未熟なカメラマン さてものひとりごと

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川霧たちこめる山間の城下町 備中高梁

2012-12-06 22:44:17 | 美術館・博物館

町並みに残る商家の構えは見事

11月25日(日)華鴒大塚美術館友の会・秋の観賞旅行があり参加しました。今回は、高梁市の高梁歴史美術館、頼久寺、そのあと町並みを散策し、昼食のあと、新見市の新見美術館を訪ねるコースです。参加者は、32名と少なく、バスの中はいつもにもなくゆったりしていました。
 最初に向かったのが高梁歴史美術館です。高梁歴史美術館は、高梁市文化交流館の2階に設置されています。この美術館では、これまで寄贈等で高梁市に集積された美術品、あるいは、歴史資料を保存活用するとともに、高梁の歴史に関する資料、高梁ゆかりの作家の作品の収集、企画展の開催を行っています。

この日は、森下修三洋画展が開催されており、2階の美術館入り口のところで、当のご本人、森下修三氏がご挨拶をされ、引き続き絵の説明をしていただきました。氏は高梁市成羽町のご出身だそうです。絵の特徴ですが、被写体をカメラにおさめたものを基本とし、水の色、空の色などカメラでは写しだしにくい部分を、実際見たイメージで表現し、あとは感性で無いものを持ってきたり省略したりと、制作過程の裏の裏を教えていただき非常に参考になりました。おもしろかったのは、展示会に出品する作品を描く時間がなくて、家の前のお店を被写体に、3日間で急ぎ完成させたという話です。漁港がお好きなようで、因島には何度も通われたそうです。最近はファミリーなどシルエット的に人物を題材に描かれることが多いようです。日展には何度も入選されている実力者です。

次の目的地は、古刹頼久寺です。バスは国道沿いにある観光駐車場に駐車しました。こちらで町並みを案内していただくガイドさんから説明がありました。このガイドさん、今日が初めてとのことでした。知識が豊富で聞き取りやすくわかりやすい説明でしたが、どうしても話が長くなり、時間的にどうかとそちらの方が心配になりました。
高梁市は岡山県の西部、古くは備中国といわれた地域の中心に位置し江戸時代には、備中松山城とその城下町を中心とした備中松山藩として知られていました。町並みには、古い町屋もたくさん残っており、往時の繁栄を物語っています。観光駐車場の向かい側にその特徴をよく残した酒屋さんがありました。家の前の柱に、固定された鉄の輪があったので「これは何ですか?」と尋ねると、紐を留めるものでしょうか?とのことでしたが、私は馬をつなぐ金環ではないかと思っていたので、意外な回答に、はてなと思いました。

しかし自信がなかったので反論はできませんでしたが、帰って調べると、駒つなぎとありました。江戸時代の大名貸や、蔵元と呼ばれた商家の戸口に付けられている金具の事で、例えば、お客でお店にきたお武家さんが、乗ってきた馬をつなぐ為の設備だそうです。なお、駒つなぎとしての牛馬の使い分けは、金具を取り付ける位置で、高い位置にあるのは牛用、低い位置にあるのが馬用となっているそうです

町並みを散策しながら、頼久寺に向かいます。日本の道百選に選定されている紺屋川沿いの道や川を跨ぐ石橋の上に設けられた社、美しい教会の建物などを見ていると、もう頼久寺に到着です。石垣に囲まれた、城郭のような構えの石段を登ると、受付があります。当日はお茶会が開かれていたようでした。お目当ては、もちろん小堀遠州作庭の国の名勝日本庭園です。日本庭園大好きの私としては、縁側に腰掛けてじっくり見たいところですが、なにせこの人数、団体行動で、時間の制約もありそうもいきません。

このお寺は、1339年足利尊氏により再興され、備中国の安国寺とされました。永正年間に、備中松山城主、上野頼久が大檀越(だんおつ:寺や僧を援助する庇護者)となり寺景を一新します。1521年に、頼久が逝去したので、その2文字加え、安国頼久寺に改称されています。この枯山水庭園は、関ヶ原の戦いで東軍につき効をあげた小堀正次が、備中国1万4千石に封じられ、1604年に逝去したあと、あとを継いだ子の正一(小堀遠州)が、作庭したものです。小堀遠州というと、千利休のあと、天下一宗匠となった古田織部の弟子となった我が上田宗箇(筆者は茶道・上田宗箇流に席をおいています)と兄弟弟子の間柄であり、交友も随分あったそうですから、どことなく親しみもあるわけです。個人的には、この庭園を訪れるのは実は3度目でしょうか。ここは時間も忘れてのんびり眺めてみたい場所です。
この庭園の一番の特徴は、大胆なサツキの大刈り込み、青海波をイメージしているそうですが、大徳寺の孤蓬庵にも、打ち寄せる波を想わせる二段刈り込みが見られましたね。
肝心の撮影ですが、庭園の中にカエデの木があり見事に紅葉していましたが、畳の部屋から見ると逆光ぎみで、なかなかうまくいきませんでした。



遠州得意の大刈り込み

さて、頼久寺を見たあと、岡山県のふるさと村に指定されている、石火矢町の町並みを見て帰りました。その多くは、塀を残すだけのものですが、武家屋敷が二つ残っていて内部も見学できます。町並みには、駐車場も完備されていますので、ここを起点に散策するのもよいのかもしれません。JR伯備線を横断し、観光駐車場に戻ると、本日の昼食場所、高梁国際ホテルに向かいます。
昼食のあと、本日最後の目的地、新見美術館に向かいました。国道180号線をしばらく北上します。私は、こちらの美術館は初めてでした。バスは新見市の市街地から山手に向かいます。脇道に入り少し小高いところに美術館はありました。いきなり急こう配の石段が待ち受けていました。この道を登ると近道のようですが、正式には迂回するように大きくカーブした車道があります。玄関はちょうど反対側にありました。ロビーで、学芸員の方から、平松礼二展の紹介がありました。神奈川県足柄町立湯河原美術館に平松礼二館が設置されているそうですが、今回の展示会は、箱根芦ノ湖・成川美術館の作品を展示するものです。実際に、平松礼二氏もオープニングで解説をされ、絵も1点寄贈されたようです。絵は実に細かいものが多く、大作には気の遠くなるような時間を要したことでしょう。氏は、朝早くから、遅くまで几帳面に書き続けるそうで、書き上げた絵の数は相当なものだそうです。独特の世界観、じっと見ていると怪しい世界に引き込まれてしまいそうでした。

最近では、県北への通過点となっていた高梁市、久しぶりに町並みを歩き庭園もみることができました。新見市は正直何十年ぶりといったところです。こういった旅行でないと、なかなか来る機会もなく、そういう意味で、ありがたいと思いました。



新見美術館の紅葉もおわりです。
コメント
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