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未熟なカメラマン さてものひとりごと

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今年も室津に牡蠣を買いに行ってきました。 平成26年12月8日(月)

2014-12-12 00:24:01 | 古い町並み

室津の古い町並み

代休の月曜日、今年も兵庫県たつの市御津町の室津に牡蠣を求めて行ってきました。岡山県内にも、井原市に近い浅口市寄島町、備前市日生町(ひなせちょう=カキオコで有名)など牡蠣の有名な産地はあるのですが、数年前に日生の五味の市に行ったとき、まだ販売されていなくて、室津まで足を延ばし、そこでおいしい牡蠣にめぐりあったことがきっかけです。

 室津湾の漁港には、いくつもの直売所が軒を連ね、店頭では中国人の実習生による牡蠣の試食が行われていました。「牡蠣はいかがですか!おいしいですよ!」と繰り返し声を掛けながら店頭でいい匂いをさせて牡蠣を焼いています。お客さんもよく知っていて、いくつかのお店をはしごするつわものを何人も見ました。

 たまたま入ったお店の牡蠣が大きくて身がプリプリし、贈答用に買い求めたところ、送り先から大好評だったため、毎年利用させてもらっているのです。ただ、当日は月曜日ということもあり、客も少なく牡蠣の試食は行われていませんでした。店の人の話によると、今年は生育が遅れていて身はまだ小さいとのことでした。そこで到着日を年内ぎりぎりまで待って27日頃にしました。何軒分かまとめて買ったので、1キロもサービスしてもらいました。
 
このあと、室津の古い町並みへ車を移動しました。先日、NHKの日曜美術館という番組で、竹久夢二の足跡を紹介していました。夢二は、室津を「こころのふるさと」と感じていた、とありました。あの有名な詩歌「宵待草」はこの室津の船宿で創られたのです。番組の中の室津は、小高い丘の上から、町並みと港がいい感じで撮られていて、とても美しく、私も同じようなアングルで撮りたいと思ったのです。対向車が来たらどうしようかと思うような、細い通りを進み、突き当りの空地に車を停めて町並み散策開始です。

大阪城の石垣として運ばれていく途中、室津の海で落としたと伝えられる巨石が2つありました。それから町並みを歩くと、室津診療所とかかれた木製の看板があり、中をガラス越しに覗くと、看護師さんの姿が見えました。ただ公共の施設はどこも休館日のようでした。どこか山に通じる路地はないか探しながら歩きましたが、見つけたお寺や墓地からの眺望は、あのアングルとはなかなか似つかないものでした。

室津を散策したあと、食事をしようと日生に向かいました。牡蠣街道(オイスターロード)とよばれる国道250線をひたすら走り赤穂を抜けて、日生に着いた頃、時刻はお昼をだいぶ過ぎていました。五味の市を覗くと、この時期、いつもは牡蠣で賑わう市場が、牡蠣の姿はまったくなく、閑散としていました。「生育が悪いため、12月中牡蠣の販売は土日のみとさせていただきます」との張り紙がありました。今年は、室津だけではなく地域一帯で生育が遅れているのでしょうか。

「秀吉」という日本料理の食事処で昼食をと思っていましたが、時間を過ぎていたためか準備中となっていました。そこで五味の市の向かいにある海の駅しおじの海鮮丼のお店で食事をし、お目当ての焼き穴子を買って日生をあとにしました。帰っていただいた牡蠣、味は新鮮で良かったのですが、かなり小振りで残念でした。穴子はいつもの通りプリプリで最高に美味でした。



室津の町並みと漁港
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飛騨高山 王道の観光ルートをゆく その6 郡上八幡(後編)

2014-09-29 23:30:04 | 古い町並み

やなか水のこみちは、ほっとできる空間

(前回のつづき 平成26年9月15日)
新町通りと呼ばれる商店街を歩いていると、さすがに「郡上おどり」で知られる町、踊りの用品をショーウインドーに展示しているお店がありました。郡上おどりは、日本三大盆踊り(日本三大民謡おどり)に数えられています。ちなみにあとの二つは、西馬音内(秋田県羽後町)、阿波踊り(徳島県)だそうです。中世の念仏踊りの流れを組み、盆踊りの体裁が整えられたのは、江戸時代とのことです。1996年に国の重要無形民俗文化財に選定されています。見物人よりも圧倒的に踊り手の方が多いといいますから、地元の人々に心から愛されている踊りなのですね。

