写真は雲南農業大学の正門(2005年撮影)。中国有数の農業大学として、京都府立大学(農学全般)、明治大学(畜産)、や琉球大学など日本の大学との提携も活発に行っている。(ただ、雲南全体としては、日本との外交関係の悪化にともない、共同研究の縮小や停止、廃止が相次ぐ異常事態が続いている)
【日本の中小企業が中国へ多数進出したころ】
雲南農業大学に招聘された山口喜久二氏は父親に肝臓がん治療としてローヤルゼリーを与えたところ退院できるまでに回復したことを機に1960年代に研究とローヤルゼリーの販売をはじめました。
中国との縁は1993年。日本の環境の悪化からより汚染の少ない蜜源を求めて青海省の菜の花からローヤルゼリーの採取をはじめました。
(山口氏に限らず、当時、日本の会社はこぞって中国への進出を目指しました。中国の各都市からもさかんに日本の会社に中国への進出を勧める事業団がそれこそ毎週のように訪れ、東京や大阪の一流ホテルで交歓会が催されていたのです。私も「投資商談会」を日々、取材する仕事をしておりました。そのころの中国の空気はよく、自然環境も豊かで、日本人から見ると「昔懐かしい日本の風景」と思う若者と戦争世代のノスタルジーが交錯して、なかには人肌脱ごうという義侠心にあふれる人もいたものです。ただ、事業者の方からは利益が上がっている人はなく、みな、先行投資と割り切っている、と口にされていました。)
2000年からは雲南農業大学蜜学部に招聘され、2002年に国家プロジェクトとして「山口喜久二ローヤルゼリー科学研究室」が同大学内に設置され、自身の長年のノウハウの伝授を行うとともに、新たな開拓を始めたのです。
そんな中、探しあてたのが雲南の山奥に自生する、石けんのように固まるヤハシの蜜。山口喜久二農法雲南農業大学官製の「皇蜜」として販売が開始されました。
(つづく)
※来週の更新はお休みいたします。寒さの厳しい折、みなさまご体調にお気をつけください。
【日本の中小企業が中国へ多数進出したころ】
雲南農業大学に招聘された山口喜久二氏は父親に肝臓がん治療としてローヤルゼリーを与えたところ退院できるまでに回復したことを機に1960年代に研究とローヤルゼリーの販売をはじめました。
中国との縁は1993年。日本の環境の悪化からより汚染の少ない蜜源を求めて青海省の菜の花からローヤルゼリーの採取をはじめました。
(山口氏に限らず、当時、日本の会社はこぞって中国への進出を目指しました。中国の各都市からもさかんに日本の会社に中国への進出を勧める事業団がそれこそ毎週のように訪れ、東京や大阪の一流ホテルで交歓会が催されていたのです。私も「投資商談会」を日々、取材する仕事をしておりました。そのころの中国の空気はよく、自然環境も豊かで、日本人から見ると「昔懐かしい日本の風景」と思う若者と戦争世代のノスタルジーが交錯して、なかには人肌脱ごうという義侠心にあふれる人もいたものです。ただ、事業者の方からは利益が上がっている人はなく、みな、先行投資と割り切っている、と口にされていました。)
2000年からは雲南農業大学蜜学部に招聘され、2002年に国家プロジェクトとして「山口喜久二ローヤルゼリー科学研究室」が同大学内に設置され、自身の長年のノウハウの伝授を行うとともに、新たな開拓を始めたのです。
そんな中、探しあてたのが雲南の山奥に自生する、石けんのように固まるヤハシの蜜。山口喜久二農法雲南農業大学官製の「皇蜜」として販売が開始されました。
(つづく)
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