毎日が夏休み

LEAVES THAT ARE GREEN TURN TO BROWN

記憶を歩く

2011-10-10 21:55:55 | ささやかな小旅行

 

 

さてさて。

 

私が小1~小4までの4年間を函館の乃木町に住み、

そのあと6回引越し&結婚・出産、

娘が確か2歳になる頃、函館にまた移ることとなりまして。

2歳から小学2年生まで函館の青柳町に住んでおりました。

 

青柳町といいましても、谷地頭や宝来町に近いほうの青柳町ではなく、

もろ家の真上をロープウェイが行き来する、

水元と護国神社の間、元町との境界ぎりぎりの青柳町に住んでおりました。

…函館山に住んでいたといっても過言ではないといいますか、

お山に登る函館山登山道路の一方通行の道の脇に家がありました(笑)。

 

その後札幌に転勤となりまして。

ちなみにそのあとにもう1度函館辞令がおりるのですが、

娘は高校に入学して数ヶ月の時期(なんて会社だ)、さすがに単身赴任となりましたが、

函館は札幌に次ぎ長く住んでいる町なのです。

 

ご近所はお年寄りばかりで同じ年頃のお子さんはなく、

私が唯一の遊び相手だったんですわ。

あんなに一緒に遊んだのに、きゃっきゃきゃっきゃ笑ってたのに、毎日毎日お手手つないで歩いていたのに、

娘曰く、『あんまり覚えてない…』

幼稚園、小学校と進むにつれお友達も行動範囲もどどんと広がり、

それこそ端は谷地頭、船見、弥生、大町と、娘やお友達の送り迎えにわやだったのに、

『あんまり覚えてないの…』

 

せっかくあの美しく古びた街並みの中で育ち歩き遊んだのに…。

でも私だって小1~小4の記憶はどうよと言われると、

断片も断片でしか覚えて無いかも。

 

たまたま今回まとまった休みが取れまして。

昔歩いた道をもう1度2人で歩いてみましょうかと。

あの幼き日々のメモワールですわ(爆)

 

函館に住んでいた頃は私車を運転してまして、

歩きも車も両方こなしておりましたので、道案内ならまかせてちょでして。

路地の一本一本までは無理ですけど、地図は無くても歩ける町でして。

 

 

いざ。

 

 

しっかしねぇ、年月というのは恐ろしいというか素晴らしいというか、

私の手に足にしがみついて歩いていた幼い娘が、

今度は助手席に私を乗せて函館まで運んでくれるんですから、年をとることってすっごくありません?(笑)。

 

 

 

 

晴れたり強い雨が降ったり。

 

 

 

見えたっ。

 はるばる来たぜですわ(笑)。

 

娘のはっきり覚えている場所や出来事は、

・山んば

・函館公園のクマとの交信

・水元のてっぺん

・汐見坂でコケた

・家の前の坂で犬に追いかけられこの世のものとは思われない叫び声をあげた←事実です

・カラスに襲われた

・碧血碑まで冒険した

・護国神社のお墓と横道と青いワラジムシ

 

大雑把すぎますが大きくこんなとこでしょか。

まだまだ発掘あるある探検隊(合成語か?)になることを期待しつつ、

美しく成長した若き娘さんと、適度に年老いたおばさんは、函館の町の記憶をびしばし歩きだしたのでした。