踊りはいつでも郡上八幡博覧館で、実演を見学できるそうです。
さて、新町通りをさらに進むと、石畳みの小路がありました。並行して水路が走っています。「やなか水のこみち」です。旅の情報誌にも紹介されていて、郡上八幡城とここだけは来てみたいと思っていました。柳が垂れてとても風情があります。石のプランターに彼岸花が咲いていました。無理やり入れてこみちを撮影します。カップルが仲良く写真を撮りあっていました。小さなベンチもあって、まさにほっとできる空間ですね。



彼岸花が咲いていました。

ところどころ、路地に目をやると、古い町屋と見られる建物が連なっているのが見えます。
この郡上八幡、岐阜県でも3つ目の国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されています。
さらに、進むと、通りの角を入ったところに、さんぷる工房の看板があがった町家を発見しました。中に入ると、小さな食品サンプルの小物がびっしり。その奥では、さんぷるの創作体験ができるコーナーもありました。ちょうど体験者が、エビのてんぷらの衣を作っているところでした。なかなかよくできていて感心しました。

郡上八幡にはこのような食品サンプル工場がいくつかあって、市を代表する地場産業の一つとなっているそうです。なぜ郡上八幡かというと、最初に製作した生みの親が郡上八幡の出身者だからだそうです。現在では、全国生産の半分以上がこの岐阜県で生産されているそうです。



さんぷる工房の店内。町屋を改修して店舗にしています。

さらに歩くと、小川を横切る水路を発見。さすがに水の都です。その先まで行ってみると大きな川があり、釣り人が長い竿を垂れていました。アユ釣りです。中には女性の釣り人もいました。このとき、すでに午前11時に近づいていました。まだまだ見たいところはいっぱいありましたが、愛犬が帰りを待っていることを思うとそうもいきません。ここで引き返すことにしました。


吉田川で釣り糸を垂れる人々。

その帰り道、気になる一軒の米屋さんを発見しました。そば粉を売っているのではないかと思い商品に目を配っていると、後方から「そばを打たれるんですか?」とこの店の奥さんでしょうか。「まだ新そばは出ていないんですよ。もうすぐなんですけどね」とのこと。ということで25年産のそば粉を500g購入しました。昨日、高山のそばの名店でも500g買ったので、計1キロとなりました。このお店(庄村米穀店)にはいろんな粉の他に、蜂蜜も販売していました。栃の花の蜂蜜を初め何種類かの蜂蜜を、初めて試食させてもらいました。

こうして、郡上八幡を最後に帰途に着くことに。井原には、夕方の5時頃到着の予定です。思えば、今回の飛騨高山の旅、岡山を起点に、兵庫県、大阪府、京都府、滋賀県、岐阜県、愛知県、長野県など、7府県に足を入れたことになります。走行距離は1300㎞超、事故に遭うこともなく、天気もよく、おまけにおいしいものも食べることができて、実に有意義で楽しい3日間でした。(岐阜高山の旅、今回で終了です)
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飛騨高山王道の観光ルートをゆく その6 水の城下町・郡上八幡(前篇)

2014-09-27 23:20:18 | 古い町並み

郡上八幡城 標高354mの八幡山に立つ4層5階建ての城

(下呂温泉後編のつづき)
旅館を8時過ぎに出て一路、郡上八幡(ぐじょうはちまん)を目指します。信号も少なく快適なドライブコースでした。ただ、目的地まであと数キロのところで国道256線は、経験したこともないような下りのヘアピンカーブが続き、驚きました。

とりあえず、郡上八幡城を目指します。お城の手前で駐車場はありましたが、頂上駐車場への案内板を見つけ、半信半疑で進みました。途中、徒歩で登っている人も多くいるので注意が必要です。道はさらに狭くなり、何度も切り返しながら進みました。頂上には、20台ほどの駐車スペースがあり、何とか駐車することが出来ました。この郡上八幡城は、昭和に入って再建されたものですが、再建された木造の城の中では一番古いものだそうです。そういえば、一昨年訪ねた大洲城も、平成に入ってからの再建でしたがとても美しいお城でした。

