら、何の憂いもなく過ごせれば、よかったのだ。
私が、一体、何を望んだろう・・・。
そんなことを思いながら、ふと1年前に購入した漫画本で、読むのが、なんとなく面倒で、放っておいた一冊があった。
今市子さんの『百鬼夜行抄-15』
今市子さんは、繊細な画風で、上手な漫画家さんなのだけれど、キャラクターの区別と物語の複雑さが、面倒になるときがあって、ちょっと敬遠していたのだけれど、一時、時間・現実を忘れて呼んでしまった。
昔の読書に戻ったような・・・(戻れたような?)そんな気がした。
読書原点回帰の一冊。