goo blog サービス終了のお知らせ 

鼎子堂(Teishi-Do)

三毛猫堂 改め 『鼎子堂(ていしどう)』に屋号を変更しました。

幻想・贅沢ドラマ館~開館口上

2012-07-10 22:51:33 | Weblog
真夏日。


私の読書は、邪道だと思っております。
ドキュメントだとか、あまり想像力が要らないものだと、文章そのものの意味を一度、自分の脳に収めるだけだから、意味を取り違えないかぎり、書き手の意図は、通じているのではないかと思う・・・思うだけで、全然違うのかもしれないけれど。

問題は、物語(小説)など、架空の世界(・・・または、ドキュメントに近い物語)の分野であります。
小説は、大抵(・・・絶対)、登場人物なるものが、不可欠・・・それが、人であり、モノであり・・・、生き物であり・・・何か出てこないと、お話にならないし。

その・・・登場する人物についてですが、たぶん、書き手には、明確なイメージがあって、読み手に、登場人物の性格・容姿・趣味・嗜好・生活・・・などを、一応イメージさせるわけです。

例えば、登場人物Aは、長身で、端正な顔立ちである・・・なんて、描写。

ふうん・・・背が高くて、整った顔立ちね・・・?
その瞬間、私の歪な脳は、A=俳優(役者)の誰か・・・を検索し始めます。
このイメージに合うのは、誰だろうか・・・?
現実にあるヴィジュアルを連想します。

大体のイメージが固まると、その役者を登場人物に置き換えると、読書もスラスラいくようで、
(・・・コレ、テレビか映画、もしくは、劇場・舞台で、実写してくれないかなぁ・・・)
と思う・・・私の『幻想・贅沢ドラマ館』の開演なのです。

だから、実際、その本(作品)が、映画化、或いはドラマ化されて、キャストが、私のイメージしたソレでないと、気に入らない・・・。勝手に、腹を立ててみる・・・
「あの配役、ぜってぇ(絶対)、ありえねぇ・・・!」

それ(実写化)は、いつも99%、私の想像した配役と合致したタメシがない・・・。
だから、いつも、いつも、考えてしまうのですが、この作者(書き手)は、この配役を許せるのだろうか・・・と。

しかし、本(物語)は、書き手の手を離れて、読み手が、それを読んで、どう思おうとも、それは、読み手の自由であって、書き手は、100%干渉できないので、寛容さは、ある程度、必要でしょう。
・・・そんなわけで、読書=ヴィジュアル(実写でやったら、どの俳優のイメージか)という全く私的な妄想の世界ですが、これから、時々、このブログ上で、書いていきたいと思っています。
幻想・・・なので、過去の役者さん、この世には、既に、存在しない役者さん、現状
よりも若い頃のイメージの役者さんなども、総動員して、無制限に、そして贅沢?に登場しますが、お許しを・・・(ただし、総動員する前に、企画倒れになって、自然消滅する可能性大です・・・)