石垣は築城当時のものが残り、城内には見事なカエデが何本もありました。秋の紅葉のシーズンには、お城とモミジでまさに絵になる景色が望め、多くの人で賑わうことでしょう。
途中、「天空の・・」と書かれた案内板が目にとまりました。昨今、兵庫県の竹田城跡が一躍有名となり多くの観光客が詰めかけていますが、まさに天空の城、ブームと言えます。


天空の郡上八幡城と書かれた表示板

「天空の城」というのは、もともと宮崎駿監督のスタジオジブリ制作「天空の城ラピュタ」からきていますが、竹田城跡は私もブームがそれほどでもない頃、一度訪ねたことがあります。石垣が連なる様子は、まるでマチュピチュを連想させました。次に有名なのが、岡山県高梁市の備中松山城(重要文化財)です。茶人小堀遠州も治めたこのお城は、標高430mにあり、現存する天守閣を持つ山城では最も高いところにあります。

その他に最近、脚光をあびているのが越前大野城です。市民グループ「ラピュタの会」が結成され、町をあげて観光の目玉にしようと盛り上がっています。これらの城は、秋ごろ、雲海に浮かぶ城という、幻想的な景色をみせることで一致しています。

この郡上八幡城、天守閣の中に入ると、やたらとギーギーときしむ音が響き、人数が多いと、その音はさらに増幅します。どうも板がこすれる音のようです。天守最上階からの眺望は素晴らしく、山や川、郡上八幡の町並みが手に取るようにわかります。


再建された木造天守閣では一番古い

城から降りると、車を駐車場に入れて、町並み散策です。水の都と言われているだけあって、通りの両側には用水路が設けられ、水が勢いよく流れています。観光客と思われる数人がめずらしそうに覗き込んでいたので、目をやると大きな鯉が泳いでいました。
(後編に続く) 



天守閣から見る郡上八幡の町並み 
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飛騨高山 王道の観光ルートをゆく その4 高山の古い町並み

2014-09-24 23:21:54 | 古い町並み

恵比寿本店の飛騨そば ざるそば830円、大盛りはプラス200円

(前回の新穂高ロープウエイよりつづく)
新穂高ロープウエイから平湯温泉にもどり、高山市内に向かいました。所要時間は30分ほどです。高山は、まだ20代のころ、一度だけ訪ねた記憶がありますが、どのような町並みだったのかよく覚えていません。最近になって古い町並みに興味を持ち、特に国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されている町並みは、つとめて訪ねるようにしている昨今の私です。

まず、どこに停めるか駐車場探しに苦労しました。取りあえず、遅い昼食をと(午後2時半を過ぎていました)、そばの名店にナビをセットすると、車はまさに町並みに突入しました。これはいけないと、四つ角で右を見たり左を見たりと、きょろきょろ探し、やっと大きめの駐車場を見つけ、駐車することができました。20分=200円と表示があり、料金は少々高めです。 

まず、向かったのが、ナビをセットした老舗のおそば屋さんです。このお店は、恵比寿本店といい、明治31年の創業です。飛騨そばは、昼夜の寒暖差が激しい高冷地で育ったそばを使用しています。このお店では、当日使用するだけの粉を挽き、打ち立て、茹でたての風味あるそばがいただけます。そばは食べるのも好き、作るのも好き(手打ちそば)な私ですが、この飛騨地方のそばの味には興味がありました。とにかくお腹がすいていたので、大盛りのざるそばを注文しました。コシが強くて細めの麺です。味は申し分ありません。そば湯をいただき、最後にそば粉まで買ってしまいました。お腹を満たしたあと、メイン通りである、さんまち周辺を散策ました。



上三之町の通り 大変な賑いです。

中心部は、人、人、人で溢れています。とにかく若いカップルが目立ちました。これでは、町並みの情緒を楽しむどころではありません。特に数店の飛騨牛にぎり寿司を 店頭販売する店先には行列ができ、さらに混雑しています。また、人力車も通るので注意も必要です。町屋の多くは、お土産店やカフェなどに利用されているようで、倉敷などにみられる、しっくいのなまこ壁はほとんど見ることができません。通りの道幅も思ったよりも狭く感じました。

それほど大きな町屋はないものの、全体的にシックでよくまとまっています。連なる町屋の軒下には、防火用でしょうか、きれいな水が勢いよく流れていました。また杉玉が目印の造り酒屋もあり、中はがっしりとした木組みの柱と梁で、往時の面影を残しています。こちらでは、100円で試飲もできるようでした。



