鼎子堂(Teishi-Do)

三毛猫堂 改め 『鼎子堂(ていしどう)』に屋号を変更しました。

前世的な・・・。

2009-12-10 21:01:33 | Weblog
よく晴れて暖かい冬の日。

どなたかの著書か忘れましたが、時間が経つと本に出来る『紙魚(しみ)』のお話です。

修行中の僧侶がいて、お経を覚えようとしますが、どうしても途中にある言葉が覚えられない。
全巻暗記しているのに、その部分だけ、どうしても覚えられずにいた。
或る日、夢の中で、
『おまえは、前世で、その経典を食った紙魚だ。その部分を喰ってしまったから、現世で、その言葉が覚えられないのだ・・・。』
というお告げ?があった・・・。

まっ、そういうお話です・・・。

至宝ともいうべき経典を喰っちまった紙魚が、現世で修行僧に生まれ変わり、自分自身に一番必要なアイテムであるお経のある一箇所がおぼられない・・・というのは、如何なもんでしょうか?
紙魚にしてみれば、シミを作るのが仕事?だし、それ以外、紙魚の存在意義(・・・もともと紙魚に存在意義なんてあるのかどうか・・・)を根底から覆すお話ですが・・・。

紙魚は、なんで、こんな報いを受けなければならないのでしょうか?

僧侶という道を選ばなければ、こんな報いを受けずにすんだものを・・・。

因果関係だとか、来世だとか・・・今この現世を生きるのに、どうしても納得がいかない、理不尽だ、不条理だ・・・ということがこういう自分のあずかり知らぬ現象を少しでも宥めるのに、必要だから、あえて、前世まで、遡って、その理不尽な現状の理由を求める・・・ってことなんでしょうね。

・・・そうした方が、ラクな場合もありますかね。
なんで、そうなるのか分からないのだから・・・。

真面目にやって、誰に後ろ指差されることなく仕事に従事しているのに、成果を認められず、すべて徒労におわり、虚しく過ぎて行く日々に・・・。
もってうまれた外見だけで(仕事もロクにこなせないくせに、権利だけは主張して・・・)、なんとなく上手くいってしまう同僚を、横目で見ながら・・・そんなことを考えたりします。

それでも、その理不尽さを跳ね除けるような強い信念というか、揺ぎ無い強い心が欲しいと思っています。