びしばしやらないと終わりの見えない函館となりそうです…あぁ苦笑い。
さて、記憶を歩く函館旅行を延々続けておりますが、
今回の記憶ポイントは、
・山んば
何?それ?私か?なんですけど。
函館山登山道路の脇に住んでいたことは何度も書きました。
ということは…
函館山にびしばし登っていたと思われるかもしれませんが、
歩いて山頂までいったのは一度だけなんです。
車やロープウェイばかりでした。だってやっぱり山ですから。
今みたいにほいほい三角山を歩くような私ではなかったんですわ。
それでもたまぁに付近をお散歩程度、娘を連れて下のほうで遊んだこともあったんです。
で。
娘が鮮明に覚えているのが、函館山の山姥の住処。
これは怖かったと。
リアルに怖くて今でもしっかり覚えてると。
いやぁ、そりゃ悪かったねなんですけど…
当時も今も、なんでもない普通のことでも何かきらきら喜ばせてあげようと、
サービス精神旺盛な母といいますか、
もっと普通な親なら良かったんですけど、
幼子(おさなご)に強烈なインパクト弾を与えてしまったのがこの山姥でして。
まるっきり逆喜び?喜んだのは私だけだったのですが(汗)。
行こう、もう1度山姥探検に行ってこようと(爆)。
場所は函館山旧登山道に入ってすぐ。
朝方までの激しい雨。
落ち葉の匂いと濡れた階段の道の先。
きたっ。恐ろしの山姥の住処。
いえ、山姥は私の勝手な発想でして、
正しくは旧要塞貯水槽です。
旧要塞貯水槽なのですが、山姥の住処に仕立てあげまして…
巨大なきのこにも見えます。
20年後にこにゃにゃちは~~。
『怖かったんだからねっ、あなた鬼よね、
真面目にこの中に山姥がいて、火を焚いて石臼毎日ごりごり挽いてるってずぅっと思ってて、
ホント怖かったんだからっ』
すまんのぅ…
でたぁっ。うん、雰囲気あるなぁ、私。
たまたま、本当に偶然だったんですけど、
当時、『ここは山姥の住んでいる家で、今は食べ物とりに行ってるんだよ』
なんて勝手にファンタジーしていたら、向こうから登山者が一人で下りてきまして。
なんてラッキー、
『ほら、帰ってきたっ。見つからないようお母さんに隠れなさい』
娘を恐怖のずんどこに突き落としたのはこの私です。
なお、この勝手に登山者を山姥仕立ては、碧血碑までの宮の森コースでも使いまして。
それも覚えておりましたわ。
おそらく持っていた絵本(ことろのばんば 長谷川摂子 文 川上越子 絵)のインパクトも重なったのではないかと。
この出来事の前に買ったのか、あとに買ったのか、そこまでははっきりしませんけど。
(いや、絵本よりあなたよと娘に言われそうですが …)
おんなのこの カラダはきえてしまった。
確かに怖い絵本だな(笑)。でも色使いがとても綺麗なんです。
函館山で見つけたカタツムリ。
ちなみに、
・家の前の坂で犬に追いかけられこの世のものとは思われない叫び声をあげた←事実です
・カラスに襲われた
このふたつは我が家に向かう坂道で、
カラスに襲われたのも、犬に追いかけられたのもこの坂です(笑)
この道の左手が護国神社。オレンジ色の看板の前が前に書いた横道の抜け道、
この坂の途中に住んでいた家、真っ直ぐ行くと函館山山頂まで(笑)、ちなみにここは一方通行。
右手はロープウェイ山麓駅、水元です。
急なのよね。
カラスも犬も覚えているのに、
転んでケガをして大泣きして、この急な坂を私に担がれて(笑)家まで帰ったことは覚えてないのよね。
お手手つないで毎日歩いていたのにね。
一応『つなぐ?』とアプローチしてみましたが(爆)、
即座に叩かれ却下されました(笑)。まぁね(笑)。