高山のシンボル的な存在 中橋

こうして周辺を散策し、最後に向かったのが、高山陣屋です。川を渡り、進むにつれて、パンパンとドラムをたたくかわいた音がして賑やかになってきました。高山まちなみコンサートの会場でした。陣屋は、お蔵を除いて撮影OKでした。大広間や目的に応じて小さな部屋がいくつもあり想像以上の広さでした。すべてがとてもきれいに修復されています。一番興味深かったのは、お白洲です。テレビの時代劇で、犯人を座らせ、場合によっては、拷問を加えて白状させる、あれです。

実際に、角材が並べられた責台や、膝の上に抱かせ、さらに上から重力を加える重い石板(抱え石=一枚40キロ)も置いてありました、見ているだけで、何もしていないのに白状したくなります。
このあと、当時の貴重な資料が保管されているお蔵などがあり、あっという間に時間が過ぎていきました。
今度は、春と秋に繰り広げられる時代絵巻、高山祭が開催されるころ、もう一度ゆっくり訪ねたいと思いました。時計を見ると早や5時、このあと急ぎ駐車場に戻り、今宵の宿、下呂温泉に向かいました。
(下呂温泉につづく)



高山陣屋のお白洲
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飛騨高山・王道の観光ルートをゆく その1 世界遺産白川郷(後編)

2014-09-17 21:12:44 | 古い町並み

重要文化財和田家の2階 かつて養蚕が行われていた場所です。

荻町城跡展望台をあとにし、再びシャトルバスで発着場の荻町公園に戻りました。すでに滞在予定時間は1時間を切り、少々焦り気味でした。まず一番の目的、合掌造りの民家を見学するにしました。ここで公開されている民家はわずかですが、最初に訪ねたのは、国の重要文化財にも指定されている和田家です。

和田家は、展望台から見ると手前中央に見える、とても大きくて存在感のある民家です。その1階の一部分と2階が公開されています。実際に生活をされている住宅でもあるので、生活感もあります。玄関を上がると、囲炉裏のある板場があり、その左手には仏間も見えています。柱時計が実にさまになっています。透かし彫りの欄間も豪華で見事でした。階段を上り、2階にあがるととても広い空間があります。その昔、養蚕に使用されていた場所です。何といっても、びっくりするのが、その柱の太さです。釘を一本も使用せず、荒縄のようなひもで幾重にも巻かれています、柱は囲炉裏の煙で黒光りしています。



農道を歩いて神田家に向かいます。のどかな山里の風景が広がっています。

和田家を見学した後、脇を小さな水路が流れる遊歩道(農道)を歩くと、神田家があります。玄関を上がると広い板場があり、右に受付、左に囲炉裏があり、薪が焚かれていました。ここで撮影ができるように、日付の入ったプレートが用意されていて、せっかくなので一枚記念撮影をしました。煙が何とも心地よく郷愁を感じさせてくれます。こちらでも2階に上がってみました。広々とした空間、囲炉裏の煙が下から上がってきて、充満しています。

その昔、まさにこのような感じだったのでしょう。この煙で柱の表面が煤やヤニで覆われ、柱そのものを強くするそうです。左右の窓の白い障子が対照的にとても美しく見えました。2階からの眺望もなかなかのものです。1階に降りると、薬草茶をすすめられました。いろいろな種類の薬草がブレンドされているようですが、わかったのは、ドクダミだけでした。

二つの代表的な民家を見た後、せせらぎ公園駐車場方面に向かって帰ることにしました。道々には季節の花が咲き、民家の庭先には小さな花壇もあって、合掌造りの民家との一体感は、まるで日本版「コッツウオルズ」だなと思いました。特に印象的だったのは、集落がとてもきれいに管理されていることでした。


アジア系の外国人観光客の姿も多く見受けられました。時刻はすでに夕刻の5時に近づいていました。ホテルへのチェックインのこともあるのですが、公園の駐車場の利用時間が5時までとあったのでそちらも気になっていました。年間140万人と言われる観光客。駐車場から出るころになっても観光バスがどんどん入ってきます。

白川郷をあとにして、いよいよ今宵の宿、平湯温泉に向かいました。到着は1時間半後の午後6時半の予定です。明日はいよいよ念願の上高地です。(平湯温泉・上高地につづく)



こちらへどうぞと薬草茶を勧められました。
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