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インドネシアでブームの雲南⑤ 熱帯の畑

2014-09-20 07:08:46 | Weblog


写真上はニアス南部の畑。ちょっと写真ではわかりにくいが、下からサツマイモの葉、真ん中がマンゴー(と地元の方がいう)の木、上空を椰子の木が覆う。椰子の木はご存じの通りココナッツがとれる重要な食料品である。(2014年夏撮影)
写真下は雲南省シーサンパンナの中程にあるモンルン熱帯植物園内の熱帯の畑の展示場所。茶畑の上にゴムや椰子の木が覆っている。強すぎる日差しを避けるための工夫だという。(2005年1月撮影)

【3次元空間】
これらの果物を生み出す森もさることながら、ニアスの農業はまさに南国的。

高藤さんは ニアスは豊かな地なので育てれば作物も作れるのに、スマトラ地震後は野菜や米は外地から買って、畑仕事をする人が減ったことが残念、と語っていましたが、そもそも畑の概念が日本とは違う模様。

 たとえば農地があるとすると、そこに畝を築くのではなく、地べたにサツマイモの蔓が這い、ちょっと上に里芋の葉、その上にマンゴー、そのはるか上空にバナナや椰子の木、という重層空間の畑なのです。そして、ほとんど手をかけず、獲れたものをとる、というじつに幸せな畑なのです。目が慣れないうちはあまりにも規則的ではない緑のため、原生林と見間違えるほどでした。

この畑の作り方は雲南南部のシーサンパンナでも見たことがありました。といっても、それはモンルンの熱帯植物園内ですが。1950年代の設立時の園長にして中国の有名な植物学者・蔡希陶氏が当時の現地の畑の様子、としてわざわざ展示スペースを割いてつくったところにありました。浙江省に生まれて育った蔡氏にとって記録すべき珍しい畑だったということでしょう。

  雲南の畑では中程の空間にはマンゴーではなく茶やコーヒーの木で、その上空はゴムや椰子の木でした。下草は植物園らしく芝生。ただ、説明板には熱帯には重層的に畑をつくる習慣がある、などと書かれていました。

ただ雲南では1960年代の文革時に、紀元前後に書かれた『周礼』でも書かれている畝をつくって管理する漢族風の畑が広大に作られたため(日本も畝の畑ですね)、じっさいには重層的な雲南の昔ながらの畑を見ることは稀でした。が、ニアスでは、その畑がごく普通に、しかもあちこちで見られたのでした。

 ただ、野菜は島ではほとんど育てていないので、青物野菜が食べられない苦痛を生まれてはじめて味わいました。地元の方は、すぐに獲れる魚とフルーツで満足しているのかもしれませんが薬効の高いフルーツばかりで私は地元の人の半分もフルーツは食べられません。

 ただ、すぐお隣のスマトラ島ではニアスより、ずっと野菜づくりが盛んです。それでも明らかに野菜料理は少なめでした。

 とはいえ2億を超える民を養うためには自然農法というわけにはいかず、畑は製造工場のよう。化学肥料と農薬漬けであっという間に畑の土が死んでしまい、農家が農地を手放したところを買い取る、という、じつにおそろしいシンジケートが暗躍している、と現地の方が言っていましたが、まもなくニアス島にも上陸しそうで、痛ましさを感じてしまいます。
 日本もこれだけ農家が高齢化し、大規模栽培ばかり叫ばれるようでは、同じ道をたどることは必定です。日本で外資系の農薬会社に務めた経験のある知人が「あれはムチャクチャだ」といって、やがて投げやりな生き方になりあっという間に辞職してしまいましたが、なにか深い事情をつかんでしまったのかもしれない、とインドネシアに行って腑に落ちたのでした。
    (つづく)
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