昆明の市場で売られている豌豆粉。一杯注文すると、細かく切った豌豆粉に、醤油、ラー油などの調味料を次々とかけて出してくれる。子供のおやつとしても、食べられる一品である。(2010年夏撮影)
【満漢全席の一品に】
「豌豆粉」は、雲南以外ではどこで食べられているのかな、と調べてみると、意外な事実を2つ、発見しました。
一つは、西太后の大好物のスイーツで、現在、満漢全席の一品として登録もされている「豌豆黄」。これが、とても似ているのです。羊羹のようにエンドウ豆を軟らかく煮てペースト状にし、砂糖で味を調え、寒天を加える(店によってはクチナシで鮮やかな色をつけたり、ナツメやキンモクセイを加えたりすることも)のですが、「豌豆粉」がただただ素朴なら、「豌豆黄」は濾したり、砂糖を加えたりと、より手間をかけ、上品で洗練されています。
時のイギリスのサッチャー首相が中国を訪問したときにも、たいへん喜ばれたとか。
旧暦の3月3日に行われる北京の縁日で「豌豆黄」はかかせない一品でした。収穫されたばかりのエンドウ豆で作ったものは、さぞかし春を感じさせたことでしょう。
清朝初代皇帝ヌルハチの第13代孫にあたる愛新覚羅家の一人・瀛生(1922年横浜市生まれ。新中国では北京文史館勤務)が書いた『老北京与満族』には、豌豆黄は回族(イスラム教信奉者の民族)の伝統的な民間小吃とあります。元々、白えんどうは唐の時代(日本で遣唐使を派遣していた時代)以前に、メソポタミアからもたらされた、といわれているので、興味深い話です。
さらに豌豆黄には、粗く濾したものと、細かく濾したものがあって、粗い方には砂糖を加えずにナツメを加え、細かい方には白砂糖を加えるがナツメを加えることはなかったとも書かれていました。ちなみに2004年に瀛生が書いたところでは、「現在では濾す程度に区別がなくなり、ナツメも使われなくなった」とあります。瀛生氏の行動半径にはナツメをトッピングする店は見あたらなかったのでしょう。
また粗い方が原型で、細かく濾して砂糖を加えたものは、西太后の食卓でスイーツに近いのではないでしょうか。
こうして考えると西太后の食卓には、わりと中国の農夫が日常食べる料理を洗練させたスイーツがあるように、現在の「豌豆黄」も「豌豆粉」を宮廷風にスイーツとして昇華させたもの、と見立ててよさそうです。 (つづく)
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