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漢方の秘伝の伝わり方・「三七」の由来伝説

2009-09-13 18:08:12 | Weblog
写真は文山の各所に点在する「三七畑」の看板。管理はかなりしっかりとなされている。日本のバイヤーも直接買い付けにくるとか。
 そういえば、先日、日本の都内の温泉に行ったところ「幻の三七ドリンク」なるものが売られていた。一本、八〇〇円ほどで、リポビタンDのような瓶に入れてあった。風呂上がりに一杯、の人も、日本では出てきているのだろうか・・・。

【雲南の兄弟から広まった伝説①】
 明代に張四維による『医門秘旨』という医学書には
「三七はもとは広西より出ず。七葉三枝ゆえ、その名とす。」
<三七はもともと広西(壮族自治区付近)より産する。7葉3枝という形からその名とした。>と書かれる三七。名の由来にまつわる伝説をご紹介しましょう。


 むかしむかし、とある兄弟がいました。兄は、家業を引き継ぎ、医者として看病し、薬となる植物を栽培していました。ところが弟の方は怠け者で、ちっとも家業を手伝おうとはしません。

 あるとき、弟は突然、鼻血が止まらなくなりました。兄は心得たもので、すばやく、ある草を煎じて弟に服用させました。弟は何回か服用すると、すっかり快癒しました。弟が不思議に思い、その薬について訊ねると、
「これは先祖伝来の血止めの薬だよ」と、兄。

 後に弟は兄にその薬となる草の苗をもらって、自家菜園で栽培をはじめました。2年目、草は生長し、葉も茂りました。

 そんな折、隣村の金持ちの息子が出血病になりました。どんな薬を飲んでもよくならず、見たところ、まもなく死ぬだろう、という話です。

 ある男から、「似たような病のものが、ある薬草で良くなった」という話を聞いた医者が弟の家にやってきました。弟は聞くやいなや、自家菜園のなかの薬草を掘り出し、金持ちの息子に煎じて飲ませました。何回か、飲ませましたが、結局、その子供はなくなりました。

 金持ちの怒ったのなんの。県の官吏にこの話をして、弟を引っ捕らえたのです。
兄はこの話を聞くと、急いで、県の官吏に訴えを取り下げるように告訴しました。

「弟が間違えたのではない。薬草は間違いなく血止め用だ。ただ、この薬草は1年ぐらい生長させただけでは、なんの薬効もない。3年から7年ぐらいのものが薬効が最強になるのだ。」

 この話は一大センセーションを巻き起こし、門外不出であった、この薬草の採掘時期の秘密を一般人も知るようになったのです。人々はこの話から、薬草を「三七」と名付けということです。
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